070 司祭の失墜
ほう、あれが件の代官か? いかにもガキだな。いくらなんでもあれがサンサを救ったとは思えんが……裏で糸を引いているやつはいったい誰だ?
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「貴様……貴様が、貴様さえ現れなければ!」
「落ち着けよ司祭。何を言っているのか分からんぞ」
充血した暗い目で俺を見上げながら、こめかみに筋を浮かべてアプリコートがわめいている。
「いや、お前はもう司祭ですらないんだっけ?」
そういってサヴィールの方と見ると、彼女はうなずきながら
「人の法を犯したものは、聖位を剥奪され、還俗させられます」
と言った。
「くく、何をバカな。そんなものは建前にすぎません」
心底おかしそうな顔で、アプリコートが笑う。
「法などというものは、神の尖兵たる我々が、群れなす羊を御するために作り、羊にのみ適用されるべきものなのです。神のご意志をなそうとする我々は、自らの作りし法などに縛られる必要などないのですよ」
「いや、あるだろ。どんな危険思想だよ」
「神から遠いあなたに、ご理解いただけるとは思っていませんよ」
俺は一応、シールス様の使徒なんだが。こうやってみていると、実はこの世界にはシールスという神が二人いるんじゃないかとすら思えてくるな。
「それに、どうせ私の裁きは教会裁判所でくだされます。そこには私と同じ考えの人たちも大勢いることでしょう」
おう。この世界にヘンリー2世(*1)はいなかったのか。
「もうめんどくせーから、ここで首を落としちゃおうぜ?」
いままで黙って司祭の話を聞いていたハロルドさんが、かったるそうに口を挟んでくる。
いや、それって、ただのゴロツキですって。
「ひっ?!」
司祭の目が大きく開かれる。
「なんてことを仰るのですか、ハロルド様!」
サヴィールが慌ててハロルドさんと司祭の間に割り込んだ。
「神は決して悪者の死をお喜びになりません。悪者がその態度を悔い改めて、生きることをお喜びになるのです」
「いやー、悪人は悪人だと思うぜ? 自覚のないやつは特に有害だ」
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まったく、まったく同感だ。バカはバカで、自覚のないやつは得に有害だ。
さしずめあの男が、あのガキの後ろで糸を引いているのか?
ここまで来ては、あの司祭を救うことはできんな。ドミノ様の手駒が減るのは残念だが、あの男は、いる方が有害だ。
天使らしい女がいるとしたら、あの最後に魔法を使った女だろうが、それほど大した魔法ではなかったようにも思えるしな。
念のためにあの女だけでも始末して……
そう考えた瞬間、代官のガキの顔がはっきりとこちらを見た。
気がついた? この距離で?
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ハロルドさんとサヴィールがなんだかもめているみたいだけれど、不穏当な人が不穏当なことを考え始めたみたいだから、あっちもどうにかしなけりゃなぁ。
「ご主人様?」
すっと、リーナが影からでて寄り添ってきた。いくの?いくの?って顔をしている。
あー、リーナか。うん。でも、キミが動くと手足が簡単に飛んじゃいそうだからなぁ……下手すりゃ首が落ちかねないし。
「ちょっと強そうなやつなんだけど、なるべく殺さないようにね」
「おまかせなの、です」
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犬耳の女が一瞬消えたかと思ったら、左から殺気が飛んできた。うそだろう、ここまで何メトルあると思ってるんだ!
