元宵節の夜
正月が歳首になったのは、先の帝さまの代からだと聞いているけれど、それまでは秋の頃が一年の始まりだったらしい。かじかむ指にそっと息を吹きかけてみるけれど、中々温まってはくれない。
当代の帝さまはこの正月に元服を迎えた。そのせいか、どこも浮かれたような空気が漂っている気がする。
勿論庶民が帝さまの儀式に関わるようなことはないのだけれど、お祝いということで、長安の街の様々な場所で上等のお酒やお肉が振る舞われたりもするのだ。
お祝いを免罪符に、飲んでいる人も多いので、そちらには近づかないように気を付けてはいるけれど、都全体が浮き足立っているようだ。
危ないところには近寄らないようにしていたけれど、雰囲気がいつもと違うせいで、知らぬ間に道を逸れていたらしい。気付いたら、見慣れない路地に入りこんでいた。
日は長くはない。年明け早々だから仕方ないけれど、日が落ちたら閉門が始まってしまう。閉門してしまえば、その場所から朝まで動くことは出来ない。
背中を一滴、冷や汗が流れて、思わずぶるっと身を震わせる。自分一人で過ごすにしても屋外は困る。そして他に人が居たら身の安全が確保出来るか判らない。わたしは既婚者ではあるけれど実質的な婚姻はまだなので、貞操の心配もしなければならない。何より、朝まで起きて過ごすとしても、体力がもつかどうか。
「あれ……? 許のお嬢さん?」
その時、どこかのんびりした声が背後から聞こえて、わたしは振り返った。そこには、昨年春にお世話になった小張の姿が見える。着物を着崩して、あまり褒められた恰好ではないけれど、八方塞がりで困っていたところに現れた知人にはほっとさせられた。
「小張?」
小張は一人ではなかった。一緒にいるのは、大張でもなく、釵の時にお世話になった人でもない。おじさんという程年配ではないけれど、近い年齢とも言えない。気を遣って、「お兄さん」と呼んで差し上げるのが無難、と言ったところか。人相はあまり宜しくない気がするけれど、小張と比べたらそれは気の毒というものだろう。小張はまだ十代半ばくらいだろうけれど、非常に整った顔立ちをしている少年だ。わたしの周囲、従兄弟たちや父や伯父たちなどと比較するくらいで丁度いいはずだ。……たぶん。
「許のお嬢さん、そろそろ坊の閉門時間だけど、もしかして道に?」
「……いつもと雰囲気が違って、どこかを曲がり損ねたらしくて」
そっと目を逸らすくらいは許されていいと思う。弾けたように笑う声が聞こえて、そちらを見ると、小張がはっきりと笑っていた。それはもう、盛大に、楽しそうに。
「しっかり者の許のお嬢さんが迷子ねぇ。ちょっと吃驚したけど、ほっとしたよ。時間もあまりないだろうから、送って行こうか」
「え、でもわたしを送って行ったら小張が帰れなくなるんじゃ」
「大丈夫。許のお嬢さんよりは早く走れるし、私はいろんなところに知り合いが多くてね。一晩くらいなら泊めて貰えると思う」
そう言って微笑むさまは、お伽噺の公子みたい。端正な顔立ちに甘い微笑みって、本当にすごい。その微笑み一つで何でも頷いてしまいそう。わたしは躊躇ったけれど、帰宅出来る機会を逃したくはなかった。もう日は大分傾いている。
「ご迷惑でないなら、お願いします」
「喜んで」
そしてすっと手を差し出す。え?と思う間もなくしっかりと手を握られ、軽い足取りで小張は歩き出した。
「じゃ、慶兄さん。またね」
「……ああ、またな」
小張と一緒に居た男性は、呆れたような声で返事をした。そういえば紹介もされなかったけれど、急いでいるからなのか、それとも小張が忘れていたのかは判らない。とりあえず、軽い会釈だけしてみると、応えるように掌がひらひらと翻るのが見えた。
「小張、今更ですけれど、あの方とのご用事はお済みになったんですか?」
「用事があった訳じゃないけど、とりあえず今は許のお嬢さんを家に帰す方が先だから。急がないと本当に坊の門が閉じられてしまうからね。野宿したことないでしょう?」
その通りではあるけれど、迷ううちに結構な距離を歩いていたらしく、ある程度道の見当がつきそうなあたりに着いた頃にはかなり危険な時間になりつつあった。
「それより。そろそろ、場所は大体判るかな? 確か小蘭の占いのお店の前を通るって言ってたよね?」
「そうです」
「少し急いだ方がいいね。ちょっとごめん」
後半は少し早口に呟いて。
「え?!」
急に抱き上げられて思わず声を上げる。まだ大人とは言い切れない体だけど、徐々に大きくなっているし、そろそろ母と目線が同じになろうとしているのだ。小さくはない。そして軽くもない。
「舌を噛むと痛いから、口はしっかり閉じていてね」
楽し気に囁くと、小張は一緒に歩いていた時の倍以上の速さで道を急ぎ始めた。不安定な体勢が怖いけれど今はとりあえず落とされないように指示に従うほかはなさそう。多分私の眉は八の字みたいな形になっているに違いない。でも同時に、楽しいような気がした。既婚者という身分からするといけないのだろうけれど、こんな状況はもう二度とないように思えた。少しだけ、この状況を楽しんでもいいだろうかと思い始めるころには、自宅の近くにたどり着いていたらしい。閉門を促すように太鼓の音が響いて来る。
