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第九話【初めてのお仕事】

「今日の夕方にTTジャンプする」


 コイントスに負けたカイがソファーの上で目を覚ました。飛び出したスプリングが忌まわしい。ディードの宣言にカイが軽口で返す。


宇宙(そら)で朝も夕方もないけどな」


 カイはあくび混じりで起き上がった。すでに朝食がテーブルに並べられている。未だにシャノンの気配をまったく感じられない。もし彼女がアサシンだったらカイは100%殺されるところだ。もっともそういう事と無縁だからその気配を感じられないのだろうが。


 朝食は茹でたソーセージと目玉焼きだった。ソーセージを買った覚えは全くなかったが、きっと冷凍庫の奥にでも転がっていたのだろう。卵は唯一買う生鮮食品だ。日持ちするしレトルトやカップ麺に載せるだけで味が変わるからな。


 トーストされたパンを囓りながらリモコンでモニターに船情報を表示する。


「3時間ほど浦島太郎だな」


 鈍足の貨物船に合わせての加速なのでそんな物だ。TTジャンプ地点で光速の30%ほどだ。


「そういえばセントラルで新聞を読んだんだがまた戦争が起きそうな事が書いてあったな」


「カイが新聞? 似合わんな。そういえばセントラルを出るときにそのニュースは見た。どこが戦争するかにもよるがまたガス代が上がるかもしれんな」


 ディードが深いため息をつく。やってられないと顔に書いてあった。


「ガス? この船はガスが燃料なんですか?」


「ん? いや言い方が古いだけだ。地球周辺だと未だに燃料全般をガスと呼ぶな」


「カイ。地球周辺に限らず割と一般的に使われている。この間の豪華客船の船員も普通に使っていた」


「へえ。てっきりスラングかと思ってたぜ」


 カイはリモコンで情報を切り替える。船に残った液体金属水素32%。液体窒素が27%。液体金属酸素が22%だった」


「さすがに三ヶ月無補給はヤバいな」


LMH(液体金属水素)ってそんなに高いのですか? 水素系はどれも安価だと聞いたことがありますが」


 彼女の言っていることはおおむね間違ってはいない。


「安いといえば、まあ安いのだろう。私たちにとっては安くはないな」


 ディードの言葉には切実な思いがこもっている。


「個人が買えるって意味では、まあ安価と言えるかもな。だが液体金属酸素の方はかなり高価でな、家計に大打撃だったりする」


「LMOですね」


「詳しいな。大学で習ったのか?」


 即答するシャノン。てっきり船乗りでなければわからないと思って使わなかった。


「学校で、です」


 彼女の言い方が気になった。しかしその意味にすぐにたどり着いた。


「そうか。高校レベルの話なのか」


 シャノンが申し訳なさそうに首を縮めた。すかさずディードが言葉を挟む。


「そうだ。私たちの目的地である木星の衛星イオで固体金属水素を製造しているんだ」


 彼女がぱっと顔を上げる。


「SMHの工場ですか?! 見学とか出来ますか?」


「俺たちはイオには降りないって言っただろ? あとSMHはMHでいい。これはスラングじゃなくて広く使われている。むしろSMHなんて丁寧に言ってたら逆に宇宙(そら)では舐められる」


「わかりました。でもSMH……いけないMHって凄いですよね! 軽くて丈夫で常温超伝導物質で合金も多種多様でその全てがまったく違う特性になるのですから!」


 いささか興奮気味に語り出した。


「悪い。俺はそういう話は良くわからない。そんな事は知らなくても飛べる……」


 そこで言葉を切ってヌルくなったコーヒーを飲み干すとソファーに深くもたれ掛かった。


「ずっと宇宙(そら)にいるとな、色んなところで知識の壁にぶち当たる。初めはイキがってたが最近はもう少しちゃんと勉強しておけば良かったと後悔することもある。シャノンみたいに学があったら、そうやって全てが楽しく思えたのかね」


