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幽体離脱を通じて外界の惑星を旅行した人間の生存話

第二章 外界の惑星・シンドローム


 あらすじ

 ラオスの農場でコーヒーの収穫が始まった。 主人公である李大根(イ・デグン)はコンビニの運営とコーヒー豆の加工事業を並行することになった。 彼は同業者であり天文学を専攻した趙漢奎(チョ・ハンギュ)を会った後から天文現象に好奇心を持ち始め、韓国UFO研究会の活動にも参加するようになった。 韓国UFO研究会はUFOと宇宙人や外界の惑星に関する情報を交換して目撃談や拉致事例を調査する同好人団体である。 第2章では主人公がコーヒー豆事業を展開し、同時にUFOと宇宙人問題に没頭する話が紹介される。


 第九話 ヒドゥン・バレークラブ


 コンビニに到着すると、ミニトマトとメロン十箱が到着している。 包装紙に朴奉軾(パク・ボンシク)という名前が印刷されたことを見たら彼が直接農業を営み、収穫した作物であることに違いない。 自分の娘の面倒を見てくれたことに対する報いに送ったのだ。 漢奎(ハンギュ)は昨日の夕方に到着したと言ったがそれが売る物なのか尋ねる客たちが多かったという。


 私は朴奉軾(パク・ボンシク)氏に電話をかけて感謝の挨拶を伝えた。 最近、有眞(ユジン)の状況や栽培する農作物の品目と数量についても聞いた。 彼は娘がソウルを訪れた後、表情が明るくなっており、元気に学校によく通っているとし、感謝の言葉を繰り返した。 彼女は叔父さんやお姉さんたちを見たいとし、冬休みを待つと述べた。


「これを包装して出したらよく売れるのか」


「ここが買い物かごを手に持ったおばさんたちが来るところかな? そのまま陳列しておけば売れないだろう。 代わりに食べやすく切ってサラダにすると、売れるかどうかもしれない。 菜食主義者やダイエットする人たちがこのような食品を好きだ。 相浩(サンホ)兄がサラダを納品しないか?」


「そうだ。 相浩(サンホ)ににサラダを作ってみなさいと勧めたほうがいい。 私たちの店舗で売ってみて反応がよければ、他の店舗に紹介してやろう。 果物と有機野菜で作ったサラダパックを一日に1,000個以上販売すれば相浩(サンホ)も収支を合わせることができるだろう。」


 私はすぐに允希(ユンヒ)相浩(サンホ)に連絡して会うことにした。 允希(ユンヒ)は私に劣らず有眞(ユジン)を助けることに先頭に立ったからだお移りを分けなければならない。 相浩(サンホ)にはサラダを作って納品する意向があるかどうかを問うことだ。 彼は農産物をコンビニに納品したがるから私の話を聞くと興味を感じるはずだ。


 漢奎(ハンギュ)は、ヒドゥン・バレークラブの話も持ち出した。 有眞(ユジン)の問題に没入している間、クラブ事務室に一度も寄っていなかった。 数ヵ月間漢奎(ハンギュ)だけが出席したので、会員たちが見たい。 今年はラオスのリャオビエン村に二番目で、奉仕活動に出ることにしたが、 出発の日が迫っている。


「あなたと允希(ユンヒ)が一時現れないて会員たちが知りたがっている。」


有眞(ユジン)の問題に没頭する間、私がクラブの活動にとても疎かだったようだ。 君が事情を伝えてくれなかったのか。」


「二人が前世痛を患っているどの子供を助けることに没頭すると言うのがちょっとあれじゃない。」


「とにかく会員たちの誤解がなかったらいいね。」


「誤解する人たちはないだろう。 今日はサラバンプロジェクトに関して相談するとしたので、私たちも出席しなければならないじゃない?」


「店舗を守らなければならないから一人だけ行けばいいはずだよ。 今度は君が出席しなさい。」


「会員たちは私よりも兄さんが出席することを望むだろう。」


「何の話が出るかだいたい分かっているから君が出席しなさい。 相談すべきことがあれば、電話すればよい。」


 漢奎(ハンギュ)は、ヒドゥン・バレークラブ事務室に向かい、私はコンビニでアルバイトを引き継いた。 サラバンプロジェクトは3年前、ラオス、サラバン近くのリャオビエン村で、奉仕活動行って造成したコーヒー農場事業をいう。 住民の所得を画期的に増大させる方法はないだろうか苦心したあげく、周辺の丘陵地を開墾してコーヒーの苗木を植えた。 遊休地が多く、労働力も十分だから、事業性があるものと判断したのだ。 そこでコーヒーの収穫が始まれば、全量を韓国に輸入することを約束したが、今年に初めてコーヒーの実を収穫するようになった。


