第二十一話【突入】
「神を信じてなくて正解だったぜ……」
「その分私が祈っていたからだ。……三年分くらいまとめてな」
「そいつぁ涙が出るぜ。見ろ」
カイがスターライト機能付きの双眼鏡をディードに手渡す。二人は闇に沈むように暗い森の中からその巨大な金属の壁を窺っていた。
「天井滑走路にあるのは小型のシャトルだな。かなり型は古そうではあるが……間違いないな」
人生全ての運勢を使い切っても足りずに来世の分まで前借りしてどうにかここまで生きてたどり着いた二人だった。将来のことを考えると憂鬱になる。
「この丘が無かったら近づくのも難しかったな」
「そうだな。歩いた距離もたった20kmですんだ」
ディードリヒが苦笑する。
「言うな。疲労を思い出すだろ」
カイが非難の視線を投げつける。
ちょうどこの惑星の逆地点に強行突入したwicked brothers号はそのまま超超低空を全力匍匐飛行してきた。ローカルマップの存在しない星でする曲芸ではない。
いにしえのSF映画もびっくりなアクロバット飛行の末、ここから20kmほどの距離に着陸した。
いま二人の立つこの丘がなければ地平線の向こうから歩いてこなくてはならなかっただろう。低圧力下用完全歩兵装備|ValiantSuitが故障中でなければヴァリアントスーツで突っ込めたというものを……。
もっとも大気用の高出力バーニアを使ってしまえば、さすがに熱感知される恐れがあるので、使うわけにもいかなかったのだが。
二人ともかなり酷い格好である。防御力の高い船外活動も出来るアストロスーツを着ていたのだが、襲いかかる野生動物たちのおかげでズタボロである。二人はもう邪魔なウエイトでしかないスーツを脱ぎ捨てながら軽口を叩く。
「もう当分は犬も猫も見たくないな」
「ふん。オクトパスに猿にビートルも二度と見たくねぇよ」
「未だに私たちがどうして生きているのか不思議でならない」
「俺もだ。……くそっほとんどの重火器を使い切っちまった」
どこにいたのか未確認の大型生物に襲われまくって、結局手持ちの大威力系武器は使い切ってしまった。
「私はP226のマガジンが残3。9パラはカバンに50発くらい予備がある。それとデザートイーグルの残弾が3だ」
「奇襲だからな。それを使う事態になったら終わりだ。……くそっ。俺のPx4も3マガジンだ。正直向こうに10人以上いたらやべぇぜ」
ディードリヒが口元を歪めた。
「そんなに少なかったら神に祈った甲斐があるというものだ」
「……ふんっ」
カイは鼻息で返すと、残弾を全てマガジンに詰めていく。アストロスーツを脱ぐと二人はいつもの革ジャンとスーツ姿だった。
「行くぜっ」
二人は闇の中にそびえる古い墓標に吸い込まれていった。
◆
玄関の外が何やら騒がしい。シャノンは迷うこと無く扉を開けた。
「あっ?! お前出てくるんじゃない!」
レグが反射的にシャノンに銃口を向ける。
「いえ、何か音がしたので気になってしまって」
無敵の笑顔で答える少女に、レグの親友がどうして惚れたのかわからなかった。
「見ての通りだよ」
ぐいと親指を肩越しに向けた。その先ではレグとペイトンを除く全員が整列していた。小さな住宅街をイメージして作られた巨大開拓船の並木歩道に戦闘服の男たちが等間隔で並ぶ姿は異常だった。
無言のまま直立するロバート隊長の横で副長が大声で指示を飛ばしていた。
「現時刻をもってフェーズEを終了し、フェーズFへ移る! 2班以外は0620までゆっくり休め! 以上! 解散!」
兵士たちは一礼した後、肩の力を抜いて、歩道を挟んだ向かい側の家に雑談をしながら消えていった。
隊長と副長が彼らの方へと軍靴を鳴らして歩いてきた。レグとペイトンが背を伸ばして敬礼する。その様は明らかに警備会社のソレではない。
「二人は交代で現状任務を維持! 以上!」
再び二人が敬礼する。
「あのっ! ロバートさん!」
すでに背を見せていたロバート隊長がピタリと止まる。
「少しでいいんです。私とお話をさせていただけませんか?」
レグはこのお嬢さんの言動に正気を疑った。どうやら横で呆けているペイトンも同じだったようだ。多分無表情だが副長も同じような感じだろう。
ロバートの視線が初めて彼女に向いた。
「なぜだ?」
「理由は……自分でも良くわかりません、でもロバートさんとお話がしたいんです」
