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辻堂家三代の罪、千代の恵

詩音と人々 3 山形勇助の晩年

 この病棟も建て換えになっていずれ廃止される。そんなところへ入院するとは思わなかった。

 その病棟は、私の最後の職場となる本部ビルの真向かいにあり、私の父 山形勇助の病室も、私の居室から見えたものだった。父が起きた様子も、寝た様子も、食事をする様子も、消灯した様子も、毎日ずっと見守ることができた。


 父の入院は、私が今まで巡り歩いた諸教会から、請われてこの席に昇進した日だった。本部の仲間から辞令を受け、その足で父の務めてきた学園へむかった。その後、父の部下の皆とともに学園理事長室から父を病院に運び......。このひ一日は、盆と正月が一緒に来たような忙しさだった。

 父は末期だった。毎日見る私にも悪化の様子がはっきりわかっていた。急変に急変が重なって、もう手もつけられない有様だった。それでも修武台育ちの父は、先が見えなくてもひたすらに耐え、ひたすらに耐え、待ち続け、そして希望を口にしつつ目を閉じた。

 待ち続けたのは、山形勇助の戦友たち、友人たち、教え子たち。山形勇助は、彼等に会うまで耐え続けた。私は、父の戦場での力を知ったようた気がした。


 希望は力を与える。いや、逆だ。いずれは平安が来る事を確信していたから、耐えることができる。だから、私でさえ練達し、希望を持つことができる。

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