 大学に通う時、清州(チョンジュ)市内の大学生で構成された海外探訪団に挟まれて初めて東南アジアを訪問したのがきっかけになって毎年一度ずつリュックサック旅行を通った。 その後単純観光よりやりがいのある仕事をすることで合意し、生活水準が低い奥地村を訪れて回り、ボランティア活動を展開することにした。 韓国で検証されたセマウル運動方式を適用することにしたのだ。 そんなにボランティア同好会を結成したのが6年前だ。 その後も毎年場所を変えて、東南アジアの奥地村を訪問した。 規模は小さいけれど、充実した成果を収めていると自負する。


 海外ボランティア活動地として真っ先に選定されたところは、ヒマラヤの山並みに隠れている渓谷の村だった。 インドとチベットの国境地域にある村として1960年代初め、中華人民共和国の併合と抑圧に抵抗してチベットを脱出した難民たちが集まって住む所だ。 この村で私たちは驚くべき便りを聞いて、そこでの体験が会員間の結束を強化させてボランティア活動を定例化する契機になった。


 チベットの蔵族と思っていた町の元老らの口から高仙芝(コ・ソンジ)将軍の名が出て私たちを驚かせた。 自分たちはチベット族に同化し、昔高仙芝(コ・ソンジ)将軍を慕っていた高句麗人の末裔だと言ったのだ。 私たちはその音を聞いて胸がじんとなった。 自分の国で脱出した後、まだもインドの主流社会に同化されないまま、異邦人として生きている彼らはいつかチベットに帰還するという希望を捨てなかったと話した。 私たちは予想しなかった同族の後裔たちを会って親近感を感じながらボランティア活動を展開した。


 高仙芝(コ・ソンジ)将軍は1,300年前、唐の玄宗時代の人物だ。 彼は、高句麗の遊民だった高舍鷄(コ・サギェ)の息子として今のチベット地域で勢力を振るっていた吐蕃を征服し、西域を開拓した。 高舍鷄(コ・サギェ)は高句麗の安市城の城主だった楊万春(ヤン・マンチュン)将軍の部長だったという説があるが、確実ではない。 とにかく唐の幸永節度使に任命された高仙芝(コ・ソンジ)将軍が一万余り、歩兵と騎兵を率いて747年、西域の遠征に出てチベット軍を大破して洋の東西を結ぶシルクロードを開拓したのは、歴史的事実だ。


 唐の太宗が吐蕃王国の指導者ガンチェン・コンボに嫁がせた文成公主が仏教経典や仏像を持っていくことで、吐蕃は、仏教国家になって、唐と和親政策を展開した。 しかし、ガンチェン・コンボが死んだ後、サラゼンと吐蕃が唐を牽制し始め、唐の朝廷では高句麗の流民たちで構成された高仙芝(コ・ソンジ)部隊を西域の遠征軍に派遣した。 唐は蛮夷として外敵を打ち破るようにするという以夷制夷戦略で安西地域へ送った高句麗の流民を西域の遠征軍の主力に編成したのだ。


 高仙芝(コ・ソンジ)部隊は、征服戦争が終わった後、唐に戻ったものだが、一部の兵士がチベットに定着した可能性は十分だ。 負傷したり、捕虜として抑留された兵士がいたであろうし、索漠とした西域で蛮夷扱いを受け、唐の辺境を守るよりチベットで新しい生活を開拓する方が良いと判断した兵士もいたのだ。 チベットに定着した高句麗の流民たちは現地人と血が混じる、アイデンティティを維持することは難しかったはずだ。 それから1,300年が過ぎたから後裔たちの人生で、高句麗の痕跡は完全に消されたのだ。


 それにも先祖たちの話を記憶する人たちがいるなんて! このように長い間、先祖たちの話が語り継がれたのはチベット人たちと同化した子孫たちが高句麗を誇らしく思ったという証拠である。


 韓半島の1,300年前は統一新羅時代だ。 家門と族譜を重視する韓国でも統一新羅時代まで自分の先祖の系譜を追跡できる家の数は指折り数えるほどだ。 そんな時に、先祖が高句麗人だったという事実を誇らしく話する町の元老たちの話を聞いて私たちは大きな感動を受けた。