少女は真っ直ぐにロバートの目を見据えていた。
お話がしたいから? レグは未だかつてそんな理由で隊長を呼び止めた人間など見たことが無かった。
「……良いだろう。付いてこい」
「隊長?!」
レグとペイトンと副長の三人が同時に叫んだ。普段なら副長にこっぴどく叱られるところだが、二人の声など耳に入っていないようだった。
「すぐに戻る。副長も休め」
「しかし……」
ロバートは渋る副長を無視して歩み始めた。シャノンはその背と副長を交互に3度見てから、ロバートの後を追った。
歩いている間も、エレベーターに乗っている間も彼はずっと無言のままだった。ホールを出ると外は暗闇に覆われていた。強い風がシャノンの身体を闇の中に押し戻そうとする。屋上だった。
「ここは地球によく似ている。星の分布量もあまり変わらない。だがここからの眺めはあまりにも地球とは違う」
ロバートに釣られて顔を上げる。
「改めて美しいと思います。人口の明かりが無いと地上からでもこんなに星がくっきりと見えるのですね」
シャノンの住むセントラルは銀河の中央に近い。だから密集した星のおかげで夜でもかなり明るい。漆黒に小さいが力強く輝く恒星の明かりに吸い込まれるようだった。
ロバートは答えずに天の川銀河の厚みが作る天の川を眺めていた。
「コールダー文章とは何なのですか?」
シャノンの一言で時間が凍り付いた。おそらく10分はそのままだったろう。風の音だけが世界は動いていることを知らせてくれた。
「……真実だ」
ロバートがジャケットの内側から十数枚の耐年用紙を取り出してシャノンに手渡した。何かの計算書の一部らしく数字が羅列されていた。
「これがコールダー文章なのですね?」
ロバートは無言で用紙を取ると再び元のジャケットに仕舞い込んだ。
「何の変哲も無い強度計算の一部と、その指示書だ。ただ一つ計算が合わない事を除けばだがな」
ロバートは独り言のように淡々と語った。
「もしかして……この移民船の? それでは……」
シャノンの思考がようやくパズルのピースを見つける。
「ここに立つだけであの時の痛みと苦しみが蘇る」
ロバートの横顔をエレベーターホールの小さな明かりが僅かに照らす。眼下を見下ろせば広大な闇の森が風で揺らめき、大地その物が蠢いて見えた。
「復讐……なのですね」
「その気持ちは欠片も無い」
静かな口調ではあったがハッキリと言い切った。
森がざわざわと揺れる。
「それでは……なぜ?」
ロバートは答えずにもう一度夜空を見上げた。シャノンはこの無言の中の言葉を聞き取れるほど大人では無かった。だが自分に理解出来ないことを否定するほど子供でもない。だから彼女は口をつぐむしか無かった。
森が震え、もの悲しい刻だけがひたすらに流れていく。
「くしゅんっ!」
その流れを断ち切るかのようにシャノンはクシャミをしてしまった。
「話は終わりだ」
そう言ってエレベーターホールへと歩き出すロバートに、一瞬悲しい顔を向けてから後をついて行った。音の無い箱に乗り、住居区間へと降りていく。小さな電子音と共に扉が開くと、激しい音が二人の鼓膜を打った。
「!!」
ロバートはすでにコイルガンを構えていた。シャノンの眼には彼の手に銃がジャンプアウトしたようにしか見えなかった。
ロバートが素早くホールを確認すると手錠を取り出してシャノンを手すりに繋いだ。
「あの……」
ロバートはシャノンを無視して中腰で通路の奥へと消えてしまった。響いてきた爆音は銃声だった。
それはwicked brothers号のカーゴスペースで聞いたとても古い武器の咆哮。
「来てくれた……」
嬉しいはずなのに、どうしてか笑顔にはなれなかった。
◆
一般人の立ち入りが禁止されていたメイン機関部のスタッフ通路を二つの影が足早に進んでいた。
「トラップは……無さそうだな」
ディードが通路を調べている。でっかいなりのくせにやたらと器用な男である。
「ここを誰かが通るなんてさすがに想定してないだろ。正直言うとプロのトラップを突破する自信が無かったから助かるぜ」
「第三のサブシステムで電力を確保しているようだな。この壊れて何も出来ないメインに用もないだろう」
「よく潜り込んで怒られたもんだ」
「……良く言う。いつも一人で逃げ出していたではないか」
