喪服をまとう少女
牡丹の花が開くころ。わたしは時折外出を許されるようになった。勿論日の高い時間帯だけ、そして下女の一人を連れて。
実質的な婚姻がなかったけれど、わたしが普通の衣装を着て外をうろうろするのはあまり良いこととは言えない。まあ女は基本的に家の中にいるものだけれど。それでも、少しは控えめにした方がいいかと、素衣をまとった。一緒にいる下女のほうが余程、派手な装いになっているのはまあ当然か。本当に喪に服すなら墓の前に庵を立てて三年程過ごすのだろうけど。尤も、わたしの衣装を喪服という意味では誰も捉えていないに違いない。世間的には喪服とはいえない衣装だし。ただ、わたしの自己満足の発露なのだ。
出かけた先で、幼馴染や顔見知りを少し見かける。出歩く習慣がないので、顔を知っているのはごくわずか、幼い頃からの友人たちか、親族くらいだ。でも今日会ったのは、そのどちらでもない。人目を惹くその顔立ち、溌溂とした声は人の耳を欹たせる。いや、むしろ目に飛び込んでくると言った方が良いのか。思わずそちらを向いてしまう何かが、その稚い少年にはあるのだ。
「あったるよー! 占い、どうだーい?」
思わず綻んでしまった顔を、誰にも見られないようそっと引き締める。
「こんにちは、阿蘭」
緩んだ顔を引き締めたことで、顔が引きつっていないか少し不安だけれど、そこは大丈夫だと思うことにする。
「あ、ねぇちゃん! 久しぶり。今日も可愛いね。今日はただって訳にはいかねーけど、安くしとくよー。どうだい?」
そういえば前回は結局お代は払っていなかったのだったと今更ながらに思い出す。彼の占いは当たるようだし、小遣いで何とかなる程度なら、今後のことを見て貰うのも悪くはない。
「あまりお小遣いはないのだけど、払えるようならお願いしたいわ。おいくら?」
にかっ、と笑った顔の隣で、指が二本。銭はあまりないけれど、そのくらいの支払いなら何とかなる。というか、あまりにも安いので彼の生活が大丈夫なのか、不安になった。
「あ、まだ修行中だからね。でもねぇちゃんは可愛いからもっと安くしてる」
割引が効いていたらしい。毎回だと申し訳ない気もするけれど、そんなに何度もお願いするとも思えないし、今回はお言葉に甘えることにしてみよう。
「ありがとう。じゃ、お願いする」
下女に持たせていた手提げから、銭を二枚取り出してそっと手渡す。
「占い終わってからでいいのに。じゃ、早速見るね。ねぇちゃん、特に知りたいのは縁組かい?」
当たったことを知っているような口ぶりだけれど、占師とはそういうものなのだろうか。少し不安にならないでもないけど、わたしはそっと頷くだけに留めた。
「判った。……」
何かを口の中で呟いていたようで、内容は聞き取れない。けれど、その真剣さは疑いようもない程で、わたしは驚いていた。目を細めて集中する少年の姿は獲物を前にした猫のよう。うねるような髪も深く影を落とす長い睫毛も微動だにしない。彼が本当の意味での占師であることを、わたしは悟った。
「………」
暫くして、漸く阿蘭は口を開いた。
「婚姻は乙巳」
今年は甲辰。そして乙巳は来年だ。そして婚姻そのものが来年ということは、その前に縁談が決まるということになる。何年も寡婦のままではいられないだろうとは思っていたけれど、来年ということは、父はもう相手を見繕い始めているのかも知れない。普通の嫁入りの支度で半年から一年程度はかかるのだから。わたしはもうある程度用意は出来ているので、話が決まってしまえば普通の嫁入よりは早く祝言を挙げることが出来るだろうけれど。予想以上の時間のなさに、頭を抱えたい気分になった。はしたないのでしないけれど。
「前の占いが的中していたから、きっとこれも当たるわね。……阿蘭、ありがとう」
一瞬の躊躇いのあと、そっと息を吐きだすように阿蘭が続けた。
「ねぇちゃんとの相性は良いみたいだ。……ねぇちゃん、今日は”喪服”だね?」
思わずとくん、と心の臓が大きな音を立てて、わたしは襟元を引き締めた。
「……なんで?」
首を傾げて訊ねてみると、阿蘭は困ったようにそっと笑った。
「ねぇちゃんは、貞女だからさ。親に先立つ子供の喪に服してくれる人はそう多くはない。だから、暫く……縁談が決まるまでは、って着てたんだろうなって」
そう思いながら身に付けたのはわたし自身だが、それを誰にも言ってはいない。十になるかならずか、そんな年齢の阿蘭がそこまで考えを巡らすとは思わずに、動きを止めてしまう。
「ねぇちゃんの優しさは、心に染み入ると思う。だから、大事にしてやって。父ちゃんも母ちゃんも家族も知らない、孤独なにぃちゃんを。最初の家族になれるのは、ねぇちゃんただ一人だから」
どこか切なさを秘めたような、透き通るような笑顔は、壊れてしまいそうな儚さに満ちて……それからまたいつかのように、ふっと消えてしまったのだった。夢見心地なわたしと下女を残して。
牡丹は日本では大体陽暦の五月から六月くらいが開花時期でしょうか。古代中国だと陰暦になりますので、暦の上では四月から五月、つまり季節としては夏の始まりくらいというところです。
※修正しました。うっかり間違えて逆に書いてました。
親の喪に服す場合は足掛け三年というのが古代中国の常識です。具体的には、生まれてから自力で歩行出来るようになるまでの期間だったかな。
晏子などの業績を紐解いてみると、主君の喪に遭遇した場合に不思議な踊りをして嘆く場面が出ていたりします。親の場合は墓の傍に簡素な庵を建ててそこに住まい、親から受けた恩を返すためにお墓にお仕えするという儀礼があります。
現代日本ではあまり馴染みのないことですし、親ではなく夫それも実質的な婚姻をせぬままの仮夫のままで亡くなりましたし、葬儀には許のお嬢さんは参加していなかったようなので、この辺は割愛と致しました。
占いの場面を出したくて、久しぶりに易経を開きました。幾つかの卦を参考にしましたが、いい台詞に出来なかったので、今回は断念しました。
そして実質的な婚姻が終わってなかったので未婚の未亡人という微妙な立場になった許のお嬢さんなんですが、この当時は衛生環境も宜しくなかったので若死にも多かったようです。
ただ、仮の”夫”だった青年(年齢差が結構あったらしいです)を悼む気持ちから、喪服をまとっていた訳ですが、それを阿蘭に知られてちょっと吃驚。
そしてこのあとの母子↓
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