第九話 討伐戦完了後
森の外に出て来た魔物を討伐し終え、侯爵は撤退の合図を鳴らした。
同時に人員の確認と、怪我人の治療が開始された。
今日の討伐は終了したが、元々の目的であるサーペントの討伐が残っている。
今後の方針を決める必要があった。
侯爵達の無事な姿を確認し、アンジェリカとクラリスは、目に涙を浮かべ、安堵の表情を見せた。
突然の咆哮から、ドラゴンの出現、サーペントの乱入と立て続けに起きた。
不安、混乱、恐怖、全てが入り混じった感情だったのだろうと推測出来る。
撤退の合図から一時間掛からず、全ての班が戻ってきた。
人員の確認が終わると、驚いたことに死者が一人もいなかった。
あの状況下で死者が出なかったのは、奇跡と言って良いだろう。
討伐軍は喜びに包まれた。
明日以降は、怪我人以外で討伐を進める方針となり、その日は終了となった。
アンジェリカとクラリスは、十分に役目を果たしたと判断され、明日以降の討伐戦には参加させないことになった。
学生組も明日以降は不参加と決まり、近隣の町に一泊した後、王都に戻ることに決まった。
例外は、俺、ローレンスさん、アンジェリカの三人で、バミンガムの侯爵邸に招かれることになった。
◇
夜に侯爵邸に到着。
侯爵夫人に挨拶をして、その日は就寝した。
翌日。
今日は侯爵邸でゆっくりと過ごすことになっている。
侯爵が帰ってくるまではこのまま待機だろう。
リビングでは、ローレンスさん、クラリス、侯爵夫人が会話を楽しんでいる。
俺とアンジェリカは、その様子を少し離れた位置から見ていた。
「上手くいきそうですわね」
「俺はアンジェリカに聞きたいことがある」
「森の中で言っていたことですわね」
アンジェリカがとても楽しそうな顔をしている。
「そういえば、そんな話をしていましたね」
俺の護衛で来ているトーマスさんも話に加わる。
こちらも楽しそう。
「ええ。俺はいつから騙されていたのでしょう?」
不満顔でそう言うと、二人が笑い声を零す。
「騙すとは人聞きの悪い。アレクが勝手に勘違いしたのですわ」
「最初に会った時、『縁談の申し込みを受けた』と言っていたのを覚えているぞ」
「『わたくしが』とは言っておりません。縁談の申し込みを受けたのはクラリスですから」
「明らかに騙しているだろう」
「その時は騙しているつもりなどありませんでしたわ」
「……その時は?」
「あらっ」
アンジェリカが、わざとらしく口元を手で押さえる仕草をする。
「いつからだ?」
「アレクが勘違いしていると気づいたのは……実はその会話のすぐ後です」
ほとんど同時だった。
「寮の部屋に戻る途中で、皆に縁談の話を聞かれたのですわ。それで話をしたら、多分アレクは勘違いしていると、セラフィナに指摘されたのです」
「皆知っていたのか?」
「女性だけですけれど。ローレンス様が筋肉痛で食堂に来た時を覚えていますか?」
「ああ。ローレンスさんがトーマスさんの訓練を受けた翌日だ」
「あの時、セラフィナが言っていたでしょう。『アンジェリカの言っている意味が本当に分かっているのか?』って。あれはそういう意味です」
「教えろよ」
「女性の中で、アレクはいつ気付くかと楽しんでいましたから。オフィーリア殿下は楽しそうだったでしょう?」
「……そうだった気がする」
俺が肩を落とすと、トーマスさんが話し始める。
「そういうことだったのですね。最初に相談された時に、『ローレンスがアンジェリカ様に縁談を申し込んだ』と言っておられたので、おかしいなとは思いました」
「トーマスさんは、縁談の相手がクラリスだと知っていたということですね」
「はい。私の勘違いかと思い、口には出しませんでしたが」
言ってくれと思う。
「……ということは、城で侯爵と話をした時も、会話が噛み合っていなかったわけだ」
「ええ。不思議と会話が成立していましたけど」
アンジェリカもトーマスさんも笑っている。
あの時点では、トーマスさんも勘違いに気付いていたのだろう。
「何だろうな、この気持ち……」
アンジェリカは満面の笑顔で笑っている。
