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蒼天の月  作者: 篁頼征
二、束の間の平穏
22/28

新しい帝さま

 帝さまの葬儀が終わって。

 そう、「先の帝さま」になってしまわれたのだ。夫やわたしと幾つも違わない、若い帝さまが。

 崩御された帝さまには、諡号(しごう)というものが送られるという。

 漢になる前、戦国の世ではあまり良くない諡号も多かったらしい。どういう名がつけられるのかは判らないけれど、廟号というものも付けられるそうだ。廟、それはつまりお墓の名前なのだけれど、わたしたち庶民は(いみな)をお呼びすることもないから、目の前にある陵墓の名前で帝さまをお呼びするほうが普通だ。太祖さまとか、特に有名な方はまた別だったりするけれど。

 新しい帝さまが決まったらしい、と噂が流れ始めたのは、葬儀の少し前だったろうか。やはり兄君のお一人のお子様が選ばれたようだった。のだけれど。それから二十日程経った頃か。突然お役所からお使いの人がやってきた。心なしか、青白いというか、血色の悪そうな方だったのだけれど。持って来られた書状を一目見た夫は表情を改めた。

 感情を表に出さない、穏やかそうな表情を貼りつけた顔に。


 それから幾日も経たずして、夫とわたしと息子は、何度か引越をすることになった。戸惑うばかりだけれど、理由は良く判らない。そしてその都度、夫は何度か沐浴と斎戒をして、どんどん調度品も衣類も上質なものに切り替わっていく。夫は何か知っているようだけれど、口を噤んだままだ。夫の性格から言って隠し事をするとは思えないから、まだわたしに話せる内容ではないということかも知れない。その表情が酷く硬いことだけがわたしの気がかりだけれど。

 明日は聞けるだろうか、と腕に抱いた我が子をあやしながらそっと夫に視線を向けると、じっと息子とわたしを見つめている。

「旦那様……?」

 はっとしたような顔は一瞬で、それから何かを堪えるような表情になる。周りには今、わたしたち家族以外は誰も居ない。そう、先程夫が人払いを望んだからだ。

阿君(君ちゃん)……、ごめん」

 潤んだ瞳が閉ざされて、目尻からそっと涙が零れる。と同時にわたしは息子ごと夫に抱きしめられていた。力の加減が判らなかった頃のように。

「ちょ、ま……」

 制止の声を挙げるより先に、息子がぐずりだした。慌てて夫がわたしの腕から息子を抱き取り、あやしはじめる。そうしながらつぶやくようにぼそり、とこぼした。

「……私は選ばれた」

 何を言われたのか、判らなかった。傾げた首に、夫は意味が通じていなかったことに気付いたのだろう。

「私は、皇帝に即位することになった」

 抗議の声を挙げるように、一際高く、息子が泣きだした。


 それから数日して、夫は先の帝さまの養子という体裁を取って、新しい帝さまとなった。

 先の帝さまの皇后さまが、皇太后さまとして、夫を子に迎えて祭祀を継がせる、ということになる。

 そうなると、霍のお嬢さんは、夫がなった「新しい帝さま」のお妃の一人になる、ということかも知れない。それは、あの霍のお嬢さんと夫である皇帝の寵愛を競うことになる、ということだ。

 今まで妻だったわたしでは身分が低いと言われる可能性は大きかった。父は下級官吏に過ぎず、わたしは夫に続いて息子を連れて後宮に入内したけれども、他の女性に勝るところは先に息子を産んだという一点に過ぎない。夫が皇帝と言う身分に相応しい女性を正妻とするなら、もっと身分の高い女性を選ぶ可能性さえある。わたしに上級貴族の後ろ楯はない。夫の寵愛一つでこの後宮での身分が決まってしまうのだ。子を生したわたしを疎かにするような人ではないと思っているけれど、隙あらば我が娘を、という官僚は星の数ほどいる。わたしは隙を見せぬよう、夫の傍から離れないようにしなければならない。

