091 知らない人と1000頭の家畜とヴァランセの2号店
「アルミス=ウグラデル?」
「はい、そう仰ってました」
マリーがメモ板を見ながらそう言った。
知らないな、そんな人。
「報酬は倍出すからボクのところで料理を作ってくれって言われて」
「ええー?!」
「あ、もちろんお断りしましたよ?」
「はぁ……おどかさないでよ」
今マリーがいなくなったら、ケモナー野望が潰えちゃうでしょ。ヤバイよ。
「お給料とか足りてる?」
「なに言ってるんですか、まだオープン4日目ですよ?」
「いや、そうなんだけど、そう言う話を聞くとさー」
「いやもう、滅茶苦茶ですよ。だってまだ3日しか営業してないんですよ? それなのに金貨30枚とかになってるんですけど……絶対どっかおかしいですよね?」
「ああ、じゃあ予定通り20%で契約したんだ」
「はい」
「じゃあ月に200枚くらいにはなるんじゃない?」
「だからそれがおかしいですよね? 私こないだまで月に金貨1枚でまあまあ高給だったんですよ?」
「え、お金ってあったほうが良くない?」
とはいえ、月収2000万円貰ったら面食らうだろうけどさ。
「そりゃいいですけど、私、たぶん今月は王宮の料理長より高給だと思いますよ。1ヶ月で自分の店が出せるくらい貰えるって、どんなんだ……」
「あ、いや、そりゃ困るなぁ」
「いえ、別にそんな事しませんけど、他の子とのバランスとかあるし」
「シェフは責任もあるんだからどーんと貰っていいんだよ。私たちも別に損してないし。あと、マリーが連れてきた子たちも多分インセンティブ契約がくっついてるはずだから、心配しなくていいよ」
「インセンティブ?」
「例えば売り上げがいっぱいあったら貰える……ほら、初日のボーナスみたいなものかな」
「そうなんですか」
「うん。契約の話だから詳しくは言えないけど、スーシェフのデルフィーヌも今月は金貨50枚とかになるんじゃないのかな。多分本人は金貨2枚だと思ってると思うけど」
カリフさんが契約の時よく分かっていないみたいでしたと笑ってたからな。
「給料日に絶句するところが見たいから言っちゃダメだよ」
「はあ」
「それで、そのウグラデルさんは、招待するからって言ったんだよね?」
「はい」
「じゃあ、招待されるまで気にしないことにしよう」
「わかりました」
「そうだ、マリー」
「はい?」
「とっておきの目玉素材として、これも渡しておこうと思ってたんだ」
そう言って、俺は、リンドブルムの20kgの固まりを20個だしてみせた。
「綺麗なお肉ですけど、これは?」
それを自分の腕輪に仕舞いながら、彼女が聞いてくる。俺はそっと、
「竜種のお肉」
と耳元でささやいた。
「え? ええ?!」
「しー」
「な、何年か前に、ラズールで扱ったと聞いたことがありますが……」
ラズールは王都の有名な王族御用達のレストランらしい。
「まだあるし、何ブロックかは試食で食べちゃっていいから。面白い料理ができたら教えてね」
「は、はい!」
あ、そうだ、ついでにマリーに頼んでおこう。
「それでさ、今度ヴァランセよりもずっと庶民向けの店舗をいくつかだそうと思ってるから、誰かいい料理人がいたら紹介してくれないかな」
フラッグシップ店は割とうまくいったから、このブランドを利用して一気に本丸である庶民向けのお店を普及させるのだ。
さすがに今の王都じゃ、ヴァランセクラスのお店は、人族主体になっちゃうしね。
「一応あたってみますけど、こんな給料なら誰でも引き抜けるんじゃないですか?」
「あ、次のお店は貴族向けじゃないから、普通のお給料になっちゃうと思うんだ。それでも普通の店よりは高いと思うけどさ」
「なるほど」
「亜人を差別しなくって、料理を作るのが好きな人なら大歓迎だよ。いくつかレシピは教えるから」
「もう、それだけで来たい人は一杯いそうですけど」