◇
夜になり、侯爵が帰って来た。
本日で討伐は終了したらしく、詳しい話は夕食時にしてくれるそうだ。
そして夕食。
夕食は全員で取ることになった。
長方形のテーブルの上座に侯爵が座る。
左側が、侯爵夫人、クラリス、ローレンスさん。
右側が、アンジェリカ、俺、トーマスさんだ。
身分順というよりは、話の内容に合わせてだろう。
夕食を取りつつ、侯爵が説明をする。
「今日の討伐では、予定していた範囲で魔物の駆逐に成功した。被害はなしだ」
被害なしという言葉にホッとする。
「討伐したサーペントは、昨日も含め六体だ」
「予想よりも少ないですね」
「森の奥に戻ったのかも知れん。ドラゴンがいなくなったからな」
なるほど。
それはあるかも知れない。
「ポイズンスネークやフォレストスネークも相当数討伐したので、当分は安心だろう。以降の管理は町の冒険者ギルドに任せて、軍は帰還させた」
侯爵はトーマスさんに顔を向ける。
「騎士団は明朝にバミンガム侯爵領を出発するそうだ。王都から来た冒険者達は、各々行動することになった。町に滞在する者もいると思う」
「了解です」
侯爵は頷きを返し、俺達を見回す。
「改めて討伐への協力に感謝する。三人がいなければ大きな被害が出ていただろう」
俺は笑みを浮かべる。
ローレンスさんも誇らしそうな表情だ。
俺達の表情を見て、侯爵も頬を緩ませる。
「討伐の話は以上だ。次の話に移って良いか?」
俺達は頷く。
侯爵はローレンスさんに顔を向ける。
「ローレンスの戦いぶりを見せて貰った。予想を遥かに超える成長だ。クラリスの婚約者として不足はない」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます、お父様」
ローレンスさんとクラリスがお礼を述べる。
二人の表情が喜びに溢れている。
隣の夫人もとても嬉しそうだ。
侯爵が俺に顔を向ける。
「アレクは本当にアンジェリカの婿に来る気はないのか?」
「申し訳ありません」
「ローレンスとクラリスの婚約は認める。アレクが婿に来てもそれは変わらない。ローレンスなら近衛騎士にもなれるだろう」
「そうでしょうね」
「オフィーリア殿下のことが理由か?」
侯爵の質問には答えず、笑みを返す。
侯爵は俺の目をじっと見つめた後、諦めたように息を吐いた。
「分かった。アンジェリカはそれで良いのだな?」
「勿論ですわ」
アンジェリカがはっきりと答える。
侯爵は頷き、クラリスに顔を向ける。
「クラリス。ローレンスを婿に迎え、バミンガム侯爵家を継ぐ覚悟はあるか?」
「はい、お父様。お姉さまの代わりを立派に勤めて見せます」
クラリスが答え、侯爵が頷く。
「分かった。バミンガム侯爵家はクラリスに継がせる」
侯爵の決定に、俺達は笑みを浮かべた。
一番良い結果だろう。
改めて侯爵はアンジェリカに顔を向ける。
「それで、アンジェリカはどうするつもりだ?」
「勿論、自分の選んだ殿方に嫁ぎますわ」
そう言って俺に視線を向ける。
侯爵は訝しむ目で、俺とアンジェリカを見る。
「だが――」
「わたくしは第二夫人でも第三夫人でも構いませんわ。他の婚約者とも上手くやっていけます」
「!?」
侯爵が驚愕の表情でアンジェリカを見る。
「もう他の婚約者方とも話は済んでいますわ」
「アンジェリカ!?」
慌てて止めると、アンジェリカが悪戯な笑みを見せる。
「大丈夫ですわ。お父様に話すことは、オフィーリア殿下にもセラフィナにも許可を貰っています」
アンジェリカがはっきりと口にする。
「そうなのか?」
「はい。もう隠しておいても意味がないだろうということで」
「どういうことだ?」
「今のアレクは、オフィーリア殿下との婚約があろうとなかろうと、王位継承争いに巻き込まれるのは変わらないということです。その気になれば、王位を取れる位置にいますから」
断言するアンジェリカに俺は何も言えない。
場が静まり返る。
「まあ、その気があればという話です。アレクにその気はないのでしょう?」
「ああ。ない」
「では、四人で逃げ切りましょう」
