張の店にて
「おはようございます、張さん」
わたしは、目的の店先で声を掛けた。
並んだ商品は可愛らしい品が多いが、高いものは少ない。盗難に遭ったら困るので、壊れやすいものや高価なものは奥で見せて貰うのだ。もっとも、見せて貰えるものも、買えそうな範囲内のものに限られるのだけれど。
「はーい」
聞き慣れない声に、一瞬体が強張る。何と言うか、少し低めでいて、どこか甘い香りが漂うような声だった。いつも応対してくれる張さんではない。
「お待たせしました。……あれ?」
張さんは確か成人していた気がするけれど、現れた人はもっと若い。そしてとても整った顔立ちをしている。わたしより二つみっつ、上くらいか。まじまじと顔を見られ、ますます身を竦ませていると、何か思い出したように頷く。
「許のお嬢さん? 私は張の堂兄弟なんだ。あいつは用事で明日の午後までこちらに来られないんだけど、話は聞いているよ。見て行くかい?」
人好きのするようなやわらかい笑顔はとても女の子受けしそうな感じがする。そう、あと何年かしたら女の子が群がって来そうな。堂兄弟ということは、この人も張という姓か。でもさすがに初対面の人は緊張してしまう。残念だけど、張さんを待った方がいいかも知れない。その間に素敵なものが売れてしまうかも知れないけれど。
「良かったら、ゆっくり見ていくといい。帰る時と欲しいものがあったときは声を掛けて」
「え?」
堂兄弟さんはわたしの為にだろう。商品の入った箱を広げると店先へ出た。張さんから聞いて信用されているとしても、うっかり盗まれたらどうするんだろうと思わずこちらが心配になってしまう。
「ああ、帰る時に商品を確認するから、大丈夫」
まるでこちらの思考を読んでいるような声が飛んできて戸惑っていると、
「貝の釵もいいけど、赤い珊瑚の飾りも許のお嬢さんには似合うと思うよ。髪を結って、耳から垂らすと歩いたり頭を動かす度にしゃらしゃらと揺れる。思わず目が吸い寄せられるよ」
予想もしていなかった具体的で適確な助言に驚いた。
耳から垂らす飾りは、歩揺という。歩く度に揺れることからその名があるけれど、赤いなら小さくても確かに人目を惹くに違いない。商品を真剣に見つめてみる。
いくつかの釵と歩揺が収められた、あまり大きくない箱から、言われたものを探してみる。大ぶりのものはお値段もはるけれど、小さいものなら値段も少しは安くなる。
なるほど、煌びやかな釵の隣に、ひっそりと置かれた歩揺があった。予め言われていなければ見落としていたかも知れないようなささやかな品である。多分、大きい飾りを作った時に出来た削り残りを上手く使って作られたのだろう。
「かわいい」
咲き誇る牡丹のような豪華さはなくても、ぱっと人目を惹く愛らしさがある。隣に置かれた銅鏡を借りて耳の傍に寄せてみると、暗い鏡の中に、自信なさげな顔をした少女が映っていた。
「うん、やっぱり似合う」
横合いから聞こえた声に吃驚してそちらを見ると、堂兄弟さんがこちらを見ていた。
「肌も白いから赤が引き立つと思ったけれど、とても良く似合っているよ」
多分他意はないのだと思うけれど、その言葉に血が上る。たちまちのうちに私の顔は茹でたように熱くなっていた。
「あれ? 熱が出た? 送ろうか?」
首をぶんぶん横に振るしか出来なかったのは、仕方ない気がした。
少し顔の熱が取れるのを待って、わたしはお店を出ることにした。歩揺は取り置いて貰えることになったので、市が終わるまでにお金を持ってくればいい。本当は毎日使う釵を選びたかったけれど、少しおめかしをしたい時に使える歩揺も悪くない。店先でお礼を言って外へ歩き出そうとすると、何かがどんとぶつかって来て、尻餅をついた。近くにあった商品がいくつか、巻き添えになって地面へ転がる。
