第六話 了知
清潔感のある廊下を歩く二人。フロン・エーデルハイトとクラリスタ・ウェルハートはその微妙な距離感を保ったまま歩いていた。
「君の聞きたい事というのはなんだ。おおよそ憶測が付くが。」
「ああ、もう聞きたいことだらけ。なんであたし軍なんかにいるんだ?記憶が変なんだけど何?能力って何?それから―――。」
エーデルハイトは腕を挙げ言葉を制す。
「分かった。順番に説明しよう。」
同じような事を言った男が、納得いく説明もせず倒れたことを思い出す。
「私は君に関する実験資料をいくつか読んでいる。何よりも研究者だ。君の満足できる説明を用意できる。順を追ってな。」
「じゃあ、まずは―――。」
「君は実験の被験者だ。」
なんだコイツ。クラリスタは顳顬に青筋が立つのを抑える。
「人工異能研究 ヴェルダンディ計画。その第三期被験者だ。記憶の異常はその後遺症であると断言できる。」
「後遺症?いつ治るの?」
「治ら無い。治りはし無い。定着してしまった意識が回帰することは無い。」
完全な断定形を三度も言われ苛立ちが募る。
「今も二種類の記憶があるそうだな。」
「そうだよ。訓練みてぇなことしている記憶と汚い街で鼠のように生きてる記憶、その二つが合わさって変な感じの記憶になってる。あたしじゃない何かの記憶が入ってきてるみたいで気持ち悪ぃ。まさかこれって―――。」
「君の思いつきの通りだ。それは異なる二人の記憶、つまりは『クラリスタ・ウェルハートの記憶』と『あるもう一人の記憶』だ。」
エーデルハイトが足を止め、半分顔を向ける。
「ヴェルダンディ計画とは、人間二人の人格を融合させることにより人工的に能力者を創る実験だ。」
じっとエーデルハイトを見つめるクラリスタ。静かに息を呑む。
エーデルハイトは再度歩を進める。
「一番印象的な記憶はどんなものだ?」
「・・・店を襲ってる記憶だよ。生きるために金が欲しくてな。」
「生きるために仕方がなかった・・・と、いったところか。」
「ああ、その時はそうだった。今その記憶を思い返すとさ、あたしは『仕方なかった』と思ってるはずなのにさ、『ダメだ』って言う声が頭に響くんだよ。戦った時もそうだ。あたしがいた場所での血生臭い殺し合いを思い出してすごく興奮していたのに、最後になって頭で五月蠅く声が鳴ったんだ・・・。『それ以上はダメ!』『やめて』って騒がしくさ。それ聞いてるうち冷めてきてよ。意識も遠くなったんだ。あー、自分でも頭おかしいと思えてきたわ。ははは、この後遺症ってやべぇのかな・・・。」
誰も通らぬ廊下をに歩く音が響く。エーデルハイトは何も答えぬまま進んでゆく。
階段で二階ほど上がり廊下を歩く。八つほど先の扉の前で止まり、ここまで閉ざしていた口を開く。
「本来のクラリスタ・ウェルハートという人物は、気が弱く、体力も無く、訓練成果も著しく低い、そんな一兵に過ぎなかった。だが君は違う。おそらく融合対象の人格が表になっているのだろう。それにより君は辛いであろう。苦しいであろう。永遠に苛まれるかと思う。だが、一つ、“その状態”の君のおかげで変わったことを見せよう。」
ノックをし扉を開く。
病室の中にベッドを囲むように大小の機器が並んでいる。機械から管が伸び、それはベッドに横たわる者に届いていた。規則的な機械音と共に液晶には様々な数値が羅列されてゆく。
クラリスタの目から見ても事態は察することができた。植物状態かつ症状が重い患者である、と。
「・・・エーデルハイトさん、来てくれたんですね。」
ベッドの隣で椅子に腰かける女性がいた。腰を曲げ蹲る形で居たようでクラリスタはその言葉を聞こえるまで気付くができなかった。その女性の元にゆっくりと近づく。
「手ぶらで申し訳ない。何かご入用な物はありますか。」
「いえ、大丈夫です・・・。えっと・・・、そちらの方は?」
視線がクラリスタへと向く。その目は充血しており周りも赤く腫れていた。か細く擦れた声も相まってこれ以上に無い悲愴を伝える。化粧っ気のないその顔から普段は穏やかな美人であろうことが窺えるがそれがより悲痛の念を訴えていた。