俺がアンジェリカを妻にする前提だな。
妻に貰う覚悟はしていたので構わないが、妙な信頼感に少し笑みがこぼれる。
アンジェリカが嘘を吐いているとは思えないし、二人が納得しているのも事実だろう。
表情を引き締め、アンジェリカから侯爵に向き直る。
「侯爵。突然で申し訳ありませんが、アンジェリカを嫁にください」
侯爵は一瞬言葉に詰まっていたが、一息吐いて答えをくれる。
「アンジェリカが納得しているならそれで良い。アレクが相手ならば構わない」
「ありがとうございます」
「だが……詳しく説明してくれ」
侯爵に頷き説明をする。
リアとセラとも結婚の約束をしていること。
王太子殿下、父上、サザーランド伯爵に、報告はしていないこと。
その理由は、婚約の話が漏れると、ウェルズ侯爵周辺が騒ぎそうだからということ。
「アンジェリカは婚約発表しても変わらないと言いましたが、多分変わります」
「そうですか? オフィーリア殿下もセラフィナも、大して変わらないと言っていましたわ。わたくしもそう思います」
アンジェリカが自信のある表情で話す。
「変わるだろう? ウェルズ侯爵が俺を推すのは、リアと婚約することが前提だ。だからこそ婚約を隠しているんだから」
婚約発表するまでは、ウェルズ侯爵は静かだ。
「現状だと少し違いますわ。二人の婚約を待っていたのは、二人ならオーウェン殿下に対抗出来るからでした。でも、今のアレクは一人でも対抗出来る候補ですから」
そうなのか?
ミスリルや勲章のせいか?
「……百歩譲って対抗出来たとしても、リアとの婚約なしに俺を推さないだろう?」
「推しますわ。アレクのお婆様のカミラ様はウェルズ侯爵家の出身で、お母様のローラ様はバミンガム侯爵家の出身ですもの。マンチェス侯爵家の影響を排除出来ると考えますわ」
アンジェリカは断言する。
「う~ん、実際にそうなるとは……」
「実際にそうなっているのですわ」
「えっ?」
アンジェリカは侯爵に視線を向ける。
「お父様は御存知では?」
「最近アレクを王位にという声は多く聞くな。一番騒いでいるのはカミラ様だが」
お婆様はともかく、ウェルズ侯爵の動向が気になる。
「ウェルズ侯爵もですか?」
「ウェルズ侯爵自身ではないが、そういう話も聞く」
それは知らなかった。
トーマスさんに顔を向ける。
トーマスさんは笑みを浮かべて黙っている。
近衛騎士に聞くべきではないか……
「セラフィナが色々情報を手に入れてきますから、オフィーリア殿下も御存知です。だったら婚約を発表した上で、改めてお二人が、王位に就く気がないことを公言した方が、まだ良いだろうということです」
「知らなかったな」
「アレクは訓練で忙しかったですから」
気を使ってくれたのは何となく分かる。
「リア個人に関してなら、今の状況のままの方が良いんじゃないか? 城に戻っても静かに過ごせそうだけど」
「城に戻ったら、アレクとの婚約について聞かれますわ。その方が尚良いのですから。それに、オフィーリア殿下が、アレクにだけ面倒を押し付けると思いますか?」
「しないな」
元々リアが王太子殿下達に本音を言わなかったのは、俺に気を使ってのことだ。
「分かった」
改めて侯爵に向き直る。
「王都に戻って皆と相談してからですが、王太子殿下、サザーランド伯爵、それと、父上に報告することになると思います。婚約発表するかはまだ断言できませんが、それまでは秘密にしておいてください」
侯爵を始め、婦人、クラリス、ローレンスさんが頷く。
「私も今回の討伐の件で、王都に報告に向かうことになる。王太子殿下達への報告の際に時間が合えば、私も呼んでほしい」
「分かりました」
侯爵と約束する。
トーマスさんに顔を向ける。
トーマスさんは相変わらずの微笑を浮かべて聞いている。
「報告されますか?」
「それも含めて仕事ですから」
「分かりました。相談を終えたら面会の依頼を出します」
「お伝えしておきます」
笑顔で了承するトーマスさん。
皆、薄々は分かっているのだろうし、公にする時が来ただけだ。




