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第十八話【取引】


 地上は夜。しかもじゃん降りの雨だった。分厚い雲に覆われては銀河中央の夜とは言えども暗闇に包まれてしまう。


 どんなに綺麗で先進的な都市も一歩踏み外せばすえた臭いのする場所はあるものだ。街灯の届かないこの街から切り離された場所に彼らはいた。


「私を呼び出した人は、おそらく貴方が二人目でしょうね。カイ・ヨシカゲさん」


 ロジャーは古めかしい真っ黒な傘を差して、暗闇の中でなお影に覆われていた。


「お前を呼び出せる奴がいることが驚きだが……来るとは思わなかったぜ」


 カイは空から落ちる全てを受け入れていた。前髪が水滴を落として跳ね上がる。


「来たくは無かったんですけどね。こんな日はホテルのバーで一人ゆっくりと飲んでいたいものです」


「さぞかしお高い酒なんだろうな。そういう酒は」


「知りません? ああいう所は以外と安いんですよ。私の安月給でも飲めます」


「へえ。そのうち試しに行ってみるか」


 カイは苦笑を浮かべて目の前にいるはずの男を睨み付けた。


「惑星エキドナⅡのデータが欲しい」


 ドガガッ!


 大気に走ったプラズマが一瞬二人の姿を浮かび上がらせた。


「聞いたことの無い名前ですね。太陽系外縁天体のテュフォンの衛星とお間違えでは?」


「くっくっく……面白いジョークだぜ。ロジャーさんよ」


 雨が激しくカイを打ち付ける。


「条件は何だ? 俺自身すら理解していない手札を俺たちが持っているんだろ?」


「貴方が知らない貴方の持ち物ですか。洒落た冗談ですよ」


 カイが再び喉の奥で笑う。


「お互い無い物を交換するんだ。悪い話じゃない」


「面白いお話ですね」


 傘から奏でられるシンフォニーが空間に満ちる。


「そういえば私も似たような話を知っていますよ。存在しない文章の一部が持ち去られたという不思議なお話です」


 カイの暗い瞳がロジャーに絡みつく。


「そんなものがあるのなら一度見てみたいものですね」


 影が揺らめき、カイの横をゆらゆらと通り過ぎる。振り向くと濡れた路地の真ん中に小さなケースが置いてあった。


 丸く照らされる街灯の中央に。


 ◆


「更新完了した。出るぞ」


 ケースに収められていたデータディスクをギャラクシーマップに挿入してエキドナⅡを検索したディードがモニターを睨む。


「たて座みなみじゅうじ座渦状腕……銀河中央を挟んでちょうど地球の反対側だな」


「エキドナⅡの地形データとサジテリアスの位置は?」


「大丈夫だ。両方入ってる」


「偽装の可能性は」


「0では無いが、意味がないだろう。奴が欲しいのはコールダー文章だけだろうしな」


「悪いが航路の計算を頼む。シャワーを浴びてきたい」


「それがいい」


 大分乾いたとはいえ、まだ下着まで湿っていた。カイは片手を上げてブリッジを出て行った。


 ディードリヒが船の針路を微調整しながら突入プランを練っていく。画面に映し出された予定時刻を見て厳しい表情になった。


 すぐにパンツ一丁で髪を拭きながら戻って来たカイがその数字を見て、同じように表情を厳しくする。


「間に合わないじゃねーか」


 到着予定時刻は標準時の4月22日の朝一を示していた。


「……22日にニュースにならないことは確実だ。ロバートはどう動く?」


「時間の指定が無かったからな。いつの時点で新たなメールを作成するのか……」


 カイが奥歯を噛みしめながら飛行プランを睨み付けた。


「いや……あるぜ? 時間を縮める方法が」


「なんだと?」


「ゲルマンは真面目すぎんだよ。消された惑星にTTジャンプの安全規定距離なんてあると思うのか? 最大減速を惑星の予定地点の逆側に設定して、大気圏減速込みで全体減速値を出し直してみろ。それとTTジャンプは逆噴射しながら突入する」