 彼らの生活ぶりで高句麗人の痕跡でも韓国人の慣習は発見されなかった。 しかし、高仙芝(コ・ソンジ)という三文字だけでも我々には十分近づくことができた。 満州地域の歴史を中国史の一部に編入させようとする中国の東北工程に憤怒した奉仕隊員らは独立を念願しているチベット難民の立場を理解し、彼らと心情的に一つになることができた。 そんな縁で私たちは帰国した後もその村に対する支援を続けており、その村の若者三人を韓国に招聘し、農業技術を学ぶように助けた。


 インドのチベット人難民村で進められた最初の奉仕活動には九人だけが参加したが、翌年からは、数字がだんだん増えて今は毎年20人以上が参加する。 私たちは最初の奉仕活動を 終えた後、知られていない奥地の村を対象に奉仕活動を継続することに意を集め、誰かの提案で'ヒドゥン・バレー'というクラブの名称も決めた。 私たちは毎年場所を変えて奉仕活動を展開することを原則と定めたが、今年は状況が変わった。


 ヒドゥン・バレークラブは正規奉仕活動に参加した人たちで構成されている。 新規参加者が増えて、今は会員数が100人を超えた。 それにも会員間の結束がとても厚くなっている。 奉仕活動に直接参加しなくても、遠隔支援に参加することができ、オンラインで会員間のコミュニケーションが頻繁に行なわれるため、結束力が強いクラブに発展した。 一ヵ月近く休暇を出しにくい職場人たちが遠隔支援活動に情熱的に参加する。


 今年はラオスのサラバンから東南に50キロメートル離れたリャオビエン町を二番目に訪問する予定だ。 韓半島と似た大きさのラオスは耕作地が5%に過ぎず、鬱蒼な森で覆われた山岳国家だ。 若い人口の比重が高く、50歳を越えれば、老人とみなされる。 国民1当たりの所得が韓国の10分の1にも及ばないで期待寿命も64歳に過ぎない。 韓国の1970年代前半と同じような水準だとして見れば合うだろう。 人口の過半数が仏教徒であり、ジャガイモ、米、コーヒーとお茶、タバコなどが主な生産品であり、製造業はまだ初歩的段階だ。


 私たちは3年前に、住民たちと一緒に村の裏山に、かなり規模の大きなコーヒー農場を造成したが、今年に初めて実が結ばた。 商品価値が認められれば、全量を韓国に輸入する予定だ。 ラオスは道路事情があまり良くないので、物資の流通が容易ではないだろう。 しかし、安い人件費が物流の不利益を十分に相殺することができ、将来、ラオスを貫通してベトナム中部の海岸に至る東西高速道路が建設されれば、物流費用が大きく減るだろう。 サラバンからベトナム海岸までの直線距離は200キロメートルに過ぎないからだ。


 どの業種であれ、ビジネスの成否は販路確保に左右される。 ちょうど国内ではロースト・コーヒーの消費が急速に増加する趨勢であり、価格も強気を見せている。 コーヒーの場合、価格より味が競争力を左右するため、商品性さえ認められれば、国内販売は困難ではないはずだ。 私がコンビニエンスストアを相手に販路を拡大してクラブの会員たちが同調すれば、リャオビエン村の生産量は難しくないように消化することができる。


 今まで私と漢奎(ハンギュ)はコンビニエンスストアーを運営しなければならないため、交代で海外奉仕活動に参加したが、コーヒーの事業化問題がかかった今年は一緒に参加する予定だ。 趙漢奎(チョ・ハンギュ)は大学4年生の時、海外旅行メンバーに会ってルームメートとして生活しながら、兄弟のように近づいた。 彼は独身であるためか他の人とよく付き合うことができないが、私には例外的によくなつく。


 彼は私より三つが少ないが、軍服務が免除されたために同年に卒業した。 幼い頃から星と宇宙に関心が多くて天文学を専攻したと言うのに卒業後には専攻に合った職場を得られなかった。 中小企業に就職して2年余り通ったが、待遇が良くなくて、仕事が適性に合わないとしてやめた。 彼は誰とも相談もなく辞表を出した後、一番先にわたしを訪れた。 その程度で私たちは近い仲だったのだ。


