第八話 適答
【帝国統括軍科学局 局長室】
机に向かうエーデルハイトは束ねられた資料を一枚、また一枚と捲っていく。綺麗に纏められた条件、細かく記録された経過観察、そして先日の東部戦線での結果。傍から見れば筋の通ったレポートであるが、エーデルハイトのそこにある矛盾に気付いていた。
「不愉快だ。」
感情を宙に吐き捨てる。眉間に皺を集め苛立ちを露わにする。
矛盾の気付いていたのは俺らだけか?いや、違う気付いた奴もいるはずだ。気付いて尚見過ごしている。ヴェルダンディ計画、本当の狙いはなんだ?
「・・・はぁ。」
溜息を一つ吐き出し、天井を見上げる。冷静さを欠くほどでは無いものの、苛立ちが募る。
何故マルクストは撤退も不可能な最前線にいたのだ・・・?
レポートの内容を見るに実験被験者の帰還引率する立場を任せられたでのあろう。だが、そもそも、実験被験者を戦地に送る必要がどこにある?
レポートを捲り、当該箇所に目をつける。そこには『極度の緊張状態により能力の覚醒を促す』と綴られている。エーデルハイトはここに違和感を感じていた。
能力の覚醒に極度のストレスが必要ならば、国内の大規模サバイバル演習でも行うなど方法は幾つかある。なのに何故、実際の戦地で無ければならないのだ。実験の成果が死ぬリスクもある。人的資源を無駄にする余裕など帝国には無いはず・・・、いや、そのリスクを考慮してもせざるを得なかったと考えるべきか。
エーデルハイトは自らの怒りを込め、奥歯を噛み締める。
ただ一人の友を立てぬ身体にした作戦。それにどこか裏があり、秘匿されている可能性がある。その事実がただただ苛立ちを増幅させていた。
コンコン。
ノックの音で我に帰り、表情を元に戻す。
卓上にあるマイクのスイッチ押し、マイクを口元に寄せる。
「入れ。」
自動扉が静かに開き、白衣を着た小さな女性職員が入室する。
「失礼しますわ。擬似転移実験についてのご報告にまいりましたわ。」
「ああ、わかった。後で確認する。」
手渡された紙とメモリーを机に置く。机の上はいつの間にか紙の資料で乱雑としていた。
「それでは失礼しましたわ。」
小さな職員は退出していく。それを一瞥もせず机を見つめるエーデルハイト。
作戦伝達の時間か、向かうか。その前に、一応は機密文書扱いの矛盾レポートを仕舞わなくては。
脳内を切り替えながら、ふと、一つ気がかりなことを浮かぶ。
あのような小さな職員がいたか―――?
【帝国統括軍本部B棟食堂】
クラリスタ、メリッサ、エリックの3人は夕食を終えたところであった。
「まさかお前らも実験ってのを受けてたとはなぁ。ただ記憶については納得いかねぇな。」
「あんたのはあたしらとはちょっと違うのよね。あたし達、自分の記憶ははっきりしてるし、入ってきた記憶が他人のものって客観視しているもの。たしかに最初は混乱したけど。」
「でも、もしかすると、後遺症にも強弱があって偶然にもクラリスタにだけ強いものが出たんじゃないかい。」
満腹による幸福感からか三者は先ほどよりも円滑に会話ができていた。
食堂に行くことを提案したのはクラリスタであり、それが幸をそうした形となる。クラリスタとしては、記憶が二重にある事については話しやすい雰囲気の場で話したかった訳であり、想像通りにガヤガヤとしている食堂がどこか落ち着いた。
「なんつーか、モヤモヤするんだよなぁ。あたしって何なのか記憶に頼れないのって。」
コップの水をグビっと飲み干し、溜息を吐く。
対するメリッサも紅茶を口に運ぶ。
「気持ちは分かるわ。記憶や記録って、とてもシンプルかつ有力な存在証明だもの。でも何らかの理由で志願して受けたんだから後遺症くらい割り切りなさいよ。」