「ご主人の部隊の生き残りで、今回の帰還任務の対象であったクラリスタ・ウェルハート一等兵です。」
「ど、どうも・・・。」
何と言っていいか分からず、適当な一言と共に軽く頭を下げる。
「ミシェル・エルートです。ご苦労様です。」
ジワっと脂汗が全身から出る。目の前の女性から目が離せなくなり、鼓動が急激に早まるのを感じる。
混沌とした記憶群の中でも近い時間の記憶。血生臭い記憶。脳裏をそれらが巡っているうちにクラリスタは無意識に俯いてしまっていた。
「ウェルハートさん・・・。」
クラリスタの肩がビクッと揺れる。後ろめたさがあったからだ。
あの時、クラリスタは視えていた。ギルデバートという男の挙動や動きが視えていた。最後の最後で急襲されるのすらも誰よりも早く分かっていた。それでも近づかれるまで手も口も出さなかった。
楽しかったから。これから起こるあたしとアイツの駆け引きに興奮していてそれ以外どうでも良かった。避けれない方が悪い。対応できない方が悪い。あたしは悪くない。
俯きながらもベッドに視線を移す。包帯と管で覆われたその痛ましい者にやはり見覚えがある。
あたしは悪くない。あたしは悪くない。あたしは悪くない。
これから受ける言葉を想像し身構える。
「マルクストさんを救ってくれて、ありがとうございます。」
ミシェルは穏やかな笑顔でそう言う。対してクラリスタはその言葉を受け取れきれずにいた。
自分は悪くないと開き直ることで守っていた自責の感情に皹が入る。
「で、でも、エルート曹長は重症を・・・。」
「それでも生きています。あなたのおかげで生きています。」
言葉を失う。
記憶のどこにも経験したことのないような感情でいっぱいになる。腹の奥が熱くなるように感じる。
言葉が出せず、何かが詰まっているかのようになる。
痛くも無いのに目が潤っていく。
その全てが初めての感覚でクラリスタは大きく戸惑った。
「長居してしまい申し訳ない。我々も次の作戦のためにこれで失礼する。」
俯いた状態から動けなくなったクラリスタの肩を掴む。
「また来てくださいね。エーデルハイトさんと喋るのマルクストさん大好きですから。」
ふふふ、と笑いながら再度腰を下ろす。
軽く一礼しエーデルハイトが病室を出る。クラリスタも俯いたまま病室を後にする。
「気丈な女性だ。」
廊下に戻ってすぐにエーデルハイトが口を開く。
「自分の愛する者があんなにボロボロになり、悲しみに覆われてしまうところ耐え抜いている。・・・マルクストはいい女性とつがいになった。」
クラリスタは無言で俯き続ける。
「我々にとって最重要なことは分かるか。」
「・・・・・任務だろ。」
「そうだ。もし、あの場『以前のクラリスタ・ウェルハート』だった任務も命も無かっただろう。マルクストは無駄死にする。だが、クラリスタ・ウェルハート一等兵。」
エーデルハイトが唐突にクラリスタの軍服の襟を掴む。
「どういう形であっても、マルクストと君は生きて帰還した。君があの場でとった行動のおかげでマルクストは帰還できた。“今のクラリスタ・ウェルハート”のおかげでマルクストは救われたのだ。」
「あたしのおかげ・・・。」
エーデルハイトはゆっくりと手を放す。
「私の友人を救ってくれてありがとう。」
その長身を曲げ、頭を下げる。圧迫感のある謝罪に少したじろぐ。
すぐに態勢を戻し言葉を続ける。
「能力は精神状態によってパフォーマンスが変わる。これを機に記憶との向き合い方を変えるといい。」
「おうよ。覚えておく。」
真っすぐエーデルハイトを見て応える。唇を片側だけ吊り上げ、不敵な笑みを作っていた。
「次は今後の作戦についてだ。少し待たせているので迅速な移動で済ます。」
そう言いながらクラリスタの肩に触れる。
何をする気なのかクラリスタが聞こうと口を開きかける。
「目を閉じろ。酔うぞ。」
遅すぎる注意勧告と共に二人は煙のように廊下から消えた―――――。