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第十三話【最速の船に別れのキスを】

 太陽を迂回してそろそろ地球に近づく頃、メールでは無くレーザー通信が入ってきた。


 カイは眉を顰めてモニターを見つめる。


「なんだ? アルか?」


 月に住む悪友の顔を浮かべながら、識別番号を確認するがまったく見覚えのないものだった。


 嫌な予感がする。


「違う……な」


 ディードリヒがコンソールを忙しく動かし始めた。


「俺が出る」


 ディードが頷く。すでにレーザー方向から相手の位置と距離は判明していた。信じられないことに5万kmも離れていなかった。完全にキルゾーンである。ディードリヒは自分の失態に己を呪った。それにしてもここまで気がつかせないとはとんでもない手練れだ。


「wicked brothersだ。そちらは?」


 通信をオープンにすると眼光に暗い光を放つ男が映し出された。一見壮年と言える年齢に見えるがカイはその男が見た目よりもかなり若いと直感した。


『もちろん海賊だ……と言いたいところだが違う。こちらはヴォルケイノ・セキュリティー。警備会社だ』


 ヴォルケイノ・セキュリティーと言えば傭兵まがいの荒っぽい仕事専門の警備会社である。JOATとの相性は最悪と言える。


「警備会社が何の用だ? 駐車整理にしちゃ場所を間違えてると思うんだがね」


 カイの投げやりに相手はぴくりともしない。


『そんな平和な仕事で喰っていけるのなら喜んでやるが、あいにくと平和な仕事はとっくにソールドアウトだ』


 内容は冗談のはずだが男の顔は微動だにしていない。


「へえ、なんなら俺たちの護衛に使ってやろうか?」


『君たちの噂は知っている。私のチームに勧誘したいほどだ』


「遠慮しとくぜ」


 カイは両手を広げた。


『本題に入ろう。誘拐された(・・・・・)シャノン・クロフォードの奪還。それが私たちの任務だ』


 カイが片眉を上げる。


「誘拐、ね」


『もちろんそれは誤解だろう』


 男の冷たい目がモニター越しにカイに突き刺さる。


『君たちは誘拐犯などではない。だからミスクロフォードはこちらに乗船するし、戦闘も発生しない。お互い平和に終了する。もちろんそれが現実になると私は信じているよミスター・カイ・ヨシカ()


 名乗ってもいないフルネームを呼ぶ男。


「ヨシカゲだ」


「それは失礼。ミスター・カイ・ヨシカゲ。……それで返答は?」


 カイはぎしりと手を握りしめた。


 ◆


 ドッキングゲートが開くと即座に銃を構えた男たちが5人素早く通路を確保する。


「何もしねえよ」


 カイは肩をすくめて見せた。男たちの後ろからモニターで話していた男も現れた。


「ミス・クロフォードは?」


「着替え中だ。すぐに来る。それと……」


「医者には診せる」


 全てお見通し。情報の差はそのまま戦力の差でもある。男たちの練度もかなり高い。カイたちはすでに負けているのだ。


「名前くらい名乗れよ」


 男は視線だけをカイに動かした。


「ロバート・ブラウン」


「ふん。本名を名乗るつもりは無いって訳か」


「本名だ」


 今度はカイが男を見る。ロバートの表情は1ナノメートルすら動いていなかった。カイはいけ好かないと鼻を鳴らした。


「カイさん……」


 奥からシャノンとディードがやってくる。ディードは彼女の荷物を引いてきた。


「カイさん、私……」


 シャノンが目の前に立つ。何を言いたいのかはわかりやすいほどに理解していたがカイはそれを無視した。


「今度は親父さんが納得する仕事を選ぶんだな」


 誰の差し金かなど考えるまでも無い。母親の可能性もあるが同じようなもんだろう。


 シャノンの表情が驚愕に固まる。カイはシャノンの肩を叩いた。


「縁が無かったな」


 それが二人の躱した最後の言葉となった。


 ◆


 月は人類最初の地球外活動拠点となった地である。また宇宙開拓の黎明期を支え続けた星でもあった。だが今ではあらゆる宇宙ゴミが集められ積み上げられた無法地帯と化していた。


 人はこの地をジャンクキャッスルと呼ぶ。


 相変わらず電気代をケチって暗い町中に、古いネオンが幾百も浮かぶ。重力コイル上に無造作に積み上げられた居住ブロックが迷宮を作り出し、よそ者を受け付けない。湿った金属の床の上をディャコタラメデュスが22本の足を駆使してゴミの陰から陰へと身を隠す。


 安定水素金属の一種でシースルー化された物質。通称ガラス。実際には金属としての特性は無くなり絶縁体になっている。なおこの素材は中性子をブロックするので宇宙船や宇宙服など幅広い場所で使われている。実質的にはガラスと完全に置き換わっていると思って良い。


