第六話 魔物の氾濫
咆哮の轟いた方を見る。
魔物領域の方向だ。
「査察は中止です。魔物が森から溢れます」
その声に俺達は一斉に顔を向ける。
トーマスさんの表情が真剣なものに変わっている。
場が一気に緊張の度合いを増す。
「二手に分かれましょう。このまま進んでメア子爵領に状況を伝える部隊と、戻ってサザーランドに伝える部隊です」
トーマスさんは説明を続ける。
「先程の咆哮はおそらくBランク以上の魔物でしょう。格上の魔物を恐れて、Cランク以下の魔物が大量に逃げ出すことが予想されます」
トーマスさんの説明に息をのむ。
「村は大丈夫でしょうか?」
レイチェルが心配そうな声で質問する。
魔物領域に最も近い人里は、今日宿泊予定だったメア子爵領の村のはずだ。
彼女の質問に、トーマスさんは首を横に振る。
「危険です。すぐにでも避難を開始した方が良い」
「そんなっ!」
レイチェルが悲痛な声を上げる。
バートさんは考えをまとめ顔を上げる。
「老人や子供もいるでしょうから、村民の避難には馬車が必要です。トーマスさん。身体強化魔法だけで戻れますか?」
「可能です。私がサザーランドに戻りましょう」
トーマスさんは即答し、バートさんは頷きを返す。
バートさんは俺に視線を向ける。
「アレク様はどうしましょう? 本来ならトーマスさんから離すべきではありませんが、状況的には――」
「いえ、アレク様は私が連れて行きます」
トーマスさんはバートさんにそう告げると、俺に顔を向ける。
その顔は俺を試すかの表情だ。
「走れますね?」
不思議と気分が高揚する。
「勿論です!」
俺が返事をすると、トーマスさんは満足そうに頷く。
「よろしい。いざとなれば私が担いでいくので、問題はないでしょう」
大丈夫と言ったのに、荷物扱いも想定されているようだ。
俺は苦笑いしつつも、手早く準備を整える。
「では行動開始です。ご武運を」
バートさんに頷きを返し、馬車を降りる。
そこで、ダミアンと視線を合わせる。
「アレク。気を付けろよ」
「そっちもな。レイチェルに怪我させるなよ」
「任せろ。レイチェルも村民も守って見せる」
ダミアンの表情に、強い決意が見て取れる。
これなら大丈夫だろう。
トーマスさんと一度視線を合わせ、サザーランドへ向けて走り出した。
◇
身体強化魔法を駆使して、トーマスさんについて行く。
馬車の倍近い速さで走っているが、無理な速さではない。
とはいえ、このまま走り続けても到着は夜になるだろう。
魔力と体力が持つかどうか。
鎧も武器も置いてきた。
トーマスさんの指示だ。
トーマスさん自身は装備をつけたままで走っている。
「道中の魔物は全て無視です。進路上にいる魔物は私が排除しますから、アレク様は私の後ろをついてくることだけに集中してください」
「はい!」
トーマスさんは走りながら、後ろを向かずに指示を出す。
今は指示に従えばそれで良い。
トーマスさんが魔法を放つのが分かった。
視界の端で、ボアが一体飛んで行くのが見えた。
……
何時間走っただろう。
途中の休憩は一度だけ取った。
水魔法で水分を取り、僅かな休憩で走り出す。
少し前に日は暮れた。
辺りは既に暗闇の中だ。
俺は背中を見失わないように走り続ける。
「見えました」
トーマスさんの声にハッとする。
視界が広がり、街明かりが見えた。
サザーランドだ。
俺は気合を入れ直し走り続ける。
そして――城門に到着した。
◇
「アレク様!」
兵士が慌てて近づいてくる。
俺は地面に座り込む。
「伯爵に緊急の連絡を。ブリスト伯爵領の魔物領域で、魔物の氾濫の兆候を確認しました。念のため防衛の準備をお願いします」
「!? ……りょ、了解しました!」