「ならいいんだけどね。まあ、よろしく頼むよ」
「わかりました」
あ、その店の話をカリフさんにしておかなきゃ。
◇ ---------------- ◇
「ちょっと待って下さい、カイさん。今、1000頭と仰いましたか?!」
「そのとおりです、カリフさん」
驚きの声を上げたカリフは、役所の会議室で、カイ=タークと向かい合っていた。
「予定量の肥料を作るために、そのくらいの家畜――牛でも羊でも馬でも良いんですが――が必要なのです」
「しかしコートロゼは魔物の肉が豊富ですから、食肉用の家畜は育てても消費できないのではないですかな?」
「私は肥料以外のことはわかりません。指定量の肥料を作るのに必要な頭数がそのくらいだと言うことはわかりますので、後のことはカール様やカリフさんにおまかせしますよ」
なるほど。カール様が仰っていた、天才は、才能をもった領域以外のことはまるでダメだからサポートがいるんだっていうのはこれですね。
「わかりました。しかしそれを飼うための牧場や食料やその他のことも?」
「全ておまかせします。私に必要なのは1000頭分の糞だけですから」
「か、かしこまりました。カール様と相談してみましょう」
「お願いします!」
そういって、カイさんは、そそくさと自分の研究室に戻っていった。
「はぁ、しかしあの人がねぇ……」
「コートロゼどころか、アル=デラミスの農業を変革する男だと仰っていましたな」
声の方を向けば、ここの長のようなことをやられている、シセロさんがドアのところに立っていました。
「ですな。しかし1000頭ねぇ。飼う場所だけでも大変ですが……」
「ま、その辺はカール様に相談するしかないですかね」
「そうですな」
私たちは顔を見合わせて苦笑した。残念ながら今のところ、結局はカール様次第なのだ。
◇ ---------------- ◇
「こんにちは、カリフさん。少々ご相談が」
その日の午後、カリフさんに2号店の話をしに、コートロゼの流通拠点の事務所を訪ねた。
「あ、カール様。丁度ようございました。こちらもご相談したいことがあったのです」
「では、そちらからどうぞ」
カリフさんは、カイに言われた家畜の話をしてきた。
1000頭の家畜ねぇ。まあ、西側にでっかい牧場でも作れば飼えるだろうけど、堆肥の原料を集めたいだけでそんな投資は馬鹿げてるよな。世話をする人員もたりないしなぁ。
「春ですからなぁ、そりゃ生まれる子も多いでしょうが、1000頭ですから。国中から集める必要があります」
「こりゃまた、夜中仕事になりそうだな」
とハロルドさんが肩を落とす。
「いえ、1000頭もコートロゼに飼う必要はありませんよ」
「しかし、カイ様が……」
「彼が欲しいのは家畜の糞であって、家畜じゃないんですから。アル=デラミスで、一番たくさんの家畜を飼っている生産者はどこでしょうか?」
「そうですね、一度に多くの、ということでしたら、やはりクリアウォートの牧場ではないでしょうか。数百頭はいるのではないかと思いますが」
「家畜小屋を使ってますかね?」
「小さいところでは、休耕地への完全放牧もあるでしょうが、この規模ですと牧場+家畜小屋でしょうな」
「ではそこと契約しましょう」
「契約?」
「そうです。それだけの牛を飼っていれば、おそらく排泄物や敷きわらの処分に結構なコストがかかっているはずです」
何しろ明確な肥料という概念がないから、堆肥にして畑に混ぜるということはやっていないだろう。
おそらく何処かに捨てて積んであるだけで、長くやっているとそれが山になって捨て場所にも困っているはずだ。
「ふむ、それを買ってくるわけですかな?」
「とんでもない。それらの排泄物や敷きわらを、非常に低コストで始末してあげるという契約です」
「は? つまりお金を貰うのですか?」
「そうです。相手にとって邪魔なものをいちいち買う必要はないでしょう?」