 最後は自嘲していた。こんな話をしてしまった自分に対してだ。


「そっ! その!」


 シャノンが顔を近づけてきた。息が掛かるほどの距離にたじろいでしまう。


「学問は後から身につけるのは難しいですけれど、勉強する事と知識を増すことはいつでも出来ますから!」


「……? 違いがよくわからん」


「私は学問とはその道の真実に近づく行為だと思っています。ですから学問とは本来求める人のみが進む道だと思っています。ですが今の教育制度では勉強と学問の区別がついていないんだと思います」


 熱く語るシャノンに気づかれないように、ディードリヒに視線をやる。ディードもカイを見ていた。二人はうなずき合って姿勢を正した。


「勉強とは本来自分が必要な事象を理解するための物です。パン屋さんがコロンブスが新大陸を発見した年代を知っている必要はありませんし、銀行員が植物の光合成の仕組みを理解する必要も無いはずです」


 もう一度二人は顔を見合わせた。


「だが知らないよりは良いだろう?」


「そういう考え方に行き着いてしまう社会システムに問題があるのだと思うのです。自分の道が決まらない間は学校へ行くことは普通の事だと思います。私は自分の道を見いだせず、だらだらと学生を続けてしまいました。ですから高校生で自分の進むべき道を見つけ、そしてそれを選ばれたお二人の事を羨ましくも尊敬申し上げます。ですからそのように自分の事を卑下しないでください!」


 彼女はいつの間にか涙を流していた。彼女の理論は一部正しく、一部は世間知らずの言葉だろう。だが二人の心には十分に響く物だった。


「自分が必要だと思った勉強は、興味のあることを知ることは、必ず身につきますから……だから……」


 シャノンはとうとう両手で顔を押さえて泣き出してしまった。


 男二人は狼狽える以外何も出来なかった。


 ◆


 マグカップに注がれたコーヒーにミルクパウダー。それに砂糖三杯を放り込んで混ぜる。ディードがそれをシャノンの前に置いた。


「ありがとうございます」


 シャノンはカップを持ち、息を吹きかけ冷ましている。まだ若干鼻声だった。


「昔な」


 カイはついでに差し出されたブラックを受け取りながら話し出していく。


「仕事中にTTジャンプの事をワープって言ってな、えらく馬鹿にされたことがある。それ以来言い方も理屈も関係無い! 遠くに移動してるのは事実なんだからそれでいいじゃねえか! って余計に思うようになっていた」


 ディードリヒも定位置に座ると低い声で話出す。


「私たちはいつの間にか馬鹿のフリをして、色んな事から逃げていたのかもしれんな」


 ディードはそれでも()よりもかなり色々な勉強をしている。逃げていたのは()だけだ。


「理解出来ないことは耳に入らない。……ダメだな。俺は」


「私もだ」


 カイは立ち上がってシャノンの頭を乱暴に撫でた。


「まあ気が向いたら、少し勉強……色々調べてみる事にするよ」


 そして壁面モニターのタイムスケジュールを確認する。


「さて、そろそろTTジャンプの時間だ」


 少々もったいないが、コーヒーはシンクに捨てて、カップを食洗機に突っ込んでおいた。


 それを見た二人も同じように行動する。


 船首のパイロットルームに向かおうとして、ディードが話しかけてきた。


「カイ」


「なんだ?」


「シャノン君には通信オペレーターをやってもらったらどうだ?」


「ん? ああ、そりゃいいな。おいシャノン」


「はい!」


 今の今まで沈んでいたとは思えない勢いで立ち上がって寄ってきた。


「……近い」


「す、すみません」


 彼女が一歩下がったところでパイロットルームを指さす。


「席が3つあるだろ。中央で1席だけ前にあるのがパイロットシートで俺の席」


「はい」


 目を皿のようにする人物を初めて目撃した。


「……あー。それで後ろに並ぶ2席の左側がコパイシートでディードの席」


「はい!」


 目が輝いている。次に続く言葉を予想したらしい。ここでお前の席はカーゴルームだって言ったらどんな顔をするだろう。


「カイ」


 どうやらこの平行四辺形ゲルマンにはいたずら心がお見通しらしい。


「それで、その右側が今使っていない通信航法なんかをするためのサブシートなんだが……」


「はい!!」


 もったいつけ過ぎか。


「シャノン・クロフォード。今から君の席だ」


「わかりました!!!」


 浮かぶような足取りでシートの横に立つと、カイとシートを何度も交互に見返す。カイが手で促してやると慎重にシートについた。うん。お前はそういう表情をしていた方がいい。


