夫婦の誓い
夫は元々皇籍にあった。
祖父君の政変に巻き込まれずに生き長らえることが出来たのは、ほんのわずかな僥倖が積み重なった結果だ。残った僅かな親族といえば、祖母君の実家である史家の曾祖母君だけで、一時的に身を寄せたものの、お年を召していらしたことから十分な養育が難しく、また莫大な費用がかかることから、皇籍に名はあっても、扱いは平民のそれとほぼ同等だったらしい。
その費用を出して身を養い、皇族男子として必須の学問を与えてくれたのは張家の人々、具体的に言うならば、大張の父上らしい。元は夫の祖父君の部下でいらしたようだけれど、栄達していらした弟君の口添えで連座にならずに済み、夫が孤児になったことを憐れんで養育費を賄ってくれたのだと聞いている。夫は実の父のように、とはいかないまでも、心から感謝し信頼を寄せているようだった。
政の世界は難しい。一人でも心からの信頼を寄せる人が増えれば、少しは楽になるのだろうけれど、皇族としての生活をしていなかった夫には、信頼できる側近そのものが殆ど居ないのだ。それは官僚などにとってはありがたいことだろうけれど、皇帝としては色々不自由も多い。血縁を重んじる立場としては、曾祖母君のご縁で史家の方々と、わたしの実家である許家の人々、そして養育して下さった張家の方々が、骨肉として信頼出来る人たちとなるだろうか。夫は帝位を拾ったと言えるけれど、劉家の方々は信頼の対象から外さざるを得ないのだ。誠に残念ながら。
政治の要となる人物は、今、霍の本家の御当主、霍のお嬢さんの父上である。先々代の帝さまの御寵愛深かった将軍の弟君であったそうで、その将軍は夫の祖父君の表兄弟に当たるという話は、霍のお嬢さんが初めてわたしたちが住んでいた家に来た時に聞いた。
ややこしいから覚えなくてもいいよ、と夫はやさしく言ってくれた。血の繋がりは複雑に張り巡らされた蜘蛛の巣のようで、うっかり触れると更にこんがらがってしまいそうだけれど、でも覚えておいたほうが良い知識ではある。今は近い血筋以外の信用も難しいけれど、まずは後宮内をそれなりに整えておきたい。夫が少しでも心安らかに過ごせる場所にするために。
五日に一度ほど皇太后さまのもとへ赴き、食を奉るのは当然だけれど、わたしはもともと富貴の身分ではない。倹しく、奢侈でないように、けれど見苦しくないように身を整え、周囲もそうあるように、目を配る。
夫は余裕のある範囲内でのちょっとした贅沢を好むところはあったけれど、皇帝となった今、その費えは全て国庫から出ている。市井を愛し、侠客の振る舞いを好み、そこに長く居た夫からすれば、不要な奢侈は寧ろその嫌うところだろう。後宮は皇后が取り仕切る場だ。それなら、第一の位である皇后が奢侈を好まないようにすれば、後宮全体として倹しくすることが出来るだろう。わたしはそれに注力することにした。他の女性が夫の閨に侍るようになることから、目を逸らすように。尤も、わたしも一定の期間をもって閨に侍ってはいる。夫が他の女性もわたしと同じように抱くのだと思うのは、正直辛い。それなりの立場のある男性なら、妾の一人や二人を入れることは当然だけれど、わたしは末永く夫婦二人だけで生きていくつもりでいたから、それを呑み込むのが難しかったのかも知れない。閨の中で、夫は市井にいた頃のような睦言をくれなくなった。そしてどこか苦しそうな顔で、何かを詫びるように、音に出さずにわたしを何度も呼んだ。
「阿君」
と。
それは、この閨が、誰かに監視されているということかも知れない。
肌にかかる吐息でそっと呼ばれる愛称は、以前よりも秘め事めいて、どこか淫靡でさえある。何かを苦しむように、けれどそれを打ち明ける訳にはいかないといわんばかりの夫の様子に、わたしは可能な限り以前の記憶を掘り起こすようにしてどうあるべきか、を考えた。そして。ただ、彼が安らぐための場を、整えることを心に誓って、そっと微笑んだ。その意味が夫に届くかどうかは判らない。届いて欲しい、と思う。病が已むように、と名付けた役人の心が彼に届いたように。
そうした夜を過ごすと、夫は朝までわたしを放すことはなく、ひたすらに求められた。正直言ってしまうと翌朝がとても辛いのだけれど、今の私の役目は皇后であって、皇帝に愛され子を育むこと、皇帝の家である後宮を整えることが仕事である。勿論、夫に愛されることに不満がある筈もない。色々とちょっとした愚痴のようなものはあるけれど。
わたしたち家族だけの住居だった家はもう遠い。けれど、夫がわたしに誓ってくれた事実は覆らない。天が知り、地が知り、夫が知り、わたしが知ることなのだ。彼は、わたしを大切にすると誓い、妻にした。わたしは父親に従って彼を夫とすることを選びはしたけれど、夫の誓いに応え、彼を大切にしたいと思って妻となったのだ。お互いの立場は変わったけれど、夫婦であるという事実が覆った訳ではない。皇帝となった夫の後ろ楯、助けになるほどの身分はないけれど、せめて夫の安らぎを守れるような妻でありたい。そう願いながら、夫の形のよい頭を抱きしめ、その耳元にそっと呟いた。音には出さずに。
「大切に、します」
夫の腕が、更に強く絡みついて、わたしを絶対に離すものか、と言っているように思えた。
どうしてこんな色気のある男になったんだろう。。。>某夫
そしてそのちょっとあとの一児の母と美少年のお話。
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