 所々大型のガラスで外が見えるようになっている。積み上がった大量のジャンク山から覗くように濁った地球が浮かんでいた。既に核汚染でまともに人が住めるような場所では無いのに、未だに何兆人という人間がへばりついてる人類誕生の地だ。


 カイとディードリヒは薄暗く湿り入り組んだ路地を進んだ先にある酒場へ足を踏み入れた。この店はいつだって猥雑に満ちている。


 二人はいつものカウンター席に座ると注文するまでも無く、ふた指分のウィスキーが目の前に注がれた。カイはいつも通りちびちびと酒を舐めていると、いつも通りバーテンのジャワハラルが声を掛けてきた。


「暗いねぇお二人さん。その顔は女がらみと見るね」


 立派な口ひげを蓄えたジャワハラルが真っ白い歯を剥き出しにした。


「私は違うが、カイはそうだな」


「ほほう。カイが? 珍しいな! それでさっそく振られた訳だ!」


 何が面白いのかジャワハラルは歯茎まで見せていた。


「そんなんじゃねーよ」


 カイが残っていた液体を一気に飲み干すと、胃がカッと熱くなった。そのまま空のグラスを2〜3度振ってから、ジャワハラルにグラスを突き出す。バーテンはやれやれと手のひらをわざとらしく掲げてからおかわりを注いだ。


「ふーん? それにしちゃペースが速いねぇ。ウチは助かるけどね」


 ディードリヒはビールで喉を鳴らしながらピーナツを摘まんでいる。


「……これでいいのか?」


 ぼそりとディードが呟いた。カイが鋭い視線をそちらに向ける。


「予定通りだろ。お嬢様に続けられる仕事じゃ無い」


 グラスに色とりどりの光が反射している。


「それは、そうなんだがな」


「イレギュラーであったのは確かだが、どの道すぐに辞めたさ」


 カイがピーナツに手を伸ばしたがディードにピシャリと手を叩かれた。


「……カイ。実は問題が一つある」


 カイは眉を顰めて続きを促した。


「うっかりしていたのだがシャノン君にアルバイト代を渡していない。これは大変な労働基準法違反だ」


 カイがディードを睨み付ける。


「彼女が労働局にでも訴えたら事だな。ああ。まったく頭が痛い」


 ジャワハラルがニタニタした視線をカイに向けていた。


 カイは立ち上がって100エピオン札をカウンターに叩きつけた。ディードとジャワハラルが肩位置まで手のひらを持ち上げて首を振った。


 ディードはお釣りを受け取って乱雑に歩き出したカイの後を追った。


 ◆


「どーぞ、お嬢さん」


 若い金髪の男性がシャノンを個室に案内する。


「ヒルトンのスイートとはいかないが、シャワーもトイレもついてるからしばらくは我慢してくれよ」


 警備会社の宇宙船は質実剛健な作りで通路一つとっても面白みがない。


「はい。ありがとうございます」


 シャノンが涼やかな笑顔で一礼すると、男の顔が真っ赤になった。


「う、うろちょろしないでくれよ?」


 男は部屋を出てドアをロックしていった。シャノンはベッドに腰を下ろして息をついた。


 ――なぜでしょう。どんな時でも私は新しい物が楽しくてしょうが無かったはずなのに、今は何を見ても面白いと感じません。


 さっきの笑顔もかなり意識して作り出していた。今までそんな事があったでしょうか?


 この部屋もとても居心地が悪い。大学の友人宅はもっと汚かったし狭い部屋だって沢山あった。でもその時でも普段見られない物を見られる喜びと楽しさに満ちていたはずだ。しかし今は何を見ても心が躍ることは無い。いつからそうなってしまったのだろう? シャノンはゆっくりと刻を遡る。


『縁が無かったな』


 そうだ。あの時からだ。


 カイの最後の一言。


 そんな事は無い。私とカイさんとディードさんには縁がある! 絶対に!


 そこに考えが行き着くと、シャノンは急に元気が戻って来た。


 そうだ。私たちに縁はきっとある。まずはお父様の誤解を解いてからお二人の所に戻ろう。


 シャノンの顔に次第と笑顔が戻ってくる。心が躍り始めて落ち着きが無くなっていく。場違いなほど優雅に立ち上がるとシャワールームやトイレなど部屋の中を隅々まで楽しげに見て回った。


 ◆


 食事を運んでくれたのはここへ案内してくれた金髪の青年だった。名前をエルネストというらしい。この退屈な船旅はもう6日目に突入していてさすがのシャノンもうんざりしていた。食事も味気ないものであり、彼女の唯一の楽しみと言えばこのエルネストとの会話だけだった。


「まあ、それは怖かったでしょう」


「そうなんだよシャノン。腕がぶっ飛んだ痛みより、敵の中で孤立した恐怖の方が強かったんだ」


 エルネストとシャノンはベッドに並んで座っていた。この部屋には他に座る場所がなかったからだ。エルネストの腰を下ろす位置は日ごとに近づいていき、今では身体が接触するほどだが、シャノンの笑顔はいつも通り光り輝いていた。