 カイがニヤリと口元を歪めた。


「!」


 ディードが直感的に数値を再入力していく。予想到着時刻が21日23:19へと変わった。


 TTジャンプ時に加減速しながら突入するというのは自殺行為に他ならない。必要エネルギー量の逆算が非常に難しくなるからだ。さらにTTジャンプ時に加減速していると、大変な衝撃が船を襲うことになる。


「ジャンプアウトした時の瞬間最大Gは……67Gか。4.8tだな」


「なに。ベンツ2〜3台に潰される程度さ」


 耐Gスーツとナノマシンを飲んでも耐えられるGは最大で30Gほどだと言われている。


 さらに計算終了した結果が画面に追加される。


「生存率0.7%」


 ディードリヒは唾をごくりと飲み込んだ。


 一瞬とはいえ航空機が山に猛スピードで激突し、生き残るのと変わらない状況である。いや実際の確率はもっと低いだろう。


「く……くく……」


 ディードリヒが小さくくぐもった声を出した。


「どうしてだろう。それを止めようという気にならない」


 カイも同じく低い声で笑った。


「しかも失敗するなんて欠片も想像出来ないんだろ? わかるぜ」


 すでに航行プログラムは新しい数値に置き換えられていた。生存率0.7%に向かって爆進中である。


「私たちが姫を助けに行くことになるとは考えもしなかったな」


「レトロだな」


 カイの口元が緩む。


「それでは私たちはレトロ・ヒーローだな」


 カイは目を丸くしてから、大声で笑い出し、ディードリヒもそれに続いた。


 ◆


「ディード! ディードってば!」


 シートの上でうとうとと船を漕いでいたディードリヒの身体が揺らされる。


「ん……なに?」


 カイがシートの脇に隠れながら顔を覗かせていた。


「シッ! 先生に見つかるぞ! まくらと毛布で人型を作ってこっちに来いよ!」


 薄暗い部屋にはディードリヒが寝ていた睡眠用のシートが並んでいて、その中で同級生たちが穏やかな寝息を立てていた。


「ええ? 本当にやるの?」


「当たり前だろ! さっき先公のホフマンが入り口から離れるのを確認したんだ。今がチャンスだ!」


 カイとは移民船の建造期間に、作業員やクルーの家族の為に解説された船内学校へ転入してから知り合いになったのだが、とかく問題ばかりを起こすトラブルメーカーで、どういう訳かいつもそのイタズラにディードリヒは巻き込まれていた。


「だいたいどこもシャッターが閉まってるんだから……」


「いいから早くしろよ! ディードだって見たいだろ?」


「そりゃあ……」


「早くっ!」


 いつだってカイのこの押しにディードリヒは逆らえたことなど無かった。渋々と偽装工作を終えると、二人はシートに隠れつつ廊下へ出て、一気に走り抜けた。普段明るい廊下は照明が落とされ非常灯から発せられる緑色の光だけが床を照らしていた。


「誰もいないね」


「当たり前だろ? あと10分で大気圏に突入するんだから。……っとこっちだ」


 今は無人の住宅街を抜けて、カイが向かったのは公園広場だった。住宅街はカイやディードたちが暮らす一角で少し古いアメリカの町並みを再現していた。


 公園は大量の緑に囲まれた憩いの場所である。移民船建造初期に学校と共に作られ解放された空間で、二人はずっとこのあたりを遊び場にしていた。


 何万人という移民者を受け入れるため受け入れは出発の数年前から行っているし、また出発してからも1年という年月が航海に当てられる。


 質量が恐ろしくでかいのに、エンジンが小さいのでTTジャンプに必要な加速と、ジャンプアウトしてからの減速にそのくらい必要になるのだ。その長い航海に潤いを与えてくれるのがこのような公共施設だ。


