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第七話【新たな日常】

 寝付きが悪い日は寝起きも悪い。だから今日もそうだった。


 外音のない宇宙船では、わずかな機械音以外は一切存在しない無音の世界なのだが、どうにも朦朧とした脳みそは聞き慣れない音を捉えていた。ノイズ自体の音量は小さいモノだったので最初は夢の一部かと思ったが、覚醒するにつれ、現実の音である事を理解した。


 とんとんとん。


 くつくつくつ。


 リズミカルで心地よく、再び眠くなってくる。快いままに寝てしまいたくなる誘惑に逆らって、無理矢理上半身を起こした。


「おはようございます。起こしてしまいましたか?」


 カウンターキッチンの向こう側、見慣れない少女が緩やかな笑みを浮かべていた。


「う……ああ……」


 頭を振ってもう一度確認すると、ようやく昨日の事を思い出す。あの後カイは自分のベッドに消毒液をぶちまけてから、彼女の荷物を部屋前の通路に並べた。


 もともと狭い通路なので俺でも通るのに苦労した。無駄にでかいディードリヒなどは、そうとう苦労してとなりの自室に移動していた。


 最低限の荷物以外は後日コンテナルームに移動させる約束をさせてある。部屋に入ったシャノンは狭さと汚さに目を白黒させていたが気にしないことにして、カイは毛布一枚引っつかんでリビングのソファーに寝転んだ。


 飛び出たバネが背中に当たって眠れやしなかった。


 何か酷い悪夢をみた気がするのだが、内容は思い出せない。もっとも思い出したいとも思わないが。


 カイは回想を終えて、上半身をソファーから起こしてもう一度見慣れぬ少女に視線を向けた。


「もうすぐ朝食が出来ますから、ゆっくりしていてください」


 朝食?


 リビングから漂ってくるどこか懐かしい香りは、味噌の香りだった。


 ああそうだ。バイトを雇ったんだっけ。


 少女……いや、身長はやや低めだが、実際にはそこまで幼くは無い。出るところは大変に出ているし凹んでいるところはきっちり凹んでいる。


 現在彼女はどこの避暑地に遊びに行くのかと問いかけたくなる真っ白いワンピースと、モザイクパッチワークが素朴な味のエプロンという立ち姿だ。たしか彼女の名は……。


「シャノン」


「はい。呼びましたか?」


 つい口に出た名前に反応したシャノン・クロフォードがオープンキッチン越しにこちらに顔を寄越した。なんの外連味も無い笑顔というのは背中がむず痒くなるので辞めて欲しい。どうも食器類を洗っていた様でこちらの声が良く聞こえなかったようだ。


 カイは立ち上がってキッチンに足を踏み入れる。彼女の立つすぐ横の大きな引き出しを指差した。


「……ここが食洗機になってる」


 俺は食洗機を引き出して中を見せた。まさかと思うがこのお嬢さんは全部手で洗っていたのだろうか?


「はい。ですがこの食洗機は高速洗浄タイプですよね?」


「んあ?」


 カイは寝癖のついた頭を掻きながら食洗機を見下ろした。今時高速洗浄でない食洗機などあるのだろうか?


 宇宙船の燃料は液体水素金属である。液体酸素金属との組み合わせでいくらでも水も熱湯も生み出せる。


 核融合エンジンの生み出す熱量で超高圧水蒸気を吹き付けて一瞬で食器類を洗浄するのは当たり前だと思うのだが。地上で一般的に使われる食洗機も大抵は電力で水を瞬間沸騰させるタイプなので、仕組みとしては大して変わらないはずだ。