ぶつかってきたものを見ると、あまり風体の良くない男だった。目はぎらぎらしていて小汚いといった方がいいような襤褸を申し訳程度にまとっている。転がった体勢から商品を掴んでそのまま逃げようとするのに気付いて、咄嗟にその腕を掴む。呆れたような声が頭上で響いた。
「お嬢さん、無茶をして怪我でもしたらどうするのさ」
そしてひらりと商品を飛び越えると、わたしにぶつかってきた男の襟首を捕まえて手際よく拘束する。勿論、掴まれた商品の回収も忘れない。男の手足が縄でぐるぐる巻きにされる頃、離れたところからざわざわとした音がして、何かが近づいてくるのに気付いた。
「高兄さん、丁度良いところへ」
堂兄弟さんがとてもいい笑顔を向けた先には、北軍の武官さんらしき人が呆れたような顔で佇んでいた。
「おう、白玉。……助かった」
「構わないよ。あとで金一封期待してるね」
ひらひらと手を振る堂兄弟さんに高兄さんと呼ばれた武官さんはどことなく嫌そうな顔をしながら、それでも「判った」と頷いて男を引きずって行った。
後に残ったのは地面に散乱した飾り物である。名品とまでは言えないまでも、丁寧に作られた木の釵は、残念なことに割れたり折れたりしていた。
「あ、釵が……」
「うーん。頑張って作ったんだけど仕方ないね。それより許のお嬢さん、怪我はない? 咄嗟のこととはいえ、ああいう時にあんなことしちゃ駄目だよ。下手をすると可愛い顔に傷がついてしまう」
再び顔に熱が上がってきてしまいそうだけど、その前に何かが引っかかった。
「…………作った?」
「ああ、うん。この幾つかは私の手作りなんだ。素人作業だから少し作りが粗くても許してね」
良く見直してみると、特別な日の装いには向かなくても、普段使いに丁度いい木の釵だ。しかも地の部分に、目立たない彫りが細かく入っていて、凝っている。壊れたのはぶつかってきた男のせいだけれど、巻き込まれた私が見て見ぬ振りをするのも気が引ける。気付いた時には、店番のお手伝いをする約束をしていた。
漸く出てきました。本当は序に一緒に出したかったもう一人の少年が。
堂兄弟は父親同士が兄弟である従兄弟です。
それ以外の従兄弟は表兄弟といいます。
このあたりの説明は簡単にしておくと、同姓不婚の原則の話ですね。
鈴木さんと佐藤さんはいとこ同士でも結婚できるけど、鈴木さんと鈴木さんは血縁関係がなくても結婚出来ないという決まりですが、古代では同姓であるつまり血が近い一族であるということで、本来は血縁が近い相手との婚姻を避けようとしたもの。婚姻出来ない場合は正妻以外にしていたようです。まあ、避ける傾向にあったようですが。
よって、同姓である=父親同士が兄弟であるということになります。
余程特殊な事情として、正妻以外の人の子供であれば、という可能性もなくはないですが。
歩揺は揺れる耳飾りですね。
唐代の大詩人白楽天の「長恨歌」という玄宗皇帝と楊貴妃の恋を描いた作品に「雲鬢、花顔、金歩揺」という一節があります。美人を形容する表現です。
意味は「雲なすようなふんわりと豊かな黒髪、花のような顔、一足進むごとに軽やかに揺れる金の耳飾り」というところでしょうか。
釵は「かんざし」と読み、髪に挿す部分が二又に別れた女性用の髪留めです。王侯貴族などは象牙などの高級素材を、庶民は木や竹を使っていたようです。
文中に登場する現代日本では耳慣れない言葉などはこちらで簡単に説明させて頂きますが、もし判りにくいなどのものがありましたら、ご指摘頂けますと大変嬉しく存じます。
慣れてしまうと、それが判りにくいものだって気が付きにくいので(苦笑)
そしてその頃。この裏側では。
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