第五話 魔法薬とローレンスの訓練
「それって、馬の薬ですよね?」
トーマスさんに聞く。
コリーもダミアンもローレンスさんも分かっていないようだ。
ベティさんは「あーなるほど」と言って、納得している。
何がなるほどなのか。
トーマスさんは頷き、説明を始める。
「アレク様は御存知ですが、これは魔法薬と言います。この魔法薬を馬に飲ませると、馬が身体強化魔法を使ったのと同じ状態になります」
「馬が魔法を使えるようになるのですか!?」
コリーが驚きの声を上げる。
トーマスさんは顔を横に振り否定する。
「魔法を使えるようになるのではなく、無理やり身体強化魔法を使った状態にすることが出来るのです。同時に体内に魔力を生み出しますので、半日以上は身体強化状態を維持出来ます」
コリーだけでなく、ダミアンも驚きと感心の表情を見せる。
ローレンスさんは真剣に聞いている。
「まあ、これは薬剤師にお願いして、人間用に分量を少なくしたものです。普通、人間が使うことはありませんから」
「そうなんですか?」
コリーが不思議そうに尋ねる。
「はい。別に強くなるわけではないですし、常に身体強化状態だと後が大変ですから」
コリーの疑問に答えるトーマスさん。
大変というのは筋肉痛のことだろう。
トーマスさんはローレンスさんに視線を向ける。
「ですが、ローレンスの場合は別です。身体強化魔法が使えていませんので」
ローレンスさんが頷く。
「この薬で無理やり身体強化状態にします。その間に、魔力が流れる感覚をつかみます。おそらく一度流れるようになれば、徐々に使えるようになるでしょう」
トーマスさんは魔法薬をローレンスさんに渡す。
「ローレンス、これを飲みなさい」
「はい」
ローレンスさん、は躊躇いもせず魔法薬を飲み込んだ。
ローレンスさんの表情が変わり、自分の体を見つめる。
「えっ、これ……」
「問題なさそうだな。それが身体強化魔法を使ったときの感覚だ」
「これが……」
傍目からではよく分からない。
「まずは、ゆっくり歩き始めろ」
「はい」
ローレンスさんは返事をし、一歩目を踏み出す。
「うわっ」
一歩目から躓きそうになる。
身体強化状態の感覚は普段とかなり違う。
ましてや、ローレンスさんは魔力が異常だ。
慣れるまでは大変だろう。
「訓練場の内周をひたすら歩き続けろ。ゆっくり歩けるようになれば、普通に歩く速さに変更。その後はゆっくり走り始めて徐々に速度を上げていく。最後は全力疾走だ」
「は、はい!」
ローレンスさんが歩いて行った。
トーマスさんがこちらを向く。
「では、私はローレンスの後を追いますので、三人はベティさんと訓練を始めてください。三対一で、ベティさんから一本とるのが目標です」
「よろしくお願いしますね」
「「「はい」」」
トーマスさんはローレンスさんの後を追いかけて行った。
俺達は余裕の笑顔を見せるベティさんに、木剣を構える。
◇
「今日の訓練は終了です」
「あ、ありがとうございました……」
座り込んだままベティさんにお礼を述べる。
結局ベティさんから一本取ることは出来なかった。
ダミアンとコリーも、木剣で打たれたり、足払いで転ばされたりして、ぼろぼろになって倒れている。
トーマスさんより厳しいかも……
そこにトーマスさんが歩いてくる。
「今日の訓練は終了ですか?」
「はい。終わりです」
「お疲れ様でした。ではこちらを貴族学園に届けていただけますか?」
返事をすると、手紙を渡される。
「これは?」
「ローレンスは多分筋肉痛で明日は休むことになりますので、その連絡です」
ああ、なるほど。
遠くにいるローレンスさんを見ると、今はジョギングをしているようだ。
ジョギングとは思えない速度で走っているが――あ、転んだ。
良く見ると、体はぼろぼろで服は至る所が汚れている。
「ローレンスさんどうですか?」
「順調だと思いますよ。本人も必死に頑張っているようなので、もう少し面倒を見ます」
「よろしくお願いします」