「間に合った!」
そう小張が走りこんだ先は、わたしの自宅がある坊の門だった。けれど、もう門は閉まろうとしている。これでは、小張が住まいに辿り着くころには、そちらの門が閉まっているのではないだろうか。と不安になった。門の中で地面に降ろして貰うと、そっと小張の袖を掴む。はしたないけれど、でも恩人を放っておくわけにもいかない。
「別棟に泊めて貰えるよう、家族に頼んでみますから、少し待っていて下さい。この時間ではおうちの坊へたどり着けないでしょう?」
「え?でも」
わたしは身を翻すと四合院の中へ駆け込んだ。
家族や使用人には少し呆れた顔をされてしまったけれど、小張にお世話になったことを説明すると、仕方がないという顔で受け入れて貰えた。男を引っ張り込むとか言われても仕方がないけれど、だからと言って、自分が野宿せずに済んだのに、恩人に野宿をさせるのは違うと思うので、いろんなことに目を瞑った結果だ。少量の湯を差し入れたのは、わたしを抱き上げて走った時に汗をかいていたからだけど、少しでもさっぱりして貰えるといいと思う。流石に衣類の替えは用意出来なかったので申し訳ないのだけれど、明日の朝までの辛抱と思えば我慢してくれるだろう。私が独身男性の泊まる部屋に入るのは不味いので、使用人に世話をするように指示を出す。でも「身綺麗に出来た、お湯をありがとう」と伝言を貰えたので、自己満足だけど良かったと思えた。安心したわたしも身なりを整えて、すっきりした気分になった。
急なお客人ではあったけれど、適当に夕食の準備は済ませてくれたようで、そちらも小張からは「ごちそうさま」という言葉を貰った。迷惑をかけたのはこちらなのだから、それは当然なのだけれど、小張は素直に感謝の言葉をくれる。とてもいいお家の生まれなのだろうな、と思えた。着物は着崩していることも多いけれど、品質は悪いものではないし、言葉遣いも悪くはない。市井に紛れて生活をしているようだけれど、馴染んではいても目立つ人ではあった。どういう人なのだろうと好奇心が首をもたげて来るけれど、詮索するのは良家の子女としては宜しくない。いろいろと気になる要素を持っている人だけれど、そのことはさておき、踏み込み過ぎるのは危険だと頭の中で警鐘が鳴った。……もう、遅いかも知れないけれど。寝間着に着替えて自室の牀に横たわる。目を閉じると、あの、飾らない笑顔がふっと瞼の裏に浮かんだ。わたしは無理矢理意識を闇に放り込んで、夜の静寂の中に揺蕩うことに決めた。
小さな音が鼓膜を揺らす。それはとても綺麗な、やさしい音色だった。人の話し声よりも小さいけれど、何故かはっきりと聞こえた。離れた場所から響いて来るけれど、耳にやさしい音は、眠りに誘うようでいて、覚醒を促すようにも思えた。わたしは牀からそっと身を起こして、音色の方へ足を向けた。
月の光に濡れた中庭に、人が居るのが見えた。
一月が歳首(年のはじめ)になったのは、武帝年間のことです。
当代の帝さまこと、前漢の昭帝は元服時十八歳。
許のお嬢さんは歳が明けて十三歳になったので、年齢差としてはありというところでしょうか。そういうこともあって、家族はさっさと婚姻させておいた訳です。
閉門。不夜城は宋の時代からですので、古くは、日が落ちると細かい区画で割られた地区ごとに閉門してしまい、移動することが出来なくなりました。
大体、江戸時代の長屋みたいな感じでしょうか。
中国歴代の城下町は日本のそれよりも、欧州の城下町の方が近いようです。つまり、町の境をぐるっと巨大な塀が囲み、要所に大きな門が幾つかある感じですね。その中に街があり、城や宮がある感じです。
有事の際には町境の門を堅く閉ざすので、城門の中は比較的安全だったと言えると思います。その代わり籠城などをやるとかなり悲惨なことにもなるんですが。
家屋。漢代の建造物の資料を確認しておりましたら、漢代の四合院の建築模型のようなものの写真を見つけ、文中に入れてみました。三階建ての家屋などもあったようです。
公子。「貴公子」という言葉がありますが、秦以前の周代~春秋戦国時代は、「王」は周王か、覇者となった王の自称「王」でした。周代は王以外の領主が各地に居て、領地の規模などによって格式が整えられていました。公・侯・伯・子・男という爵位もその格式の一つです。公は格式高い領主の一つですが、その領主の子を「公」の子つまり公子と呼びました。王の子が王子なのと同じですね。貴公子というのは、貴い「公」の子、身分の高い人の子供という程度の意味合いになります。「公子」は現代日本で思い描く「王子様」に近いものと言えるかも知れません。国の名前+爵位でその領主を呼ぶ名称となるので、杞という国があって爵位が伯なら「杞伯」となります。因みにこの杞は「杞憂」の語源だったりしますので、興味がありましたら是非調べてみてください。
因みに皇帝は秦から。それまでにない称号を、ということで、「三皇五帝」から「皇帝」が作られました。「始皇帝」は最初の皇帝という意味です。
お嬢さんが迷子になってた頃のやんちゃ系美少年とその母の話。
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