「いや、まあ、それはそうなのですが」
「それでですね、排泄物や敷きわらを捨てるための穴を売ります」
「穴?」
「できれば向こう50年くらい、その牧場で出た糞や敷きわらは全て捨てなければならないなんて項目が付いているといいですね」
「はあ」
堆肥がメジャーになっても、材料を他へ売れないようにね。ぐへへ。
「で、その穴の底をですね、堆肥作成用のタンクと繋いじゃうわけですよ」
そうすれば、労せずして、何百頭分の排泄物が敷きわら付きでゲットできる。集める手間だって、相手に押しつけちゃえばコストゼロだ。
「なるほど。いいですな」
「あくまでも、排泄物や敷きわらを処理するための穴なので、他のものは捨てないように言っておかなければなりませんけどね」
「その辺りは、契約魔法で大丈夫でしょう。では早速」
「そういえば、牛乳っぽいものを見たことがあるんですが、どこかで乳牛を飼ってるんですか?」
「牛の乳ですか? うーん、飼われている牛はほぼ全て農作業用か食用ですね」
家畜の乳は、主に家畜の子供を育てるのに使われるし、生の乳をそのまま飲むとお腹を壊すし、運ぼうにもその日のうちに飲まないと悪くなっちゃうし、経済性はゼロだということだ。
お腹は雑菌のせいだから、魔法で殺菌できそうなものだけど、なにしろ菌という概念がないので、そこに到らないのか……
「しかし、牛乳っぽいものをバウンドで買ったことがありますが」
「それはミルクルミですね」
「は?」
ミルクルミという植物の種を割ると入っている液体が、まるで牛乳のような味わいなんだそうだ。凄く硬いので、お店では割って瓶に注いだものを売ってくれるのだとか。
ココナッツみたいなものかな? リンドブルムのシチューを作ったときの牛の乳みたいなものは、これだったのか。
こちらは割らずにおけば、10日くらいは飲めるそうで、数は少ないが結構出回っているのだとか。
こんなものがあるのなら、苦労して飲むためだけに牛乳を流通させる意味はないのか。
しかしチーズと生クリームは欲しいよな。今ヴァランセのアミューズで出しているチーズは、今のミルクルミから作ったカッテージチーズなのだ。
「どこかで牛乳を定期的に分けて貰えるような所があるとありがたいですね」
乳房の大きめの牛を購入してきて、乳牛を育成するということも考えたが、仔牛を生ませてすぐ、その仔牛を別の場所で育成しながら、数ヶ月にわたって搾乳して、またすぐ受精させて――とか、ちょっと俺には無理だしな。
かといってそういう文化もないだろうから、これのエキスパートを捜すことも無理だろうし。ここはやはり、いろんな所から少しずつ分けてもらうのが得策だろう。
「わかりました。そちらも確保しておきます」
「お願いします」
「それでカール様のご相談というのはそれですか?」
「あ、いえ」
そこで、俺は2号店の構想について説明した。
「なるほど、もっと客単価が安いということは、席数が多い方がよろしいですな」
「その通りなのですが、従業員の数がね。料理人についてはマリーにもお願いしてありますが……」
「接客は教育ですよ」
にやりと笑いながらカリフさんが言う。
うお。さすが時期会頭、実にもっともなことを言っている。しかし時間がなぁ……
「こないだ、リーナさんのザンジバルでの訓練を少し拝見しましたが、非常に驚きました」
ああ、ハートマン式のアレか。そりゃ、驚くよね。
「しかし、その教育結果について拝見すると、さらに驚きは大きくなりました。あれほど高効率な教育を、私は見たことがありません」
スゴイですなぁといった顔つきでカリフさんが語っている。
いや、ちょ、ちょっと待って。サービスの育成にハートマン式は……
「三番テーブル!」
「サー、イエス、サー!」
みたいなやりとりが頭に浮かんできて、なんとしても止めさせなければと心に誓うのであった。