序
長いこと温めまくってるお話です。
のんびり進める予定ですので、生温かく見守って頂けると嬉しいです(笑)
ちょっと短いですが、冒頭部分です。
孤蓬が風に舞い上がる。
空は薄っすらと黄色味を帯びて、春の気配を漂わせていた。
わたしは玄関の扉を開ける。良家の子女ならたくさんの使用人がいて外出もままならない。けれど、うちのような下級役人の家ではそれほど人もいないのだ。自分の身の回り程度のことは自分でこなせるし一通りのことは出来るようでないと将来困ることになる。
幼いころに父親が決めた許婚の家はうちよりも大きいけれど。
十二歳という年齢はそろそろ制限が厳しくなる。わたしは今許されている自由をいつまでも満喫出来ないことを理解していた。少しでも外へ出たいと願うのは、小さい頃に従弟と一緒になって泥んこになるほど駆け回った思い出のせいだろう。性別の違いを理解するようになるまで時間は然程掛からなかったし、次第に身体つきも変わって来ている。じきに初潮も始まる。その日が来る事を恐れはしないけれど、始まってしまえば外出の自由度は格段に下がる。身を守る手段を持たない女の子はあまり外に出して貰えない。結婚してしまえば尚更だ。
この国では女の子の婚姻は早く決まる。幼児どころか性別が判る前から親同士が約定を交わすことさえある。
一つには、わたしが幼い頃に崩御された先の帝さまが、大変に女人がお好きな方だったことが理由だ。拉致などはさすがにないものの、見初められて宮中へ上がり、そのまま帰省さえ出来なくなった少女が何人もいたらしい。噂によると、結婚して子供さえいた娘を離縁させてまで帝さまのお傍に差し出した親も居たという。大昔には後宮と実家の行き来も難しくなかったらしいけれど、今は出入りも厳しく制限されているようだ。結婚すれば確かに家を出るだろうけれど、婚家と実家を気兼ねなく行き来するようには、後宮からは出られないだろう。
もう一つは、当代の帝さまがお若いことが挙げられる。来年元服を迎えるということで、盛大な儀式の準備の噂をちらほら聞く。ご本人が先の帝さまと同様に女人好きかどうかは判らないが、立場上必要ということで五年ほど前にお妃様が後宮に入られたと聞いているけれど、年齢が近いだけにいつ市井の小娘にもお鉢が回ってくるか判らない。お一人だけということはないだろうし、何人かの受け入れ準備が始まっているようだ。先にこちらに縁談があればそれを理由にも出来るが、打診されてからでは何の抑止力にもならないということを両親には丁寧に説明された。下級役人でしかない父では、上からの命令に逆らう力もないと。
お会いしたことはないけれど、親が決めた許婚は幸い心優しい方のようで、折りに触れ便りをくれていたし、祝言が初対面になるとしても、それなりの夫婦にはなれそうな気がしている。
そこまで思考を走らせたところで、私は足を止める。今日は月に二度ほどの、市が立つ日なのだ。安くて良いものを探すには、まず自分で見て歩かねばならない。噂によると、今日は海辺から来た商人も顔を出すらしい。わたしは一度だけ見た、海で採れる貝というものを使った装飾品を頭に思い浮かべる。貝の表面を削って貼りつけただけだという釵が、とてもきらきらと輝いていたことを思い出す。お安くはないので、購入は無理としても、もう一度見たいと思っていた。陽射しを受けて煌めく様は貧相な自分には不釣り合いだろうけれど。
後ろ向きになった頭を軽く揺らすと、吹き抜ける風がそっと頬を撫でる。
市は、夕方まで待っていれば安くなるものもあるだろうけれど、新鮮さと何より品揃えを考えれば朝一番が望ましい。
まだ少し冷たい朝の空気をそっと吸い込んで、早歩きしようとするわたしを、軽やかな少年の声が止めた。
「おねえさーん! 占いどう? 当たるよー」
人懐こさが滲み出るような声に思わずそちらを振り返る。
小さな卓子を前に置き、十になるかならずかと思しき少年がこちらを見ていた。
「ん?」
まじまじと見つめてしまったけれど、あちらも目を丸くしてこちらを見ている。
「おねえさん…。すごい相だね。しかもどえらい美人になる。今も相当に可愛いけど」
褒められたのかどうか微妙な気がしないでもないが、ここは褒められたと解釈しておくのが穏当だろう。
「えーと。……ありがとう?」
「しかも声もいいね。涼やかで、甘くて、清水のような清廉さがある。透き通る布の軽やかさと、秘匿しておきたくなる危うさ。おねえさん、もう縁組は決まってるよね?」
立て板に水とばかりに続けられる言葉にどう反応すれば良いのか戸惑うしかないので、答えられそうなことを返してみる。
「え、ええ。小さい頃に縁組を…」
はきはきとした物言いは、とても好感が持てるけれど、妙な勢いに押されてついついしゃべってしまう。女の子はあまりぺらぺら喋るべきではないといつも言われているのに。
「本当はお代を貰うべきだけど、おねえさんは特別に教えてあげる。その縁は壊れるよ」
確信に満ちた声がきっぱりと告げるけれど、わたしはそれにどう返したらいいのか、皆目見当がつかない。
「そしておねえさんは縁を拾う。この国で最高の縁を」
にっこり笑った顔が、そのままふいっと霧のように消え失せる。夢から醒めたかのようにはっと辺りを見ればまだ市の準備をする商人がちらほらと見えるが、少年の姿はもうどこにも見えなくなっていた。
「とんでもない美少年だったけれど。一体何者だったのかしら」
自問に応える声はなかった。
元服は平たく言えば成人式。
時代や立場などによってその年齢は変わります。
この当代の帝さまは十八歳で元服を迎えました。
祝言は結婚式と考えて頂くといいかな?
貝の装飾品は螺鈿細工です。
金銭に関わる漢字には貝の文字が多く入りますが(貨幣、購入、売買、賃貸など)、古代では貝が金銭の代わりに使われていたことの名残です。当時は大変な貴重品でした。
この時代は子供の結婚は親が決めるものなので、自由恋愛はほぼありません。
そしてこの話の裏側ではこんなことが。
https://ncode.syosetu.com/n0449fj/1/
3/11修正しました。