第八話【戸惑いの漢たち】
いつもより熱くしたシャワーを頭から浴びる。どこかに仕舞っておいたはずの思いが溢れて目頭を熱くしていた。温度をさらに上げてその熱で沸いて出た思いを溶かし流そうとする。10分ほどそのままの姿勢で乱れた感情を押し流した。
シャワールームを出た洗面室に濡れたまま出るとすぐ横の壁にディードリヒがもたれ掛かっていた。
「落ち着いたか?」
差し出されたタオルで髪を乱暴に拭う。
鍛えられたカイの身体は彫刻のように美しい。
カイはディードリヒを気にすること無く身体を拭った。
「ああ。落ち着いた」
「聞いて良いことなら教えても欲しいものだな。お嬢さんも気にしている」
怒るでも無く呆れるでも無く冷静にいつも通りの口調だった。
「そうだな」
カイは暫くタオルを首に掛けたまま動かない。熱せられた身体から湯気が昇っていた。
「あの味噌汁の味が……懐かしくてな。良くは覚えていないんだがお袋の味に似ている気がしてな。それで……な」
タオルの両端を掴み、視線を下に向ける。
「たぶん……嬉しかったんだと思う」
随分と女々しい感情だとは思うが、たぶん記憶の奥底にある郷愁を感じられて、感極まってしまったのだ。
「そうか」
ディードが目を細めて口元を歪めた。
「ならばシャノン君に謝罪しないとな。誤解させている」
「そうだな。美味い味噌汁の礼も言わなけりゃな」
「本当ですか?!」
開きっぱなしの洗面室の正面通路にシャノンが光り輝く笑顔を引っさげて飛び出してきた。通路で脇で立ち聞きをしていたのだろう。
シャノンがピタリと動きを止める。そして眼球がわずかに下に動く。
当然彼はアレをぶらぶらさせたままだった。
「あ……う……ご……ご! ごめんなさーい!!」
彼女は両手で自らの顔を隠して光速の7.3%の速度で走り去っていった。
30秒ほど経過してからカイは少しだけ赤面した。
◆
シャノンはずっと静かにディードの言葉に耳を傾けていた。カイは説明下手なので全てディードにぶん投げた。
「船の事故だった。私とカイは同時に両親を亡くしたのですよ」
「まあ……」
彼女の瞳が潤んでいる。感受性の高い女らしい。
「気にしないでくれ。古い話だ。その様な訳で子供の頃からカイとは腐れ縁なんだ。困ったことにな」
「ふん。そりゃ俺の台詞だ。とっとと新しいパートナーを見つけてテメーとはおさらばしたいね」
ディードの皮肉に嫌みを返してやる。いつものことだ。
「私がいなくて会社関係のことは大丈夫なのかな? 税金申請は? JOATの各種手続きは?」
「うぐ……」
カイが言葉を詰まらせるとシャノンがクスクスと笑った。
「お二人はこのお仕事は長いのですか?」
「高二で中退してからだから、私が16歳でカイが17になっていたか?」
「俺がそんな細かいことを覚えているわけがないだろ」
無駄なことを聞いて欲しくないね。
「それもそうだな。……もう8年続けているな」
その言葉にシャノンは目を丸くする。
「え? それではお二人の年齢は、24歳なのですか?」
「そうなるな」
「まぁ……私ったらもっと離れているものだと……」
「カイの目つきが悪いのがいけないのだな」
「テメーはそのガタイで文句が言える立場かよ!」
カイが無害無臭煙タバコに火を点けた。
恒例になっているカイとディードのやり取りを見てシャノンが楽しそうに笑っていた。……そういえばギャラリーがいたんだったな。少々恥ずかしくなって咳払いした。
「でも凄いですね、高校二年生で自分の船を持つなんて考えられません」
「ちょうど出物があったからな。だから高校もすぐに辞めたんだがな」
「そんなにお求めになりやすかったのですか?」
「いくらなんでも高校生のバイト代で何とかなる額じゃねーよ」
シャノンの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「実はまだローンの10分の1も払い終わっていない」