 エルネストの人生は彼女の笑顔のごとく一番輝いていた。


「もう左腕は良いのですか?」


 エルネストは袖をまくって鍛えられた筋肉を見せつける。彼なりのアピールだった。


「一からの再生だったから半年以上掛かったけど、今ではこの通り!」


 二の腕を膨らませて歯を輝かせた。


「まあ! 凄いです! もしかしてコインを曲げたり出来ますか?」


「え? ……み、右手ならなんとか……」


 試したことも無いのにとっさに嘘をついてしまうルネストを誰が責められよう。


「あの……良かったら見せてくださいませんか? エルさん」


 これは試練だ!


 エルネストは「もちろん!」と答えてポケットから一枚のコインを取り出す。


 信じろ! 自分を信じるんだ!


 一度深呼吸をしてからコインを摘まむ。シャノンの眼には期待が星となっていくつも瞬いていた。


「をおおおおおおお!!」


 神よ! 我に力を!


 全身全霊、極限まで力を込める。


 神よ! とくとご覧あれ! これが俺の愛の力だ!!!


 くしゃりと75デクシア硬貨が折れ曲がった。


「凄いです! びっくりしました! 本当にこんな事が出来るんですね!」


「まあこんくらいは朝飯まえさ」


 この笑顔のためなら、まるで骨にヒビが入ったような痛みだって耐えてみせるさ!


「シャノン……あの」


 エルネストは少しだけ彼女に顔を近づける。


「はい?」


 笑顔のまま返答する彼女の両肩に両手を載せた。


 ――キスしてもいいか?


 その言葉は彼の口から発せられることは無かった。胸のレシーバーが電子音を鳴り響かせたからだ。


『エルネスト、戻ってこい』


 隊長の短い一言に反射的に立ち上がり大声で復唱した。びっくりしているシャノンにバツが悪そうに頭を掻く。


「あー、俺もどるね」


「はい。お仕事頑張ってください」


 落ち着いた笑みに見送られて通路を走る途中、手の中のもう使えない75デクシア硬貨を見つめてナイスアイディアを閃いてしまった。


(そうだ。明日これをプレゼントしよう)


 エルネストの回りだけ、重力が弱くなっているようだった。


 ◆


 7日目の朝、幸い服は沢山持っているので衣食住には困らなかったが部屋の扉はロックされ、洗濯も出来ず、窓も無いので星空すら楽しめない状態だった。


 しかしそろそろ惑星セントラル・ナディアに到着する頃だろう。シャノンは頭の中で何度もシミュレーションした<お父様説得計画>を頭の中で繰り返す。もうこんな強引な手段で回りの人々に迷惑を掛けさせる訳にはいかない。


 それにしても自分の父親がここまで常識を外れた人だったとは思わなかった。シャノンは自分の事を棚に上げ深いため息を吐いた。


 ちょうどそのため息と同時に予告なく扉が開いた。いつもならインターフォンを鳴らしてから入ってくるのにと思いつつ顔を上げると、エルネストではなく隊長と呼ばれていた大柄のロバート・ブラウンが立っていた。その後ろには武装した部下が待機している。


「ミス・クロフォード。こちらへ」


 愛想も何も無い。しかしシャノンは気にせずいつでも出られるように用意していたトランクを押して後に付いていった。


「ようやく到着しましたのね。さすがに息がつまりそうでした。散歩くらいはさせてもらいたかったです。もっともお船の中では行き止まりばかりでしょうけど」


 シャノンは冗談を言ったつもりだったが、誰一人眉すらも動かしてくれなかった。彼女は少々口を尖らせた。


 ウィケッドブラザーズ号に比べるとこの船はかなり大きいようだった。いや、あの船が外洋船としては小型すぎるのかもしれない。シャノンが案内されたのは貨物室(カーゴルーム)だった。


「あの……?」


 てっきりエアハッチに案内されると思っていたので、状況が掴めない。


 カーゴルームには翼の付いた小型機がセッティングされている途中だった。おそらく大気圏を行き来するための船だ。ほとんどの惑星でこの手の大気圏突入機の使用は禁止されている。もちろんセントラルも例外では無い。


 シャノンは急に不安になり回りの男たちの顔を見渡した。すると彼らは額から汗をだらだらと流すほど緊張していた。


 鈍いシャノンですら直感出来た。何か、大変な事に巻き込まれていると。


 彼女の身体から急に力が抜けて、その場に腰が落ちてしまう。男たちはただシャノンに視線を移し、無言で立てと伝えていた。


 シャノンが震える身体を起こそうとしたときだった。指先に何かが触れた。初めはネジか何かだと思ったが拾ってみると、それはもう使用できない75デクシア硬貨だった。


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