「一応、叔父ですから」
トーマスさんは笑みを浮かべて話す。
俺達は手紙を受け取り、寮へと帰宅した。
◇
翌日の夕食時。
いつもの顔ぶれで夕食を食べていると、食堂にローレンスさんが入ってきた。
学生の注目を一身に集めている。
「うわ……」
「相当だな」
コリーとダミアンがローレンスさんを見て言う。
ローレンスさんは見るからに重度の筋肉痛だ。
ゆっくりと歩いているが、凄く辛そうだ。
そんなローレンスさんは、俺達を見つけて歩いて来た――ゆっくりと。
「お食事中失礼します。アレクシス様、お礼を言いに来ました」
「それは良いのですが……大丈夫ですか?」
ローレンスさんは微笑を浮かべる。
「見ての通りですが、二、三日すれば治るそうなので大丈夫です」
「今帰ってきたのですか?」
「ええ。昨日は日が落ちるまで走っていて、今日は朝から酷い筋肉痛で全く動けませんでした。今は多少歩けるようになりましたけど」
そう話すローレンスさんは嬉しそうだ。
「成果はありましたか?」
「はい!」
その顔には充実感が漲っている。
その表情に俺は頬を緩ませ、ダミアンとコリーも微笑んでいる。
「それはそうと、急遽休んでしまいましたが大丈夫ですか?」
「ええ。成績は元々下の方ですし、御存知のとおり、学園を何日休もうと罰則はないですから」
「えっ、何日休んでも罰則がないのですか?」
進級や卒業に影響すると思うが、本当だろうか。
疑問の表情を浮かべる俺を見て、リアが説明する。
「ないわよ。どれだけ休んでも必ず進級出来るし、卒業も出来るわ」
「それって……良いのか?」
「成績には影響するし、実際にそんなことをする人はいないけど、制度上は問題ないわ。貴族の子弟の場合、用事で何日も休むこともなくはないから」
知らなかった。
俺が感心していると、アンジェリカがローレンスさんに話しかける。
「ローレンス様、お久しぶりですわ」
「ご無沙汰しております、アンジェリカ様」
二人は普通に会話をする。
「アレク達と訓練しているという話は聞いています。先程の会話からすると、魔法が使えるようになったのですか?」
「いえ。まだ使えるようになったわけではないのですが、――近いうちに必ず使えるようになって見せます」
ローレンスさんが自信を持って答える。
アンジェリカも意外だったのか、少し驚きの表情を見せる。
その後、頬を緩ませ返事をする。
「そうですか……ローレンス様次第ですけれど、何か結果を出せば、お父様の考えも変わるかも知れませんわね」
「!?」
アンジェリカの発言に、今度はローレンスさんが驚きの表情になる。
ここで婚約を示唆する発言をするとは、正直俺も驚いた。
ローレンスさんの表情が決意の籠ったものに変わる。
「精一杯努力します」
「頑張ってくださいませ」
ローレンスさんは、最後に俺達に挨拶して去って行く……ゆっくりと。
俺はアンジェリカに顔を向ける。
「お眼鏡に叶いそうか?」
「今のところは何とも言えませんが、結果を示せばわたくしからお父様に話しますよ」
アンジェリカは意味深な笑みを見せる。
思いのほか、前向きの様だ。
「アンジェリカの言っている意味、本当に分かっている?」
セラが俺に聞いてくる。
何やら呆れた表情だ。
「侯爵家の求めるレベルが高いのは分かっている。それでも、ローレンスさんなら何とかなると思っている」
「ええ。頑張ってほしいですわね」
アンジェリカが笑みを見せる。
セラは何も分かっていないと言いたげな表情で、首を横に振る。
リアは相変わらずの微笑みで、どことなく楽しそうだ。
レイチェルとモニカは複雑そうな顔をしている。
皆は色々思うところがあるのだろうが、俺はローレンスさんに協力する。
ローレンスさんに才能があるのは間違いないので、侯爵を納得させることは出来るだろう。
そして――最終的に決めるのはアンジェリカだ。
無理強いするつもりもないし、最終的に俺の妻になるというならそれでも良い。