「……な、なんだか緊張します!」


「通信機の使い方はわかるか?」


 電話はモバイルとはかなり勝手が違うから、教えないとダメだろうと考えていたが、予想外の返答が返ってくる。


「これならば、使えると思います。航法側のシステムはまったくわかりませんが、通信方法の選択とバンドの選択でいいんですよね?」


「へぇ……経験あるのか?」


「学校のお友達が船用ではありませんが小型のものをよく使っていました。横で見ているうちになんとなく」


 そういえば昔は無意味にごっつい通信機器なんかをいじったりしたなあ。シャノンの彼氏がそういうマニアだったのかもしれない。教える手間が無いならそれ以上考えることはない。


「よし、8番につないで、船名とお前の名前を言ってやれ」


「わ、私がですか?」


「カイ」


 このくらいいいじゃねーかと手で制すと、ディードリヒはごく小さくため息をついた。いきなり本番をさせるなと目で訴えていたが、失敗したところで特に罰則があるわけでもなく、そもそもこんなものはエージェントに任せっきりでも構わないレベルなのだ。


「ジャンプの準備が出来たって教えてやるんだ」


「わ、わかりました! がんばります!」


 カイがニヤつきながらシャノンを見ていると、ディードリヒが無言の抗議を向けてくる。付き合いの長いカイ以外には彼の表情が変化しているとはわからないだろう。


「それでは通信を始めますね」


「おう」


 シャノンの緊張がこちらにも伝わってくる。彼女がゆっくりと通信をオープンにすると、予想外の声が飛び出してきた。


『皆さん! なにトロトロやってんですか! もうジャンプに入るんですよ! とっとと席に……ん? あれ、通信が……』


 モニターに顔を赤くして怒鳴る東洋系の男が映し出された。たしか出発するときと同じオペレーターだ。


「おはようございます。こちらはwicked brothers号のシャノン・クロフォードと申します。ジャンプの準備が出来たので連絡を差し上げたのですが何か落ち度がありましたか?」


 笑顔のまま小さく首をかしげるシャノンを見て、カイとディードがこっそりと目を合わせた。


(完璧だな)


(女は怖えなぁ)


 モニターの向こうで男が慌てて敬礼した。


『しっ失礼しました! こちらドブルー建材のalbatross号です! わたくし通信オペレーターのヤン・ゴールドマンです! こちらもジャンプ可能……です。あの……そちらは本当にwicked brothers号ですか?」


「はい。間違いありません」


『そ、そうですか……。いやぁまさかJOATにこんな美人が……』


 男の映像は胸までしか見えないが、片手で何か操作しているのは肩の動きでわかる。おそらくシャノンの映像でも録画しているのだろう。


「おい、こっちは準備出来たんだがな?」


 話が進まなそうなのでドスを利かせて割り込む。


『ふあ?! すっすみません! えっと……それでは300秒後にジャンプに入りますので最終同期チェックをお願いします』


 シャノンがこちらを見たので、横のモニターを指差してやる。上下に二つの船のジャンプステータスが表示されていて、どちらもグリーンだった。


「はい。確認しました。問題ありません」


『えーと、クロフォードさんはイオに降りる予定とかは……』


「……おい。残り時間を考えろよ?」


『うわ! また男のアップ! い、いえ! それではジャンプ後の規定通信で!』


「わかりました。ありがとうございました。ヤンさん」


 ヤンが何か言っていたが問答無用で通信を切った。今時規定通信なんぞ誰がやるんだ。カイはため息を吐いた。


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