占いのゆくえ
「そういえば、名乗っていなかった。張が二人で年齢差があるし、大張・小張でいいけど、私のことは白玉と呼んで貰っても構いません」
本名を呼べるのは、親か、身分が上の者だけだ。白玉というのが字か雅号か何かなのかは判らないけれど、呼んでも差し障りのない呼称ということなのだろう。呼ばないが。
女に名を訊ねるということは求婚になってしまうので、私は名乗らず、そのまま許のお嬢さんで通すことになった。
手伝いに店に行くことになった私を翌朝から小張は迎えに来るようになったのだけど、予想以上に色々出来る人だった。釵を彫るくらいだから当然手先は器用なのだけれど、掃除・洗濯・料理そして裁縫に至るまで、「ちょっと下手だけど」というのが明らかに謙遜でしかないことが判る出来映えで、壁に何気なく飾ってあった見事な刺繍まで小張が刺したと聞いた時には眩暈を起こしそうになったけれども、彼が壊れた分の釵の補充のための作業をする間、私は店番と簡単な掃除をすることになった。
もっとも、手伝いは補充のことだけでなく、大張の到着が更に遅れていることも大きい。明日には都、というところで、大規模な崖崩れがあって、予定がすっかり狂ってしまったようだ。もう市の時期も終わってしまう。市井の人々向けの安価な商品の殆どは、小張さんが補充しつつ適当に売れているけれど、大張でなければ会えない顧客もいるらしく、それは高級品ばかりのようだった。まあ、それは市に関係なく、個別にお宅訪問して販売するようだ。高価な品だしゆっくり見たいだろうから、それは当然と言える。
「こんにちはー」
澄んだ高めの声がして、わたしは店先に出る。女の子と言っても通用しそうな程愛らしい美少年がそこにいた。どこかで見たような、と首を傾げて思い出す。
「辻占さん、だったかしら」
「おねえさん、また会ったね。そう。いつもあの辺りで辻占やってるから、今度来てね。失せ物訊ね人なんでも来いだから」
挨拶が一段落した頃を見計らうかのように、小張が店先へ顔を出す。
「やあ、小蘭。いつもありがとう」
「白玉兄さん、こんにちは。これ、今回の納品だよ」
見れば、持参した籠には竹や木の屑のようなものがぎっしり詰まっている。
家具や家屋を作る際に使った残りだろうか。しかし釵程度の小さなものを作るのには不自由ない。
「いつも助かるよ」
籠を受け取ると同時に、隣に置いた籠を渡す。それは、先日の騒ぎで壊れた釵がまだ幾つか入っていた。
「あれ。白玉兄さん、これ捨てちゃうの?」
「ああ、先日ちょっとした騒ぎがあって、割れてなぁ。もう使えないだろ? 薪にしようかとも思ったんだが」
薪にするには忍びなかったらしい。折角彫ったものだから気持ちは判る。
「え、これ、上手くやればまだ売れるよ?」
「は?」
がらくたの山にしか見えない。そう返そうとすると。
「ほら、こことここは切り離して、この部分を別の釵に付ければ、飾りになるでしょう?」
「接合はどうするんだ?」
「両方にそれぞれ穴をあけて、綺麗な色の糸でつないだら?」
思いがけない提案だった。多分、小張も予想外だったのだろう。切れ長の目が丸くなっている。
「なるほど。非常に上手いやり方だな。糸なら色で変化もつけ易いし」
「それに、細い部分も幾つかまとめて糸に付けてみれば、いい飾りになるよ。この木は軽くて硬いから、ぶつかり合うといい音になる。ほら」
布の上に置かれていた木くずを、板の上に幾つか転がしてみると、なるほど爽やかで軽やかな音が響く。
「……きれいな音」
思わずそう呟いていた。きらきらとした音の粒が、あたりに散らばっていくようだった。
「おねえさん、気に入ってくれた? あ、ぼくはこの店に出入りしてるんだ。蘭って呼ばれてるよ」
「蘭……、阿蘭?」
戸惑いつつも、そう訊ねてみる。
「そういう呼ばれ方をしたのは初めてだけど、それが呼びやすいならそれで構わないよ」
はきはきと、にこやかに応えてくれる姿に、思わずこちらの頬も警戒心も緩む。