「あと、アレク様が限界の様ですから、馬車の用意もお願いします」
「かしこまりました! すぐに連絡を入れます」
トーマスさんの説明の声と、兵士の慌てた声が聞こえる。
顔を上げる元気もない。
◇
「「「アレク!」」」
馬車に乗せられ伯爵邸に辿り着いた俺を、リア、セラ、アンジェリカの三人が迎えてくれた。
三人共少し動揺している様子だ。
「ただいま」
馬車に乗って伯爵邸に戻るまでの間に、少し落ち着いた。
三人の他にも、伯爵を始め大勢の人が集まっている。
「アレク様。入浴は出来そうですか?」
「何とか」
「では、軽く入浴をしてから食事を取ってください。伯爵への説明は私がしておきます」
「分かりました」
トーマスさんに指示され、浴室へ向かう。
伯爵家のメイドさんだけでなく、三人まで付いて来ようとする。
「俺は大丈夫だから、説明を聞いておいてくれ」
三人は不承不承頷いた。
浴室について来られても困る。
俺は十年近くぶりに、風呂でメイドさんのお世話を受けた。
一人で大丈夫と言ったのだが、聞いてもらえなかった。
しかし、体を洗う気力はなかったので、正直助かった。
メイドさんは俺を気遣いながらも、淡々と洗ってくれた。
まだ十三才だし、気にしていないのだろう。
◇
風呂から上がり、メイドさんに連れられ食堂に移動した。
食堂には誰もいない。
時間的に夕食は終わっているかも知れない。
まだ説明を聞いている可能性もある。
「普通に食べられますか?」
「出来れば軽食でお願いします」
メイドさんにお願いする。
すぐにサンドイッチが運ばれて来た。
入浴中に用意してくれていたのだろう。
ありがたく頂く。
俺が食事をしていると、トーマスさんが食堂に入って来た。
リア、セラ、アンジェリカの三人も一緒だ。
「私にも同じ物をお願いします」
トーマスさんはそう言って俺の正面の席に座る。
三人は俺の左にアンジェリカ、右にリア、その向こうにセラが座る。
「説明は聞いた?」
「ええ。大変なことになったわね」
リアが答える。
その表情は真剣だ。
「アレク大丈夫なの?」
「百キロ以上走ったと聞きましたわ」
セラとアンジェリカが俺を心配する。
そうか……確かに百キロ以上は余裕で走っているな。
「大丈夫だ」
俺は安心させるように言う。
メイドさんがトーマスさんのサンドイッチと飲み物を運んできた。
トーマスさんは飲み物を一口飲むと、俺を見て話し始める。
「伯爵は防衛の準備を始めました。サザーランドまで魔物が来るとすれば、明日の早朝くらいでしょう」
相当距離があるので可能性は低いと思うが、準備の必要はある。
俺は頷きを返す。
「オフィーリア殿下はこのままサザーランドに待機です。セラ様とアンジェリカ様も一緒ですね」
「サザーランドなら安心ですからね」
サザーランドは城壁で囲まれている。
守備兵もいるし、近衛騎士も付いている。
間違いなく安全だろう。
「私は明日王都に戻ります。ブリストにも魔物が向かっているでしょうから、騎士団が出る必要があるでしょう」
俺は頷く。
魔物狩りを怠るような家だ。
おそらく氾濫に対応出来ないだろう。
どう考えても騎士団が出撃する必要がある。
「アレク様はこのままサザーランドに待機――」
「俺も行きます」
トーマスさんが言い切る前に宣言する。
トーマスさんは困った表情を見せるが、すぐに諦めたように息を吐く。
俺の性格が分かっているからだ。
「分かりました。明日は伯爵から馬を借りて騎乗で行きます」
「了解です」
「指示には従ってくださいね」
「勿論です」
トーマスさんは俺の返答に微笑を浮かべる。
三人は心配していたが、大丈夫と言い聞かせた。
食後すぐに眠くなったので、部屋に戻り就寝した。




