憧れの窓辺の君3
目が合ったのも束の間、彼は開いていたスケッチブックを閉じて鉛筆をペンケースにしまい始める。
明らかにカメラで撮られたことに気がついていたけれど、彼は何も言わなかった。
怒るでもなくただガラス玉のような瞳のまま、その場から立ち去ろうと身支度を整えている。
私は、この大切な時間を壊してしまった。彼の貴重な時間も壊してしまった。
こんなことが起こったらきっと彼はしばらくこの喫茶店には寄らないだろう。
誰だって知らない人にカメラを向けられるのはいい気がしない。
なんてことをしてしまったんだろう。後悔しても取り返しはつかない。
哀しいら悔しいやらで喉の奥が熱い。
さきちゃんをチラッと見ると、びっくりしたのかきょとんとした顔をしている。
やっぱり連れてくるんじゃなかった。あの時強くいうべきだったんだ。
いっそ彼に怒られた方がマシだ。
絶望が私を包んでいるその時だった。
「ねえ。いきなり写真撮るのは良くないと思うよ。」
知らない声がしてパッと顔をあげる。
さらさらとした短く切られた黒髪に意志の強そうなクリッとした瞳。
赤いノースリーブをさらっと着こなすその女の人は、私たちの一連の行為を見てそう声をかけた。
「誰だっていきなり撮られたら嫌でしょ。二人とも彼と知り合いではないんでしょう?多分悪気はないんだろうけど、そんなに気になるなら直接声をかけた方が良いよ。謝りな。」
彼女の瞳には私たちへ真摯に向けられていた。馬鹿にするでもなく、どこか暖かさを感じさせるような、そんな瞳を向けて私たちに声をかけてくれた。
驚いて固まる私たちに彼女は視線を逸らしたかと思うと、窓辺の君の方へ体を向ける。
そして彼に声をかけたかと思うとこちらへ手招きをした。
慌ててそちらへ向かう。さきちゃんは私に遅れてついてきた。
「この子たち、あなたのファンなんだって。あなたに無断でカメラを向けたこと謝りたいって。」
ゆっくりと窓辺の君はこちらを向いた。相変わらずその瞳には何も映していない。
いたたまれず私は口を開いた。
「あの、ごめんなさい。いくら悪気はないからって、こんなことしてしまって。気分を害されましたよね。貴重な時間を壊してしまってごめんなさい。」
勢いよく頭を下げる。あたふたさきちゃんもそれに合わせてペコリと頭を下げた。
ずっとこのままでいたい。顔を上げることがこんなに怖いなんて。
「別に、慣れていることだから僕は構いません。でも、知らない人にいきなりカメラ向けるのはどうかと思うよ。僕だって生きている人間だし、誰かのオモチャじゃない。僕以外もそう。この世界は自分たちだけのために回ってないでしょ?みんな生きていてこの世界で生活している人間だから。手軽にいろいろ写真に収められるからこそ、そこはちゃんと自覚してないと人を傷つけることになるよ、気をつけた方が良い。僕のことが気になってくれていたのだったら、声をかけてくれた方が嬉しかったな。君、いつもあの席でスケッチしてた子だよね。」
陶器のような声で、彼は私たちがいた席を見て、そして私にゆっくり目線を向けながらそう言った。
知ってたんだ。喉が張り付いてしまって、うまく声が出せなくて私はゆっくりと何度もうなずいた。
「ねえ、よかったら一緒にみんなで少し話さない?」
静寂を破ったのは声をかけてくれた女の人だった。
「二人とも、あの席にある飲み物と食べ物こっちの席に持ってきてよ」
え。とあたふたする私たちを急かして、彼女は顔馴染みらしい店員さんに、”机ちょっと動かしますね”と声をかけてそしてあっという間に窓辺の席を4人で囲むことになってしまった。