 その時から5年間コンビニを一緒に運営する。 漢奎(ハンギュ)はマザコン性向である上、決断力が弱くて誰かが導いてくれなければならない。 私とは性格が正反対で、これまで一度も意見衝突がないし私のリードに冗語がなくて従った。 彼と一緒に過ごしながら私は天文学の世界に抜けたし星と惑星、天文現象について多くの常識を得た。 最近は太陽系外惑星に対する関心のためにUFO研究会にも一緒に参加している。


 ヒドゥン・バレークラブの核心メンバーは最初の奉仕活動を一緒にした九人だ。 私と趙漢奎(チョ・ハンギュ)のほかに中学校教師になった田性哲(チョン・ソンチョル)、出版社の職員の成允希(ソン・ユンヒ)、電子商取引関連の仕事をする金忠植(キム・チュンシク)、旅行会社を作り、テーマ旅行を取り持つ朴勇(パク・ヨン)、通訳大学院を卒業して、外国書籍を専門に翻訳する孫那里(ソン・ナリ)、銀行に勤めている李明洙(イ・ミョンス)、財閥企業に通う裵正鎬(ベ・チョンホ)など男七に女が二人だ。 私たちは年齢が一番多い朴勇(パク・ヨン)兄を会長に選出し、彼の旅行士事務所に看板一つをもっとかけてクラブの事務所として使っている。


 クラブの活動状況は孫那里(ソン・ナリ)が運営するカフェを通じて全ての会員に告知され、成允希(ソン・ユンヒ)が周期的に活動報告書を発刊する。 海外奉仕活動に直接参加しなくても、年間継続される遠隔支援活動に参加できるので、会員らの参加率が高い。 会員が増え、これらを通じて、成果が広く知られ、クラブの認知度もかなり高くなった。


 今年の夏に実施される奉仕活動には中核メンバー七人を含めてすべて26人が志願した。 経費は参加者が負担するが、会員の年会費で一定額を切り離して村に伝達する生活用品と装備を購入する。 奉仕活動に持ち込まれる物品を調達することは私の役目だ。 私はコンビニに品物を供給する会社や流通会社で在庫に残った物品を安く購入するコツをしっている。 最近は景気が悪くて在庫が積まれて特売セールなる物品が増え、少ないお金で必要な物品をいくらでも購入できるようになった。


 今年には奉仕活動の具体的成果が現れたため、会員たちの関心が高まって参加者数も増えた。 しかし、営農事業は栽培と収穫として仕事が終わるわけではない。 自給自足を向けた営農じゃなければ、販売が最も重要だ。 商業的に成功して収益が十分に発生してこそ、村の住民たちに汗を流した対価が戻っている。


 コーヒーの木を栽培して、その実を収穫するのは、村の住民の責任だが、それを加工して販売することはクラブの役目だ。 コーヒー農場は、今後、ヒドゥン・バレークラブの奉仕活動モデルになりうるという点で、すべての会員が注目している。 今日開くことにした準備会合が重要なのもそのためだ。


 夜遅く漢奎(ハンギュ)が再びコンビニに立ち寄った。 コーヒー農場の現状と会議の結果を伝えてくれるためだ。 クラブの集まりでは、コーヒーの生産状況と村人たちの希望事項について意見を交わし、コーヒーを商品化する案を集中的に討議したという。


「コーヒー農業はうまくいったなあ、ニュークロップで加工することは問題だ。」


「ラオスでも、ニュークロップが多く生産されるが、何が問題なのか?」


「雨がたくさん降ってじめじめした地域で太陽を通じて自然乾燥方式は乾期のみ可能だ。 そして生産量が多くない状況で守勢加工施設を建設することは、経済的負担が大きい。」


「乾期に太陽に乾燥するのがいい。 はじめからとても欲を出せば、採算を合わせるのが難しい。」


「とにかく、十分な所得が保障されてこそ住民たちが一生懸命に働いて栽培面積を拡大しようとするだろう。」


「もちろんだ。 現地で、ニュークロップの形で加工して販売してこそ、住民たちの所得が増える。 ラオスもコーヒーを多く生産する国だから 現地で、ニュークロップで加工することは難しくないだろう。」


「まず、パルピングマシンを二台買って与えることにした。 コーヒーチェリーの収穫時期が乾期と一致して自然乾燥することに大きな問題はいなくなったそうだねえ。 会長が兄にも意見を聞いてみると言った。」