「高速洗浄タイプではお皿やお鍋が傷みますから、普通は繊細洗浄タイプか手洗いをしますよね?」


 彼女は首を傾げながらも、それが常識だと疑っていないらしい。わかってはいたがとんでもないお嬢さんだ。


「……この船に載っている食器類は残らず対応品だ……っていうか今時対応していない食器を探す方が大変だろ……。いったいお前の家ではどんな食器を使っていたんだ」


 カイは軽く額を押さえる。


「そうですね、金箔が貼られた物や、漆塗りの……」


「わかった。十分だ」


 カイは最後まで聞かずにシャノンの言葉を遮った。


 初っぱなから金箔が出てくる時点で普通じゃ無い。金属の金の価値は幾多の惑星開拓によって価値が大幅に下がってはいるが、未だに人気の装飾品である。特殊なプリント技術も進んでいて金箔を機械的に張り付けるなんてのも、もう当たり前の時代である。そしてそんな機械プリントであればたとえ金であっても高速洗浄に耐えられるコーティングをするものだ。


 それが食洗機に掛けてはがれるという時点で、おそらく人間が職人技を持って作り出した芸術品に違いない。それを普段使いとして利用している環境という事になる。さすがはセントラルのお嬢様学校に通うだけのことはある。かなり想像を絶するお嬢様であった。


 少し困ったようにこちらを見上げるシャノンについため息が出てしまう。彼女は何も悪くないというのに。


「……掃除をしてくれたんだな」


 見ればシンクに積み上がっていた食器類はほとんど消え失せていた。いったいどこに行ったのかと思えばしっかりと食器棚に収容されているでは無いか。これを全て手洗いしたのならたいした物である。


「はい。少し溜まっていたようですので。迷惑でしたか?」


「まさか。助かるよ。大変だったろ」


「いえ。お片付けは好きですから!」


 彼女はまるで筋肉のついてない二の腕を曲げて見せた。力こぶなどまるで無い。シミ1つない真っ白な肌に若干狼狽えてしまった。


「手伝う。といってもほとんど終わってるみたいだがな」


 よくもまあ、あの食器の腐海を切り崩したもんだ。カイは残っていた鍋や皿を食洗機に雑に突っ込んでいく。たったこれだけの事をサボっていた自分が急に恥ずかしくなってくる。


 スイッチを入れて数十秒。ぽーんと間抜けな電子音なれば、洗浄も乾燥も終了していた。カイは食器を取り出すと、適当に棚に収めていった。


「ありがとうございます!」


 シャノンが元気に頭を下げる。むしろお礼を言わなければならないのは()の方だというのに。


「そろそろ朝ご飯が出来るので、ディードさんを呼んできていただけますか?」


 彼女はことことと音を立てる味噌汁(・・・)をお玉で一掻きして、小皿に取り出し一口。


「うん。美味しく出来たと思います」


 白百合の笑顔がまぶしくて。


「ディードを呼んでくる」


 カイはその場を逃げ出した。


 ◆


 ドンドン!


 カイは乱暴に部屋の扉を叩いた。インターホンとか知らん。返事が無かったのでカイは構わず部屋の中に入った。


「ディード。朝だ。起きやがれ」


 部屋の光量を最大にすると、ディードが一呻きした。


「う……。お前が先に起きるとは珍しいな。やはりソファーはきつかったか」


 ディードリヒは起き抜けとは思えないほど速やかに起き上がると、すぐに着替え始めた。白いスラックスに白いYシャツ。赤いサスペンダー。100以上所持しているネクタイから1本を見ないで選び、でかい手の割に器用に首に結んだ。


「何かあったのか?」


 ディードがカイの表情を見てそう言った。カイは顔を押さえながら「何でも無い」と答えた。


 二人がリビング兼ダイニング兼パイロットルームに戻ると、すでにテーブルには朝食が並べられていた。


「ほう……」


 ディードから思わず声が漏れる。


 どこにあったのか木目柄のお椀には豆腐の味噌汁。茶碗にはしっかりと炊いた白いご飯。それとどこから沸いて出たのか鯖の味噌煮が皿に載っていた。鯖を買い置きしていた記憶がまったくない。


