074 ミートパイとカリフの暗躍とスパイス狂詩曲
「よっ」
「あ、カールさま」
ミーナが走って近づいてくる。
「お父さんの様子はどうだ?」
「うーん。なんかね、朝から夜までずーっとパンをやいてるよ」
色々話を聞いてみると、いろんな魔物の肉を使ってみたり、濃度やスパイスを工夫してみたり、どうやらそうとう試行錯誤を繰り返しているらしい。
裏にはカリフさんの暗躍がありそうだ。
「カリフのおじちゃんがね、いろんなものを持ってきてくれるの」
とミーナが言っていた。
「ミーナはお父さんのパンが好きか?」
「うん。あのみーとぱい? おいしいの」
ふーん、現在どんな風になってるのか、ちょっと確認してみるか。
と、トーストさんの店の扉を開けようとすると、店の奥から奇妙な笑い声が聞こえてきた。
「クヒックヒッヒッヒッヒ……」
「カール様、ちょっと待て」
とハロルドさんが、扉を開けるのを制する。
リーナが扉の反対側に位置して、中の様子をうかがっている。
「ヒッヒッヒヒヒ……」
ガッシャーンと何かが落ちる音がするのと同時に、ギャーという悲鳴が聞こえてきた。
「トーストさん!」
ハロルドさんとリーナが同時にドアの向こうに飛び込む。そこには――
「ウ……ウウ」
「カリフさん?」
床に倒れたカリフさんと、机の上に立ち上がっているトーストさんがそこにいた。
「俺は神さまよ、そうパイの神さまさ。クアーッカッカッカカカ。さあ、みなの者。このパイの神さまの足元にひざまづくのだ!」
「お前は鼻田香作(*1)か!」
と思わず突っ込みを入れてしまった。
◇ ---------------- ◇
「「いや、面目ない」」
正気を取り戻したトーストさんと気絶から復活したカリフさんがそう言った。
カリフさんが叫び声を上げたパイは、ものすごく辛くて、一口食べたら失神してしまったのだそうだ。
「こりゃ、ブースト・ジョロキアだな」
ジョロキアという、甲羅に覆われた四つ足の大人しいDランクの魔物――センザンコウとかアルマジロみたいなものかな――がいるのだそうだが、それを攻撃して怒らせると、この実を食べることで一時的にランクがB位までステータスが上がって危険なのだとか。
とても辛いスパイスとしても利用されるため採取依頼があるのだが、そこには大抵ジョロキアも大量にいるため、間違えて踏んだりして攻撃扱いされたりすると、Dランクパーティくらいなら簡単に全滅するそうだ。
それを刻んだものが、ミートパイの中に入っていた。
「普通は、炒めものをするとき、油を熱する過程で入れて、油が高温になったらすぐに取り出すとか、スープに少しだけ入れてすぐ取り出すとかで充分な辛さになるんだぜ?」
とハロルドさんがあきれていた。
王都にある、シーセンという店が取り入れたのが最初で、辛さをウリに大ヒットしたのだとか。
「こっちはナッツメッグですね」
と、ノエリアが、今作りかけていたミートパイを見ながら言った。
「ナッツメッグ?」
「お肉に良くあう香りの良いスパイスですが、大量に摂取すると錯乱するという話を聞いたことがあります」
香りは……うん、ナツメグだね。
しかしトーストさんの店は、危険なスパイスの巣窟になっていたようだ。
「スパイス自体が高価だし、薬の材料にするようなものだからなぁ。大量に食べたりしたら、そりゃ何かしらの影響があるんじゃないか?」
俺はそこに並んでいたスパイスを確かめてみた。
結構な種類が集められていて、カリフさん、最近ちょっとタガが外れてきてるんじゃないのと苦笑いする。
とりあえず、ナッツメッグと、クローブっぽいのと、シナモンっぽいのと、コリアンダーっぽいのを取りあげる。
「ミートパイに良くあう香辛料は、この辺ですね」
「ナッツメッグにクロブにシーモンにコンダーだな」
「ハロルドさん、詳しいですね」
「それは全部南方や大魔の樹海から産出するスパイスで、高レベル採取依頼の代表格だからな。ただし口にはいることは滅多に無いけどな」
と苦笑した。高価なんだそうだ。
そうか、元の形は冒険者の方が詳しいかもな。料理人はともかく、食べる人は形を見ることはないだろうし。
「ただしどれも――クロブは特にですが――臭いが強いので、ごく少量しか使いません。甘い香りでお肉の臭みを感じなくする程度ですね」
そういって、てきぱきと適量をくわえていき、フィリングを準備した。
それをノエリアがパイの形に仕上げ、トーストさんに焼いてもらった。
「これがスパイシーなミートパイですね」
それを一口かじった瞬間、カリフさんの口から奇妙な声が漏れた。
「うほぉおおー」
カリフさん、大丈夫ですか? また倒れたりしませんよね?