 しかし今は天井モニターも沈黙し、非常灯だけが所々に浮かび上がる不気味な様相を呈していた。


「……ほらやっぱり。外が映ってる訳じゃ無いんだから、もう帰ろうよ」


「にひひ……見てろよ?」


 カイが腕時計をチラ見してから天井モニターを再度見上げた。


「4,3,2,1……来た!」


「えっ?!」


 突然モニターに灯が入り、大きく青い惑星が映し出された。その姿は古の地球そっくりであった。


「これ……もしかして開拓船下部カメラの映像? どうして?」


 ディードが唖然と声を漏らす。普段青空を写している大型のモニターに釘付けになっていた。


「にひひ。オペレーターのガンジャヴィーさんにお願いしたんだよ。先生の下着写真と交換で」


「……いつの間にそんなの撮ったのさ」


 広角カメラが捕らえた画像には幾本ものプラズマが惑星に向かって伸びていた。


「あっちで見ようぜ」


 カイが向かったのは池の側の芝生だった。ふかふかの草の上に寝転び天井を見上げる。上に落下していく感覚がたまらなく二人を熱くさせた。


 モニターに映し出された惑星が大きくなるのを二人は口を開けたままで魅了されていた。


 雲を抜け、海が広がり、大地一杯に植物が密集している。この星が全部彼らの星なのだ。未知の動物に自然、現象。きっと沢山見つかるはずだ。開拓という言葉が二人の少年の心を捕らえて離さない。


 冒険が待っている。


 ワクワクが止まらなかった。


 地表が近づき河川のラインがハッキリしてきた頃に、ディードリヒがある重要な事に気がついた。


「ねえ……何か変じゃない?」


「何が? 宇宙人でも見つけたか?」


 未だ見つかっていない高度知的生命に夢を馳せるカイ。


「予定だとさ、海上上空で最大減速しながらソフトタッチするんだよね?」


「俺が知るわけ無いだろ? そんな事。授業なんてまともに聞いてねーよ」


 カイは憮然と腕を組んで続けた。


「もっと良い着陸地点を見つけたんじゃねーの?」


「それなら良いんだけど……」


 カイはせっかくのショーを邪魔するなとばかりに素っ気ない。


 しかしそれは十数秒で変化した。


 凄まじい勢いで地表に近づく開拓船。カメラがどの程度ズームしているかわからないが、幼い二人にもこれが尋常で無いスピードであることを理解出来てしまった。


 高解像度カメラが肉眼と変わりないレベルで映し出すそれは、二人にとってパラシュート無しでスカイダイビングをする以上の恐怖だった。


 二人は同時に気を失った。


 ◆


「カイ、誰かこの船に同期して先行している可能性がある」


 船内にある銃火器を片っ端から集めていたカイが顔を上げた。


「なんだって?」


 彼らの乗るwicked brothers号は小型軽量で大出力エンジンを持つ銀河でもほぼ最速の船だ。今時燃費完全無視のクルーザーなど軍ですら採用しない。


 そして現在wicked brothers号はその全ての能力を持って全力で加速中である。おそらく45G加速にはなっているはずだ。ZOIH(ヒッグス場固定領域)に守られていなければとっくにぺしゃんこである。そんな船を先行加速している時点で相手の用など知れよう。


「どこの馬鹿だこのクソ忙しい時に」


 ハッキリ言って心当たりはある。沢山ある。山盛りあると言って良い。


 とかくJOATは恨みを買う仕事なのだ。心当たりを指折り数え始めればそれこそ両手両足の指を使ってもまったく足りない。


「まだハッキリとはわからないが、公式の航行情報から私たちの進行方向上へ向かった船でまとめて16隻マーカー不明になったそうだ」


 こちらは一応マーカーを出しっ放しなので、空港からの公式情報がレーザー通信で送られてきている。もしマーカーを切れば空港側はこちらの位置を知ることが出来なくなり、今のようにレーザー通信を送ることが出来なくなる。惑星が全天ををチェック出来る距離など0.3AUもありはしないのだ。