 ディードは食事とシンクを交互に見た後、恭しくシャノンに頭を下げた。


「シャノン君。片付けてくれたのだね、ありがとう。いつもカイが汚す一方で困っていたんだ。大変だったろう」


「そんなことはなかったですよ。私はお掃除とか好きですから」


「昔は私が掃除していたんだが、する端から汚す人間がいてね。次第に諦めてしまったよ」


「まあ。それだけお忙しいのですね!」


 シャノンが妙に嬉しそうに手をひらを組んだ。宇宙に出たら暇な時間だらけというのはもう理解しているだろうに、どうしてそんな感想が出てくるのかイマイチわからない。ディードは少々ばつが悪そうに頬を掻いていた。


「それではお口に合うかわかりませんが、どうぞ召し上がってください」


 足の折れたテーブルには、雑誌が噛ませてありなんとか平衡を保っている。湯気を立てる朝食にシャノンが手をかざした。


「それはシャノン君が持ってきたのですか?」


 ディードが指摘したのは鯖の味噌煮だ。奴も鯖を買った記憶など無かったのだろう。


「いえ、お掃除をしていましたら、奥から缶詰がいくつか出てきましたので。特に損傷もありませんし全て賞味期限内でしたから使わせてもらいました。……もしかして緊急用の非常食か何かでしたか?」


 急に声を小さくするシャノン。言っていて気がついたらしい。余計な気遣いだった。即座にゲルマン紳士がフォローに入る。


「その缶詰たちは私たちを嫌いだったに違いない。だから隠れていたんだろう。でもシャノン君は缶詰たちに好かれたみたいだね。好きに使ってくれて構わないよ。もっとも料理を強制する気はないんだけれどね」


「まあ」


 シャノンが目を丸くして喜ぶ。なんちゅうファンタジーなフォローだよ。時々この巨漢ゲルマンの思考が理解出来なくなる。


「それでは冷める前にいただこうか」


 ディードが指定席の一人がけソファーに腰を下ろす。その流れで俺たちも席に着いた。ディードリヒが味噌汁を一口啜ると目をカッと見開いた。


「……美味い! 稀にカイが作るものと全然違う。身に染みる美味さだ」


 そのまま一息で味噌汁を飲み干してしまった。熱く無いのかね。


「良かったらおかわりもありますよ」


「いただこう」


 ディードリヒが立ち上がろうとするがその前にシャノンが立ち上がってお椀を両手で持ち上げた。


「すぐにお持ちしますね」


「そのくらいは私がやるが」


 ディードの事だ、女性蔑視やパワハラの心配でもしているのだろう。だが満面の笑顔でおかわりを持ってくるシャノンを見れば好きでやってることなどわかるだろうに。やりたいというのだからやらせておけば良いのだ。どうせそんなに長くは続かない。


 シャノンからお椀を受け取りディードが「ありがとう」と返していた。そこまで笑顔だったシャノンの顔が急に難しく変化する。


「あの……やはりお気に召さないでしょうか?」


 シャノンはカイを見ていた。


「カイ?」


 ディードもカイの様子に気づいたのか言葉尻に疑問符を貼り付けていた。


 カイはゆっくりと腕を伸ばしてお椀を手に取る。味噌汁の表面が僅かに揺れている。無言のままお椀に口を付ける。カイの背中に電撃が突き抜けた。その姿勢のまま彫像のように動きを止めてしまう。シャノンが不安そうにカイを見つめていた。


 もう一口啜ると、身体の硬直が溶けて、それと一緒に瞳が潤んでいくのがわかる。


「カイ?」


「カイさん……」


 カイははっと顔を上げ誤魔化すように残りの味噌汁を飲み込む。さらに3口で鯖とご飯を胃に放り込んだ。


「シャワーを浴びてくる」


 カイは立ち上がって逃げるようにリビングを出た。


 残されたシャノンはすがるようにディードリヒを見ていた。


「大丈夫だ。あれは怒っている態度では無い」


 ディードは少しだけ首を傾げる。怒ってはいないがカイがあのような態度を取った理由に心当たりはなかった。シャノンと言えば動揺しているのかまるで花が萎れてしまった様だった。


「怒ってはいない……、だがあんなカイを見るのは私も初めてだな」


 テーブルの上で味噌汁が立てる湯気と沈黙がたゆっていた。


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