「私もその方法が良く見える。 パルピングマシンで加工し、天気がよければ、太陽に乾燥させばいい。後に収穫量が増えれば、水洗加工施設を作ってくれるかもしれない。」


「コーヒー豆を作って販売する事業を我々に委ねた。 クラブでも積極的に協力する予定ですので、質のよい製品を作るべきだと呼びかけた。」


「几帳面な君が加工作業を引き受けなさい。 焙煎機械と包装施設を設置する案を調べてみて。 私は販売を責任を負うのだ。」


「次回の会合には必ずお兄さんと一緒に参加しろだって。」


「分かった。 私は今日相浩(サンホ)允希(ユンヒ)と会うことにした。 サラダの件について相談するつもりだ。 私は今行くね。 店舗を任せた後輩を呼び出ししなさい。」


 私はミニトマトとメロンを一ボックスずつ持って約束場所に向かった。 先に到着した允希(ユンヒ)相浩(サンホ)が何がそんなにいいのかニヤつきながら談笑している。 慌てた目で私を眺めるフォームが私の悪口を言ったようだ。 相浩(サンホ)がミニトマトとメロンを細かく見て、私に聞く。


「品物が大丈夫だな。 値段が高いだろう。」


「君の目にもよさそうか?」


 商品の価値を評価する基準は、商人の直感が最も正確だろう。 私は、販売用で購入したと言って反応を見ようとしたが、価格を判断できないからやめた。


「私が購入した物品じゃなく、有眞(ユジン)の家で送ってくれたのだ。 ただでもらっただけに、価格は知らない。」


「そこも農業がうまくなるようだね。」


「うちの村は山の中だが、益山(イクサン)は平野地帯だ。 有眞(ユジン)の村は田畑の真ん中にいて、周辺が一面にビニールハウスだった。 そして有眞(ユジン)の父は農業技術がとても優れているとした。」


湖南(ホナム)平野は韓国の最大の穀倉である。」


「コメはもちろん、特殊作物も多く生産される。 最近は、ビニールハウスでお金をもっとたくさん儲けると言ったよ。 君がそこで栽培される野菜と果物をよく混合してサラダを作ったらどうか?」


「専門的にサラダを供給する業者が多いんだけど。」


「もちろんだ。 しかし、君が作って納入すれば私がコンビニで販売することだ。」


「コンビニでサラダがどのぐらい売れるかよ?」


「品質が良ければよく売れるものだ。 この地域の会社員たちの中には菜食主義者やダイエットをする人が案外多い。 君が農産物を活用して試作品を作ってごらんなさい。 客の反応がよければ君の仕事が大幅に膨らむ恐れがある。」


「君が急に有眞(ユジン)の家で栽培した農作物を売ってくれる考えをしたんだね。 友達の繰り返された頼みは無視したが、有眞(ユジン)の家族を助けることは簡単に決定しているんだな.」


有眞(ユジン)の家を助けてお前も助けて同時にコンビニの売上げも獲得できる。 一石三鳥だから試みる価値があると思う。」


「正式に食品工場を立ち上げて多様な製品を作るのがどうかな? 君が経営をすればうまくなりそうだが。」


「彼のように大げさな事業は時運が合わなければならない。 君が構想する加工事業に乗り出すのはまだ時期尚早だが、有眞(ユジン)の家の農産物を販売するくらいなら失敗できないことだ。 小さなことから徐々に行こう。」


「分かった。 私がコンビニに似合う価格で試作品を作るだろう。 これから酒を飲もう。 今日は私があなたを大層におもてなしする。」


 相浩(サンホ)は気分がよかったのか酒をたくさん飲んだ。 彼は新たな事業アイテムとして大きく期待している様子だったが、なるほど二日ぶりにサラダサンプル五十パックを持ってコンビニに現れた。 小さな容器に入っているサラダは他の弁当の付属品として販売して大きな容器に入っているサラダは菜食主義者たちのお弁当で売ればなりそうだ。 サラダパックにはトンカツとチキンのてんぷらなどを混合したサンプルも含まれている。


 サンプルが予想外によく売れると、私は1日に200パックずつ持ってきてほしいと注文した。 顧客たちの反応がよければ注文量を大幅に増やし、他のチェーン店にも紹介する予定だ。 私は相浩(サンホ)朴奉軾(パク・ボンシク)の電話番号を渡し、サラダに入る果物と野菜を購入してくれるように頼んだ。



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