腰から短剣を引き出して殺気を受け止めたと思った瞬間、体を衝撃が駆け抜けていった。
「うぉっ」
受け止めたはずの短剣ごと切られたことに気がついたのは、左手の指輪がはじけ飛んだ後だった。
なんてこった、身代わりの指輪がはじけ飛んだってことは、浅くても左手くらいは落とされてたってことなのか。
「あれ? なのです?」
切ったと思ったのだろう、一瞬の隙が生まれている。俺は躊躇なく、そこへ3本の針をたたき込んだが、女の残像をすり抜けて地面をえぐっただけだった。
くそ、何者だ、こいつは。
間をおかず、下からの斬撃が襲ってくる。俺はのけぞってそれを躱したつもりだったが、右手の指輪がはじけ飛んだ。
「ずるい、のです!」
くそっ、それはこっちの台詞だぜ。
身代わりの指輪はあと2つ。指輪を信じて切られるのを覚悟で特攻するという手もあるが、それでもこいつを捉えられる気がしない。何でこんなバケモンがこんなところにいやがるんだよ。
街路樹の後ろに身を隠して体制を整えようとしたら、街路樹など存在しないかのように剣を振られて、右の指輪がはじけ飛んだ。一体、あの剣はどうなってやがるんだ!
ここはあの代官を人質に……と、ちらっとそちらを見ると、その女がいた。
◇ ---------------- ◇
あーあー、リーナのやつ。相手が強そうなんではしゃいじゃって。女の子は戦闘狂になってほしくないんだけどなー。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
ノエリアが、怪我をしたゴロツキどもの回復と捕縛をおえて、影の中から近づいてきた。
「うん。あそこからなら、いくらこちらに攻撃を仕掛けてきても避けられると思うよ」
そのとき、ベイルマンの反応が変わった。なんだこれ? 動揺?
◇ ---------------- ◇
あ、あの女は……ま、まさか、まさか、まさか……あれが、天使なのか? いや、しかし、あの女は……
と動揺した瞬間、真っ二つにされるかと思ったが、あまりの変化に、相手はしばらく様子を見てくれていたようだ。
ここはなんとしてもこの事実をドミノ様にお伝えしなければ。
俺は冷たい汗にまみれながら、全力でその場から逃げ出した。最後に残った指輪がはじけるのと引き替えに。
◇ ---------------- ◇
「ご主人様。ゴメンナサイなのです」
しゅんとしてリーナが戻ってくる。
「いいや、リーナが怪我しなくてよかったよ」
と頭をポンポンしてやると、ううーとか言ってて可愛い。
一件落着といった感じでほのぼのしていると、司祭が突然隠し持っていた短剣で俺を襲ってきた。
「お前さえ、いなければー!」
最後に逆ギレかよ。
ハロルドさんが間に入って、短剣を持つ手を剣で跳ね上げた。ピキっという何かが割れる音がして、剣がはじき飛ばされる。……ピキっ?
次の瞬間、事態が阿鼻叫喚の様相を呈するなんて誰が想像していただろう。ベイルマンが逃げた後で、本当に良かった。
以前ハロルドさんが黒の峡谷のダンジョンで、こう言ってたっけ。
『空間系の魔道具が壊れると、大抵は中身が放出されるんだ』
そうおそらく司祭の指輪か何かがアイテムボックスになっていて、今の一撃でそれが壊れたんだろう。
どこからともなく現れた大量の食料は、容赦なく司祭とハロルドさんの上に降り注ぎ、二人を埋め尽くしたのだった。
俺たちは何が何だか分からなくて呆然としていたが、できあがった巨大食料山脈の頂上から、芋がひとつ足元まで転がってきたのを見て、思わず彼らを助けるのも忘れて吹き出してしまった。
あとで「笑ってる暇があったら助けやがれ」と、散々セッキョウされたことは言うまでもない。
*1 ヘンリー2世
1164年にクラレンドン法を制定した、イングランドの王様。
聖職者を罰するための教会裁判の判決が一般に比べてゆるいんじゃね?という批判に対して、それらを王の法廷で捌けるようにした法。
なんだかんだと反対にあって、最後は骨抜きにされるが、ある程度は法習慣として定着した。
晩年は4人の息子全員に反乱を起こされるという目にあったが、領土を広げて中世イングランドの礎を築き、コモンローの整備を初めとして、内政にも頑張った人。
頑張れヘンリー2世。