無骨なスチール製通路から、リノリウムの床へと変わる。近くの扉を覗くとコントロールルームだった。
「ああ、せっかく逃げてんのにどういう訳か俺も後で呼び出されるんだよな。誰かがチクるからかねぇ?」
曲がり角になる度、顔を一瞬だけ突き出し、進路を確認する。
「私は何も言っていないさ。そんな事をしなくても、私はカイとセットだと思われていたからな。大変に心外だ。遺憾に思う」
「俺もだ」
二人は口の端を持ち上げてから、すぐに引き締め直す。ここから先はそろそろ一般区間である。無駄口は終わりだ。
「中央公園から抜けよう。見つかりにくい」
カイが小声で呟く。ディードは軽く頷いて銃を構えた。
頭を低くして二人は銃を両手に構えながら進む。トラップと伏兵に注意しながら何十年かぶりに歩く通路は楽しい思い出よりも辛い記憶を鮮明にさせた。
◆
松葉杖で歩き回ったあの日。野戦病院のような医務室。廊下で蠢くけが人たち。並べられた遺体……。
なのに少し場所を移せばそんな惨状があったとは思えない当たり前でいつもの町が広がっていた。誰もいないことを除けばだが。
耐Gルームはどこも地獄だったらしい。
大人たちが口々に不良品だの手抜きだの泣きながら怒鳴り散らしていた。そして今考えれば幸いであったのだろうが、当時の二人にとって絶望的な事に、二人は両親の遺体と対面することが出来た。
最初の一時間はひたすらに亡骸へと話しかけていた。次の一時間はただ口を振るわせるだけになり、次の一時間で思考は止まり、最後の一時間でようやく泣いた。
そして気がついたらまたベッドの上だった。
◆
カイは頭を振って過去の残影を霧散させた。
割り切った過去だ。今やるべき事を見失った奴から宇宙では死んでいくのだ。ここに来るまでの妙な高揚感は消え失せたが、いつもの自分を取り戻し切れてもいない。若干の焦りを抱きつつ公園スペースへと足を踏み入れた。
「枯れてないな……」
カイはモニュメントの影から公園区画を睨み付ける。
「そのようだな」
ディードリヒも訝しげに芝をさすった。
開拓船の中央部にあたる地域だ。電気が無ければ植物が生きていけるわけが無い。
「まさかと思うが、あいつら何十年も前からここを使ってるっていうのか?」
煌々と照りつける幾多の太陽灯を見上げた。
「……ぬ? そういえばなぜこの時間に明かりが灯っているのだ?」
通常船内の日照時間は開拓惑星と合わせるのが基本だ。今は夜なので本来ならこの地区は夜の照明でなければおかしい。
「そういやそうだな。タイマーが狂ってんのか?」
木々の間を足早に抜けながら、伸び放題の草花を一瞥した。
「いや、これは私たちが救出された時からずっと動きっぱなしなのだろう。……きっと皆戻るつもりだったのではないか?」
「思い出したぜ、救出船の中で、みんな戻って来たらあれをしようこれをしようなんて話してたな」
その時二人は同時にこの星に戻って来たら一番にしようとしていた事を思い出す。カイとディードの視線が一瞬合った。
(すっかり忘れてたな……。全てが済んだら……)
大切な事ほど言葉にしなくても通じる事あるのだ。
カイは改めて集中するべく一度銃を構え直した。
ここを抜ければ住居区画の家屋エリアまですぐだ。出入り口ゲートまで10mほど近寄ったときに、ひょっこりと武装した男二人がゲートから現れた。
「?!」
よく訓練されているのだろう、驚きより先に彼らのコイルガンの銃口はカイたちに向かって跳ね上がった。だがコンマ1秒遅かった。まるで相談していたかのようにカイとディードで一人ずつ仕留めていた。
「くそっ!」
無傷で倒したというのにカイに喜びの表情は欠片も無い。古めかしい火薬式の銃は爆音を周囲にまき散らした。鶏よりも確実に寝ている人間を叩き起こすだろう。
「舐めてたぜ! 誰も来られない星でまできっちり見廻りを置いてやがった!」
もちろん住居の周りくらいは用心しているだろとは思っていたが、それは奇襲でどうにかなると踏んでいた。いや、巡回二人の反応から、彼らにとっては十分に油断している範疇だったのかも知れない。
いずれにせよ、もう二人に残された手段は一つしかなかった。
「強攻するぞ!」
タイムリミットはシャノンの頭に銃口が突き立てられるまでだ。
小さな住宅地をイメージして作られたストリートに転がり出ると二人に容赦なく銃弾が降り注いだ。