「う、う、う、う」
「う?」
「売れる! これは絶対売れます!」
最近王都の富裕層の間で、スパイシーな料理が流行していたのだが、どうもスパイスを大量に入れるようなものばかりで、本当にこれは美味しいのか? と、皆、疑問に感じ始めているらしい。
しかもこのパイで使うスパイスの量は、1枚当たりごくわずかだし、ぐっと値段も抑えられる。うまくすれば一般層まで巻き込んで大ヒットのヨカン~とか舞い上がっている。
「いや、でも、そんなに沢山焼けないのでは?」
と俺が聞くと、カリフさんはぴたっと動きを停止して、トーストさんにつかつかと歩み寄り、
「1日千個くらい、簡単に焼けますよね?」
などと無理難題をいい笑顔で言っている。
「せ、千個とか絶対無理です!」
ここにある石窯は2つ。昼前には売り出したいだろうし、仮に流通拠点と王都の店をリンクドアで繋いだとしても、未明から焼き初めて5時間ちょっとが限度だろう。
一度に焼ける数は20個がいいとこだろうし、焼成に40分かかるとして、8回転。どんなに限界まで頑張っても1日160個が精一杯だ。
「むう。160個ですか」
「いや、160個でも毎日やってたら死にますって!」
「石窯を10個に増やせば、1日800個作れるのでは?」
「いや、もう、無理ですから! 仕込みで寝られませんから! 許してください、お願いします」
「パン職人を増やして……」
「急ごしらえですから、レシピの秘密が守れないかも知れませんよ? ボクは構いませんけど」
「ぐぬぬ……」
しばらく考えていたカリフさんは、仕方ありませんね、と切り出した。
「では毎日100個納品してください。しばらくは限定生産で飢餓感を煽る方法で売り出したいと思います。価格は――」
ちょっと考えていたカリフさんだが、すぐにこう言った。
「ひとつ小金貨2枚、2000セルスくらいで売り出したいのですが、いかがでしょうか」
ミートパイが1個2万円? いや、それはいくらなんでも高すぎるのでは……
「いえいえ、もしかしたら安すぎるかも知れません」
こういう少量しかない話題の商品を安くしてしまうと、買い占めて高値で転売する人がでるのだとか。
あー、テンバイヤーか。こっちにもあるんだな。
ただしそれはちゃんとした商行為のひとつで、元の値付けが安すぎるのが悪いんだそうだ。
いやなら適正と思える価格で売るか、そうでなければ一人が買える量を限定して売るなどすればいいのだとか。
それでも、日当を払って雇った人を大量に並ばせて商品を確保する商人もいるらしい。いずこもおなじ秋の夕暮れってやつだね。
「それで、仕入れは売り値の半分くらいでいかがでしょう」
「半分……は? 金貨10枚ですか?!」
と、呆然と話を聞いていたトーストさんが突然再起動した。
「1日で?! それはいくらなんでも多すぎるのでは……」
「なあに最初だけですよ。その後売り値が下がれば、それにあわせて下げていただけると助かります。もちろん原価割れなどは起こしませんからご安心を」
「いちにち、金貨10枚、一月で……210枚?!」
トーストさんはまるで話について行けてない。そりゃそうだ、この間まで明日をも知れない生活だったのが、いきなり大商いが始まるのだ。
生活費だけなら金貨1枚で平民の4人家族が2ヶ月弱暮らせるこの世界で、1日で1年分の生活費を稼げるようになるなんて、夢にも思わなかったろう。
「カリフさん。5割って思い切りましたね。普通3割以下では?」
と小声で耳打ちしたら、
「なにしろ輸送費がほぼゼロですからな」
と小声で返された。
「それに、仕入れはどうせうちからですし、優秀な人間にはケチらずたっぷり投資したほうが儲かると、カール様に身をもって教えていただきましたからね」
え? 何かしたっけ?
「後は――多少は街にも還元しませんと」
と、ウィンクしながらそう言った。おっさんのウィンクとか誰得。
「トーストさん」
「は? はい! なんでしょう、カール様」
「そのお金で人を雇って、パンを焼かせればいいんですよ」
「あ、ああ、なるほど!」
「そうしてだんだんパンの製造会社として、焼ける量も増やしていけば……」
「おお、そりゃいいですな。王都だけでなく、聖都や、そのほかの都市でも売りたいものです」
「わ、わかりました! よろしくお願いします!!」
と、トーストさんは頭を下げた。
◇ ---------------- ◇
帰り道で、俺とカリフさんは、
「パンなんてどうせすぐ真似されるから――」
「GIFTの時と同じくブランド化ですな。いっそのこと、これもカール様から世界への贈り物ですし、GIFTブランドにしてしまいましょうか?」
「今回、ボクは関係ありませんし、そこはお任せしますよ」
と言ったら、
「え? レシピ使用料は10%ですよ?」
と返された。レシピ使用料? そんなのがあるのか。
「でなきゃ誰もレシピを教えてくれませんよ」
ふーん、元の世界だとレシピに著作権はなかったが、こっちは結構しっかりしてるんだな。
「いえ、広く使用料を受け取るためには、商業ギルドで公開する必要がありますし、公開すると――」
ちょっとだけ違うレシピにして、ただ乗りしようとする料理人などもでてくるそうだ。
ただし、その修正部分が味わいに決定的な違いをもたらさない限り、後ろ指を指された上に、使用料も徴収されてしまうのだとか。
とはいえ、そういう面倒を嫌って登録しない人も多いそうだ。やっぱり知的所有権ってやつはさじ加減が難しいんだな。
「それではもう少し急いで王都へ行くとしましょう」
「え?」
聞いてみると、扉の設置に人を使うわけにはいかないので現在拠点を作りつつ王都へ移動している最中らしい。
宿や馬車から流通拠点へ転移してこちらで活動をし、用事が終わったら向こうへ転移するという、2重生活を送っているのだとか。
あと数日で王都につきますから、期待していてくださいと言われた。
なにを期待するのかは、怖くて聞けなかった。
*1 鼻田香作
牛次郎×ビッグ錠による料理漫画の金字塔、庖丁人味平に登場するカレー、というよりスパイス職人。
見事な鼻のセンスでスパイスを調合し、すごいカレーを作り続けるが、最後は麻薬のようなカレーを作り出したあげく、おかしくなって救急車で運ばれてしまう、ある意味究極の職人。