ディードが腕を組む。ため息交じりのその言葉に「とっとと全額返したい」というニュアンスが含まれていた。
「なんで高校の身でそんなローンが組めたと思う?」
「え? お二人に信用があったからでは」
「どこの誰が親もいないガキに宇宙船分の値段をつけるってんだよ……」
カイはため息を吐いた。この女に俺たちがどう移っているのか脳みそを調べてみたいもんだ。
「私たちにはたっぷりと死亡保険が掛かっている」
「保険ですか」
シャノンは納得したようだった。
「実はな、JOATでは入れないタイプの保険だったりする」
「え?」
「どこにでも悪い奴ってのは存在するもんさ」
カイの知っている限り、知人友人仕事仲間敵味方の大半は悪い奴に分類される。それを言い出すとまたこのお嬢さんの質問攻めが始まるのでそこは流した。
「俺らに金を貸した奴らは、俺らが死んでも得するし、見事にローンを払い終わっても得するわけだ。なんせ通常の5倍は利子が高いからな」
「なかなか元本が減らなくて苦労している」
金の管理を任せているディードリヒが深いため息を吐いた。
「あの、でも支払いが終われば証券は取り戻せます! 頑張って返済して見返してあげましょう! 私もお手伝いしますから!」
彼女が手を握りしめて力説する。カイとディードリヒは顔を見合わせてから、その熱量に口を歪めてしまった。
「そうだな。そりゃ良いアイディアだ。採用させてもらおう」
「はい! 頑張ります!」
ガッツポーズを作るシャノンを見ていると、二人が忘れていた何かが胸の奥底で再び熱を帯びていくような感覚があった。船を手に入れたばかりの、あの頃の熱い感覚を。
だがこの時は、二人はその熱が灯り始めていたことを自覚していなかった。
◆
分解された銃の部品がテーブルの上に並ぶ。シャノンが横から夢中で覗き込んでいた。
カイは手早くオイルで丁寧にメンテしていく。
「銃……ですね? なぜバラバラにしているんですか?」
「見ての通り手入れの為だ。商売道具だからな」
「コイルが取り出せるなんて知りませんでした」
シャノンの手が一番大きなバネに伸びていく。おそらく無意識だろう。カイが片手で払うと慌てて引っ込めた。
「それは電気コイルじゃ無い。普通のバネだ」
彼女はおそらく一般的に使われているコイルガンだと思っているのだろ。残念だがコイルガンは分解できない。
「まあ、ではこのバネで弾を飛ばすのですね」
「どんなおもちゃだよ……。この火薬の詰まった弾丸を使うんだ」
カイが9mmパラを指で立てる。
「火薬……ですか?」
「4〜500年前の銃だからな。今のメンテナンスフリーのコイルガンとはまったく違う。それとお前は知らないと思うが火薬式の銃は現在でも使っている奴は多いんだ」
一通りクリーニングを終えて組み立て始めると、ディードリヒがテーブルの端に別の銃を置く。
「私のも頼む」
「自分でやれよ。P226なんて趣味が悪い」
「Px4Stormの方がよっぽど悪趣味だと思うが? それにお前、好きだろう。銃をいじるのは」
カイが鼻で返事を返した。ベレッタPx4を左手に構えて動作確認する。異常が無いことを確認してから立ち上がった。そのまま部屋を出るとシャノンが付いてきた。
リビング兼ダイニング兼パイロットルーム兼用の部屋を出るとすぐ目の前に壁がある。左右に通路が延びそのどちらの正面にもエアハッチがある。ここが船の出入り口だ。宇宙港などに駐機したときはこの場所に通路が繋がることになる。
左はハッチしか無いが右のハッチ側は置くに通路が続いている。左右対称の作りでは無い。つまりリビングのハッチを出て、右に折れて数歩進むと正面に出入り口ハッチがあり、さらに左に通路が続く構造だ。
そこを左に折れると通路が延びるが、左手に扉が2つ並ぶ。ここが俺とディードの部屋になっている。現在この通路にシャノンの荷物が並べられていて大変に狭くなっていた。荷物と扉を無視して通路を進むと左に少し広い空間に出る。部屋と平行に無骨な階段が上下に伸びる。
