閑話*嵐は来たりぬ
夫、劉病已から改名して劉詢の閑話です。
家族というものを知らぬ我が身が、漸く妻と子と一緒に暮らすという生活に慣れてきたころ。突然の嵐のようにそれはやってきた。
皇族としての籍はあるが、殆ど平民として生きてきた身には、遠いものと思われてきたそれは、皇太后から送られて来た。
短期間のうちに住居を数度変えねばならない。それは、平民からいきなり皇宮へ迎えるわけにはいかないという建前の問題のためだ。既に決まってしまったのだろう。
数週間前に得られた情報によれば、選ばれたのは祖父の甥、つまり父の従兄弟だったはずである。その皇族を押しのけて民間にあった自分が選ばれたということは、恐らく側近と外戚の力の有無が大きかったはずだ。そのために持たずに居たものが、完全に裏目に出たということである。
妻と子を守るためには、権力から遠い場所に居た方が問題が少ない。権力に下手に近づけば、却ってそれを求める有象無象を近づけるという結果になるのだ。金銭の余裕は稼げばなんとかなる。だが安全は匙加減が難しい。ある程度の権力ならまだしも、至高の座についてまわる力は、寧ろ身を滅ぼすものとなりかねない。
民間に居ながら皇族としての教育も受けていた自身にとって、権力とは扱いの難しいものでしかなかった。そして、己の妻をその地位に留めておけるかどうかさえも怪しいのである。擦り寄ってくる者が多いということは、同時に周囲の者になりかわりたいと思う者が多く存在するということだ。薄氷を履むというのはまさにこういうことなのだろう。隙を作れば直ちに危うい状態に陥ってしまう。自分にとっての妻子は代えのきく部品ではないが、群臣や地位権力を求める輩にとっては目の上のたんこぶでしかないだろう。自分の身よりも妻子を守ることに全力を注がねば、あっというまに宝物を奪われた竜になってしまう。
幸いに、妻は上級貴族程度の礼儀作法を身に付けていた。これまで普通の庶民として暮らしてきたので、正直驚いた部分である。確かに普段から所作が非常に洗練されていて、ふとした仕草が酷く上品だと思うことも幾度かあるにはあったが、これは完全に嬉しい誤算というものだった。後から知ったのだが、義母の出自が非常に厳格な家だったらしい。作法が出来ていない女など、寵姫がせいぜいだったろう。この様子なら少し時間を掛ければ群臣に十分に根回しも出来るだろうし、平君を妻の座に据えることは出来そうだとほっとした。妻に今足りないのは身分だけだが、それは父親に適当な地位を与えれば十分に補えることである。
それよりも、自分が固執していると思われれば、平君の身が危ない。他の女を娶るつもりはないが、小霍の恋人である娘あたりをその親である霍本家の当主に押し付けられる可能性が高そうだった。それは、いずれ娶らねばならないとしても、平君の身分が定まるまでは、出来れば他の女を後宮に納れたくはない。何より、変な薬を盛られないか、寝ている間に何かされないかと不安な要素しかなかった。安心して無防備にして居られる女など、そうはいないのだ。
だが、そういった懸念をゆっくりと平君に話す機会は得られなかった。皇太后からの使者が来る前にそれを察知していれば少しでも説明出来たろう。だがそのような時間は今更どうやっても作れない。使者が来て以降、彼女がどれほど落ち着かぬ思いをしているか、それはゆっくりと周りを見る目に出ている。けれど、それを迂闊に問うような真似はしなかった。ただ、あの夜の誓いを信じて、夫の思いに応えようとする妻で居てくれる。夫の考えや望みを考察し、それに添う妻で居ようとしてくれる。
元々は、容姿の愛らしさや素直さで好感を持った少女だった。書面上だけとはいえ夫が居て、手に入らない筈の娘だった。それがどうした運命の悪戯か、月下氷人の気まぐれか、婚姻を結び子を育んでいる。
得難き妻、と心から思った。ならば、より深く愛し、なにものからも害されることがないよう、全力で守り抜かねばならない。二人だけで寄り添って生きる未来は永遠に奪われてしまったけれど、自分に真の安らぎとぬくもりを与えてくれる人を守りたい。
それが、どれほど困難であるかを知ってはいても。
平民からいきなり皇帝というのは余程の場合でないとありません。
漢の高祖劉邦も、沛公という身分に一度なってますしね。
皇籍はありますが、ほぼ庶民だった劉病已は、最下層とまではいいませんが、かなり下の方でしたので、幾度か格を上げるために何度か滞在場所を変える必要があったのです。
そしてその頃の美少年。
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