 そしてその範囲を出る宇宙船にとって、位置の判明している宇宙港に向かって定期的に自位置を知らせる行為。マーカー行為は自分の身を守る行為でもあるし、マーカーを切ることは宇宙法違反でもある。それが同時に16隻。どう考えても意図的な物だろう。


「船情報くらいはあるんだろ?」


「全て偽装データだったらしい」


「セントラルでよくもまぁ」


 カイは大げさに肩をすくめて見せた。だが目だけは鋭く()の予想ルートを睨んでいた。


「それで? 相手はどう出ると思う?」


 ディードリヒは指で額を叩きながら答えた。


「セントラルからの離脱ルートは厳密に制定されている。相手はそれを見越して先行している。そして先行している事実を考えるとこちらの足の速さをよくわかっている奴だ」


 カイは視線で続きを促した。


「16隻というので思い当たる事がある。先日の海賊バランを覚えているか?」


「あんな量産型覚えてねーよ」


 カイは苦笑して首を振った。


「あの当たりを根城にする海賊組織があるんだが、バランはそこの幹部の一人だったらしい。その組織の規模は宇宙船19隻(・・・)


 カイはピクリと眉を振るわせた。


「19−3ね」


「そういう事だ。元々私たちはあの辺りでは毛嫌いされている。日頃の鬱憤込みで復讐に来たのかもしれんな」


「わざわざこんな銀河のど真ん中でか?」


「だからだ。地球圏内ならマーカーにしても適当にやっていればいいが、この宙域はそういうわけにいかん。運が悪ければ宇宙軍とかち合う可能性すらあるんだ」


「それは奴らにも当てはまるだろう?」


「そこは海賊としての矜持ではないのか?」


「いやなプライドだな……」


 ディードの出した敵予測地点をじっくりと観察する。先行していた敵艦船がこちらと相対速度を合わせるように減速。おそらくアウトレンジ一杯の距離で相対速度が0になるように設定している。宇宙戦の基本中の基本だ。


 カイは立ち上がるとコーヒーカップをディードの分も食洗機に放り込んだ。


「ディード。耐Gスーツに着替えるぞ」


 カイは返事を待たずにカプセルを口内に放り込むと、シート下から耐Gスーツをとりだして、とっとと着替え始めた。


 ディードリヒは目を剥いて驚いた。常人が内臓破裂で死亡するようなキチガイ機動をするときですらカプセルオンリーで絶対に耐Gスーツなど着ない男が自ら進んでそれを着たことに。


 そしてディードは神へと祈った。これから散っていく海賊たちの魂に神の息があらんことを。


 ◆


「比例視覚化戦術補正システム起動」


「……起動確認。ユーハブコントロール」


「アイハブコントロール」


 これでwicked brothers号の全操縦システムはカイ一人の手に託されたことになる。


 ――比例視覚化戦術補正システム。


 このシステムが完成したのは恐ろしく古い。宇宙戦の初期にアメリカが開発したのがこのシステムで、直感的に敵を見る(・・)為に開発された。


 曲線比例的な倍率敵位置を予測表示するというとんでもない代物だ。そんな凄いシステムが現在無くなってしまったのには理由がある。


 当時このシステムを使いこなせたのは数いるエースパイロットの中で、たった一人だけだったのだ。そしてそのパイロットが打ち立てた撃墜レコードは数百年たった今も破られていない。つまり超長距離を直感的に撃ち合うためのシステムなのだ。


「ディード。予測比率を1.8に設定」


「予測比率1.8に設定完了」


 カタカタとこぎみ良い音がコパイ席から聞こえてくる。


「さてディードリヒ()


 カイがおどけて言った。


「これから最短撃破記録を見せてあげよう」


 ディードはその厳つい顔をニヤリと歪ませた。


「敵予測地点に入る! 好きにやれ!」


「OK! 相棒!」


 カイはZOIH(ヒッグス場固定領域)をカットすると同時に、マニューバーフットペダルを蹴っ飛ばした。


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