下は機関室。上は元居住スペースで現在は物置やトイレシャワーなどの生活空間になっている。階段脇の空間の中央。ちょうどパイロットルームのエアハッチの対称位置にごっつい扉があった。もちろんこれもエアハッチなのだがかなり大型の物だった。カイは階段を無視してその大型のハッチを開ける。そこは船尾カーゴルームに繋がっていた。
「わあ、こんな広い空間があったんですね」
「居住スペースが狭いから広いと錯覚してるだけだろ、この船のカーゴスペースだ。3階もぶち抜きだから少しは高さがあるけどな」
カイは説明しながら船の最後尾の巨大ハッチ前にビールの空き缶を並べていく。
「お手伝いします」
「じゃあ適当に並べてくれ」
「はい!」
用事を言いつけられるのが嬉しいのか嬉々として空き缶を並べていく。なんていうか初々しいね。
並べ終えてから、入ってきたハッチ側に戻り、壁面収納スペースからイヤーパッドを2つ取り出して1つをシャノンに渡した。
「これは?」
「いいから着けとけ」
シャノンの質問を無視してカイもイヤーパッドを耳にはめた。
壁面スペースから弾丸を取り出して手早くマガジンに詰める。左手で構えて連続撃ち。空き缶が4つ吹っ飛んだ。とりあえず問題は無いようだ。
シャノンが拍手しながら口を動かした。
「凄いです! ……?」
彼女は自分の声が良く聞こえずにイヤーパッドを外した。カイも片耳だけ外す。
「あの、これはしていないとダメな物なんですか?」
「……じゃあそのまま聞いてみな」
カイが一発だけ発射する。
ドガウ!!!
さして広くもない金属に囲まれたカーゴスペースに響き渡る強烈な銃声に、シャノンは思わず座り込んでしまった。
「み! 耳が! キーンとします!」
カイは口の端を少し吊り上げただけで、イヤーパッドをシャノンに再び被せた。どうせ今何を言っても耳が馬鹿になっていて聞き取れやしないだろう。
彼は彼女を放置して床に空薬莢を散らかしていった。
◆
リビングブリッジに戻る前に、カイが銃をベルトに挟んだのを見て「危なくないですか?」と問いかけてきた。
「慣れているからな。それにこのベルトも気に入っている」
「大きなバックルのついたベルトですね。よく似合っています」
カイは苦笑するしかない。自分でもこのバックルだけはセンスがないと思っているからだ。
「Gパンに革ベルト、それに革ジャン。男のファッションなんて何百年経ってもそう変わらないもんさ」
「それだけ男性に似合う服装なんですよ」
こうも笑顔で言われると、洒落た返しも思いつかない。
「まあ……考えないで済むのは確かだな。
リビングのハッチをくぐり、今度はディードの銃を清掃した。
「ディード。試し撃ちをするから一緒に来てくれ。その間にシャノンは昼飯を頼む」
「はい! 任せてください!」
仕事を申しつけられて嬉しそうにキッチンに飛び込んでいった。
「食材は適当に使ってくれ」
そう言い残して俺たちは部屋を出た。
「いいのか?」
カーゴルームに入るなりディードが言った。
「どうしたもんか」
ディードリヒがどこから出したのか、冷えた缶ビールを俺に渡してくれたので無言で受け取りプルタブを引く。アルコールのおかげで少し思考が楽になった。
「まさかと思うが本当にこのまま雇うわけではあるまい?」
「当たり前だ」
「……」
ディードリヒもビールを胃に流し込んだ。こいつにとってビールなど水の代わりでしかない。その後は言葉が続かずに、無言のままディードが銃を発砲していた。
黙っていたって二人とも本心は理解していた。厄介な事に。
だからこそディードリヒはわざわざ口に出して確認してきたのだ。
「……立ててくる」
ディードは空き缶を抱えて後部ハッチ前まで行って、並べて振り向いた。
その時にはすでにカイの姿はなかった。
「……阿呆だな」
カーゴルームにそんな言葉が小さく反響していた。