祭りのあと
女性の生理現象が少し出て来ます。
お嫌いな方はお戻り下さいませ。
元宵節が終わって暫くして、漸くというか、とうとうというべきか。子供だったわたしは、女になった。
初潮の訪れはどこか面倒なのは仕方ない。数日のこととは言え、お腹は重くて怠くて痛いし、自分の体から流れているさまを見るのは、正直恐ろしくさえある。ただ、家族は皆、喜んでくれた。その先にあるものがわたしの嫁入りであることは判っているだろうけれど、大人になれたことを純粋に祝う気持ちはあるのだ。どことなく鬱陶しさを覚えるけれど。
数日後に、夫であり実質許婚の欧侯さまのお宅から、使いのものが来た。祝言のことについて半年程後に、と先日はご連絡頂いていたようだから、そのことについての打ち合わせでもあるのかも知れない。前回はとても慌ただしい有様だったから、今度はお祝いのお品を届けに来て下さった使者だろう、と父は赤ら顔で上機嫌に呟いていたが、その使者の様子はどこか物々しく感じられた。暫時使者は父母と話をしていたようだけれども、使者が帰る際一緒に出てきた両親は、先程の上機嫌が嘘のような顔をしている。青白く、血の気が引いたようなさまに、気分が悪くなったのだろうかと少し心配をしていると、使者の見送りの後で父の部屋へ呼ばれた。扉を開けて中へ入ると、片隅の椅子に母が座り込み、目元を赤くしているのが見える。
「平児」
痛ましいものを見るような眼差しに、心の臓がとくん。と大きな音を立てた気がした。
名前でなく、愛称で呼ばれるのは、久しぶりだった。
「お前は、寡婦となった」
絞り出すような言葉に、頭が真っ白になる。私は処女だけれど、婚姻は済んでいるから、世間的な扱いは欧侯さまの妻である。寡婦ということは、嫁ぐ筈だった欧侯さまがお亡くなりになったということ。実質的な婚姻はまだだったけれど、扱いは未婚の娘のそれではない。
「済まない。お前に良かれ、と思っていたのに」
先を見据えてしっかりとした婚家を探した筈だったのに、婚姻が完了する前に婿が亡くなった。それは父の予想を超えていただけで、父に非がある訳ではない。それは理解している。ただ、唐突に変わってしまった様々なことに、ふっと寄りかかっていた何かが消え失せてしまったような気がした。足の下の地面が、前触れもなく消失してしまったかのような。
「いえ。父さまのせいではないわ」
それだけ応えるのが、やっとだった。部屋の隅に座り込む母は、絶望で涙をぼろぼろと零していた。それはそうだろう。許婚の欧侯さまは少し格上の、裕福な家の跡取り息子でいらしたのだ。娘の先行きが安心だと日頃から言っていたのに。
「急な病で、あっという間だったそうだ。……葬儀は、お前は参加しなくとも良い、と」
それはそうだろう。同じ屋根の下に住むこともなかった妻だ。それどころか、お会いしたことさえない。祝言の日が初対面だろうかと思っていたまま、彼岸の人となられた方の顔を、見に行く勇気などあるはずもない。
冷たいことだ、と言われるかもしれない。けれど、あちらでもそれは同じだろう。寧ろわざわざ出しゃばるような真似をしたところで、いい顔はされないに違いない。
「そうね。……わたしは寡婦だけれど、その方がいいでしょう」
両親はわたしに要らぬ傷を負わせてしまったと思っているだろう。未婚の娘としてはもう扱われることはないけれど、わたしの年齢ではそれは普通のことだし、むしろ嫁いだ直後に事故か病気かで夫に亡くなられたほうが、面倒だっただろう。
そう思えば、ある種の自由を貰えたような気分になった。もっとも、このままで一生居ることは出来ないだろうけど、次の縁談があるときは、少しはわたしの意見も聞いて貰える可能性がある。それを考えれば、悪いことでもないように思えた。
「わたしは部屋に戻ります。お気遣い頂いてありがとう、父さま、母さま」
なるべく控えめに微笑んで、わたしは自室へ戻った。寡婦が華やかに笑うのは、不謹慎だから。
会ったことは確かになかったけれど、幼い頃から夫として教え込まれてきた方が亡くなった、というのはそれなりに衝撃があった。葬儀では、作法に従って激しく慟哭し、その死を嘆き、思うさま泣かねばならない。けれど、嘆き、涙し、悼むには、わたしは夫であった欧侯さまを知らな過ぎたのだ。生前の面影を思い浮かべることすら出来はしない。どう振る舞うのが正しいのかも判らないまま、わたしは自分にも出来ることをひたすら模索し、ただ、夫であった人の安らかな眠りを祈ることにした。それくらいなら、許される気がしたから。
祈り終えたあと、どこか遠くから幽かに聴こえてきた音色が、わたしを現実に引き戻した。あの元宵節の夜に小張が奏でていた、あの音色が。そして同時に、わたしはあの辻占の、美少年の予言を思い出した。
予言は、的中した。わたしの縁談は、本当に壊れたのだ。わたしに、寡婦という傷を与えて。
許のお嬢さんの本名は「許 平君」です。
中国では、身近なもの、かわいらしいものに「児」をつけたり、名前の一文字を二度重ねたり、或いは「阿」の字を名前の一文字の前につけたりします。
平君という本名の場合、付けられる例は
1、平児
2、平平
3、阿平
などでしょうか。印象としては「ちゃん」とか、まあそのあたりですね。
なお、「君」はこの当時の女性名に良く付けられる文字でした。日本女性で多い「子」や「美」などが近いでしょうか。3の例は許のお嬢さん自身が辻占の少年に使ってますね。
そしてこのあとのお話。
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