 そのために、今まで以上に力を尽くした。幸い、母から礼儀作法は一通り仕込まれていたので、あまり困るようなことにはならずに済んだ。皇后に相応しい振る舞いが出来ないようでは、妃の一人にされてしまう。最古参の妻である以上、わたしは彼の正妻でありたかった。身分という差は確かに越えられないかも知れないけれど、夫が望んでくれるなら、わたしは夫に一番近い妻でありたいと思った。

 わたしのその考えは間違っていなかったらしい。

 後宮で最初にわたしに与えられたのは側室としての身分だったけれど、夫は皇后にわたしを望んでいることを暗に示し、やがてわたしは皇后となった。

 夫の皇帝即位から、四月程が経過し、秋のはじめだった季節は、既に冬に入っていた。

今回後書きちょっと長くなってます。


宣帝の即位は旧暦の七月なので、大体今時分です。

季節としては秋ですね。今は立秋すぎてるのに暑いですが。

ただし、当時は現代日本よりは暑くはないと思います。


諡号は「送り名」ですね。皇帝などが死んでからその人の業績等によって与えられるもので、後に廃止になってます。最高権力者としては自分の死後に嫌な名前を付けられるのは厭ですものね。一世一元の制は明時代に起源がありますが、日本でも江戸時代までは一人の天皇につき幾つもの元号が用いられていました。その目的は主に人心の一新というやつです。要は気分転換ですね。ただ、中国では即位は前皇帝が死んですぐでも、改元は翌年正月からになっていました。これは微妙ながら日本とのはっきりした違いです。


諱は「忌み名」であり、その人の本名です。中国では特に重要視されていて、特に皇帝の諱は読んじゃいけない、書いちゃいけないという偏諱(いみなを避けるという意味で、へんきと読みます)という規則があり、このために文官や後世の人々はものすごく苦労させられることになります。この回で即位した病已さんは皇帝になったのを機に改名する羽目に。そりゃそうですよね。「病已」というのはこの時代民間にかなり多くあった名前である以上に、どちらもよく使われる文字なので、これを偏諱するとなれば大混乱ですから。参考まで、武帝は「徹」というのが諱ですが、魔除けのために悪字を用いた「彘」(豚という意味)という幼名でした。病已さんがその名前だったのは、牢獄で彼を助けた役人が、「(多病多難であったため)病が已むように」と名を付けたからだそうですが、元々の両親たちが彼に幼名などを与えていたかは伝わっていません。まあ役所に届ける必要がないなら、特につける必要を感じていなかったかも。


なお、日本で偏諱といえば上位者が下位者に名前の一部を与えるというものですから、例えば今川義元のところにいた若かりし頃の家康が元服を機に「元」の字を貰って松平元康と名乗っていたというのが一例ですが、海を挟むと字の扱いがここまで変わるというのはなかなか面白いですね。


歴史的流れを正確に言うと、一人新しい皇帝が即位し、その人が不適合ということで、この劉病已さんに皇帝のお仕事が回ってきてしまった訳です。その辺の詳細は書こうかなと当初考えてましたが、主人公からすると「新しい帝さまが決まったらしい」→「あら、何故か夫の処に宮中から使いが」→「え、皇帝?!」となると思いますし、余計な回り道をしても、と省略しました。ごめん、昌邑王。←不適合とされた人


即位に伴う引越については漢書宣帝紀に基づいて書いてありますが、これに奥さんである女性が同行出来たかは謎です。ただ、最初から後宮の側室としての地位は賜ったようですし、子もいることから(跡継ぎ大事な国ですから)、一緒に動いたとみなすことにしました。恐らくは正妻が居てその妻との間に男子も居るということ、有力な外戚が居ないことも、既に閣僚が整った政府、特に当時の閣僚の頂点であった霍光にとっては、皇帝にまつり上げるのに都合のよい存在だったと言えるでしょう。


許皇后の冊立は旧暦十一月。恐らく霍家の当主たる霍光は自分の末娘(霍のお嬢さん)を皇后にしたくて頑張っていたことでしょう。


これで束の間の平穏の終わり。そして次回から新章となります。



そしてその頃の美少年。何やってんでしょうか。


https://ncode.syosetu.com/n0449fj/22/

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お話の裏側は→辻裏の少年 * 用語・語彙は→用語・語彙解説
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