「それなんだよ。」
クラリスタが食い気味に話を繋ぐ。
「あたし、どうやって実験受けたのかーとか、実験前後の記憶がどうにも出てこないんだよね。軍で必死こいてた記憶はあるんだけどさ。」
客観視するべきはそっちの記憶じゃないとは思うんだけどなー。
メリッサとエリック、両者が同じようなことを思った。
「実験は志願によるものだったはずだよ。」
「そうね。あたし、部屋に志願に関する要項の紙、まだ持ってるから証明できるわ。」
「いや、疑ってるわけじゃねーんだ。」
どこかしおらしいクラリスタが、手を振り否定する。
「あたしってなんなんだろなって考えちまうんだよ。今のあたしの感情の沸き起こりや癖、考え方も実験によって変わったのか、元々のものなのか、それって自分じゃわかんねぇじゃん?」
目を逸らし、天井の隅に視線を向けるクラリスタ。
「だから、なんなんだろうってな。ははは。」
中身のない笑いでお茶を濁す。
寒いこと言ってしまいこの場を取り繕う術を探していると、特別表情を変えることも無く、メリッサが口を開いた。
「馬ッ鹿ねぇ。そんなのなんだっていいじゃない。」
机にカップを起き、何食わぬ顔で続ける。
「今、ご飯食べてこうして喋ってるあんたがクラリスタ・ウェルハートでしょ?それだけ合ってれば十分よ。」
「いや、だから、それがあたしかどうか―――」
「人って変わるのよ。以前と違うのだって当たり前よ。気にすることじゃないわよ。」
――――スポン。
何かが心にすっぽりハマる音がした。
メリッサの言葉は傍から見たら暴論や極論の類であり、にこやかに見ているエリックも内心で主旨から逸れているような気がしていた。
それでも、クラリスタの心に空いた答えのない空欄に入れるにはこの暴論が最適だった。
中身を得たクラリスタは記憶のどこにも感じたことの無い満ち足りた感覚と手足に力が漲る感覚を覚えた。目は活力に満ち、自信を感じさせるものとなる。
そうして調子が戻ったクラリスタは、ニヤニヤとしながら視線を戻し、そのまま調子に乗る。
「メリッサ。」
「な、何よ、ニヤニヤして・・・。気持ち悪いわね・・・。」
メリッサは自分の言葉でクラリスタの心が満たされたなんて欠片ほども思っていない。
当然、唐突なクラリスタの活気に引く。
「助言の礼に一つ、良いこと教えてやる。」
「・・・何よ。」
「パンツの生地が裏表逆だぜ。」
「ッ!?!????????」
驚きと共に絶句するメリッサと大笑いするエリック。
「フビャハハハハ!!傑作だ!傑作!!ハハハ!!暴論流した本人のパンツがリバーシブル!!フビャハハハハハハハ!!!」
エリックは笑いの急所に入ったらしく赤裸々に笑い転げる。
顔をまるでタバスコでも塗ったかのように赤々とさせるメリッサ。
「・・・なんでそう思うのよ」
「そりゃあたしの能力だからだ。『超越視覚』」って言って周りが視えるし、中身も視える。自己紹介の時言っただろ?」
無言で席を立つメリッサ。そのまま廊下に出て御手洗に直行する。
ニヤニヤとしながら待つこと数分、耳まで唐辛子のようになったメリッサが戻ってくる。
その口はボソボソと何かを呟いており、クラリスタにのみ遠目から分かった。能力によって舌の動きや唇の動きを観察し、発音を推察するとこうだ。
『殺ス。殺ス。殺ス。殺ス。殺ス。殺ス。』
悪魔のような顔に震え上がるクラリスタと周囲、そして笑い転げるエリック。
この後、メリッサが能力を使おうとしたのを食堂全員で止めることになる。無論、作戦ミーティング時間に三人が遅れたことは言うまでもない――――。