「ああ、そうだ。おねえさん、白玉兄さんに貝の釵を頼んでおくといいよ。おねえさんの正式な嫁入りのころには、いいものが入ると思う。じゃ、ぼくはそろそろ行くね。白玉兄さん、さっきので儲けたら今度ご馳走してね。またねー」
嵐のように去っていくのをただ見送るしか出来なかった。
「貝の釵……? わたし、捜していたものをあの子に話してたかしら?」
呆然と呟くと。
「不思議な子だよね。いつも謎だと思ってるんだけど、毎回都合良く現れるから、不思議で仕方ない。まあいつも助かってるから余計な詮索はしないけど、今日だってあと一本で今ここにある木が全部使い終わる予定だったんだ。それから呼びに行こうと思ってたのに」
そう言って掌を開いて見せる。
中には、もうあと一息で完成しそうな釵があった。
そういえば、と思い出す。あの辻占の少年との出会いは、今の縁組が壊れるというものだった。わたしはまだ実家に住んでいるけれど、手続き上は既に嫁いだことになっている。幼い頃に縁組を決めた多くの家のご多分に漏れず、初潮が来て実際の婚姻が結べるようになるまで、実家で暮らすことを許されているのだ。だから、わたしの現在の身分も『許のお嬢さん』ではなく、『欧侯の奥さん』というのが正しい。しかし、破談になると阿蘭は言っていた。辻占が当たるのなら、この段階で破談に出来てしまうような何かが、これから起こるというのだろうか。それこそ、婚約者--いや、夫と言うべきか。わたしの連れ合いになった男と、わたしのいずれかが急な病とか事故で亡くなるとか結婚出来なくなるとか、そう言ったことでもない限り、ないように思うのだけれど。あとは、縁組の横槍だろうか。身分が上の人から圧力を掛けられたら、難しいかも知れない。でも既に婚姻が成されているのに、今更横槍が入るとも考えにくいのだけれど。思考はまとまらないまま、わたしは首を軽く揺すって、余計な考えを頭から追い出すことにした。
大張・小張はどちらも「張さん」と振り仮名を振っていますが、字面で「(年上の)張さん」、「(若い方の)張さん」程度の意味になります。
年配の方などを敬った言い方だと「老」、かわいいものなどに、親しみを込めて「阿」を使うこともあります。
字は、同姓同名が多かった中国の習慣の一つで、人名の一つの要素と言うところでしょうか。
日本のように複字姓(二文字以上の姓)が多ければそうでもないのですが、一字姓が大多数で、複字姓も種類・数ともにかなり少な目です。また、名付にはある程度流行のようなものもあって、同姓同名の多さは日本の比ではありませんでした。そのために、姓名の他に字、雅号、出身地、親の名前などを添えて、個人を特定するように努力していたようです。
幼名を付ける場合もありますが、本名を「諱」ともいいます。その名に使われている文字に対して、目下の者は皆敬意を払わなければなりません。例えば、皇帝の名前に使われている文字が使用禁止になったりとか、親の名前の文字をそのまま口にすると親不孝ということになったりします。
実際に呼ぶのは姓+役職・立場名などにすることが多いですが、そういったものがない或いは無関係である場合などに字などが使えます。名に関連して付けられる場合もありますし、兄弟順が判る文字を入れることもあります。判り易い兄弟順の例は「伯・仲・叔・季」でしょうか。字などにこの文字が入っている場合、伯だと長男、仲が次男、叔が三男で季は末っ子となります。
そして結婚。幼い頃に親が決めるというのはこの時代は普通でした。そして、多くの場合は婚約でなくて結婚です。ただし、実際の結婚は無理という場合、結婚出来る状態になるまで実家で暮らし、状況が整ったら結婚式を挙げてそのままお嫁さんが婚家に入る、ということになります。
許のお嬢さんも親の手で既に結婚させられているので、正しくは既婚者です。そして当然ながらこの状態で夫になっている男性に不幸があると、未亡人ということになります。
そして今回はほのぼのと。
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