第十一話【海賊】
『海賊からメールが来た』
レオナルド船長が顔を真っ青にしてモニターに映っていた。シャノンはそれを聞いて目を見開き、両手を口に当てた。
「転送してくれ」
すでに船は海王星軌道を越え、土星軌道上を過ぎた頃だった。
『よーお! 君たち元気に飛んでるねー! でもここはバラン一家のナワバリなんだわ。通行料を受け取りにいくから、進路を指定方向へ変えな! 30分以内だ! ちゃんと言うこと聞いたら通行料の荷物だけで許してやるが、もしも無視するようなら……けっ! 言うまでもねえだろ! 長生きしたけりゃ良い子にしな!』
ひげ面のいかにも海賊という体で、カイとディードリヒはうんざりと天を仰いだ。
「もう少し工夫が欲しい所だな」
「まったくだ。あんなステレオタイプで良くも生き残ってこれたな。俺なら恥ずかしくて死ぬ」
苦笑する二人にレオナルドが怒鳴る。
「ふざけるな! どうするんだいったい!」
「一番安全な方法は相手の言うとおりにする事ですな。荷物は海賊に、保険金があなたたちに。ま、保険料は上がりますがあんたたちには関係無いでしょう? おすすめです」
ディードが懇切丁寧に説明する。実際海賊は相手の命を取ることはまず無い。やりすぎると賞金が跳ね上がって賞金稼ぎに付け狙われるからだ。
「なんの為の護衛だ! それにこの荷物は……ダメだ! 絶対にダメだ! お前たちは自分の仕事をしろ! 敵を殲滅したまえ!」
「へいへい」
カイは肩をすくめて答えた。
『戦闘にあたっては、そちらのお嬢様をこちらで預かろう。すぐにドッキングしたまえ』
「ああ、その方が良いな」
「待ってください! 理由を教えてください!」
カイがドッキングシークエンスに入ろうとしたら、シャノンに遮られた。
「理由って……そりゃ危ないからだ。今から戦闘を始めるんだぜ?」
単機ならともかくせっかく避難場所があるのだ。利用しない手はない。
「それなら心配はありません。入社説明で危険がある職業であることはしっかりとお伺いしています。それに私がそちらに移ったところでこの船がやられてしまったらそちらの船が無事でいられるのでしょうか?」
『それは……』
レオナルドが言葉に詰まる。
「それに私はこの船のクルーです。降りるつもりはありません」
カイはため息を吐きつつも、どこか嬉しかった。
「レオナルド船長はそのまま予定通りに飛んでくれ。俺たちは俺たちの仕事をする」
「しかし、それでは……」
「理由はどうあれ今のシャノンはウチのクルーだ。お客さんじゃない。そっちとの全リンクを切るぞ。レーザー通信も無しだ。そっちに電子戦の影響が出るかもしれんからな。ギャラクシーマップと光学系をメインに切り替えろ。一分後に離れる」
レオナルドはため息交じりに敬礼した。
「武運を祈る」
「そっちもな」
通信を切ってディードに向く。
「どこから来ると思う?」
「そうだな……普通に考えると小惑星帯からだろう」
ディードが額に指を三度ほど当てて思考する。
「初めからあの輸送船を狙っていたのなら後ろのトロヤ群から上がってくるな」
「決まりだ。プラズマ流動を前方から後方に切り替える。頭を回すぞ。どのくらいの位置にいると思う?」
「1au内には必ず」
この手の予想をディードリヒが外したことはない。
「あの……普通船の自位置は近くのセンターに送っているのではないですか? それを参照すれば……」
「海賊が律儀にそんなもん送るわけがないだろ? ちなみに俺たちの船も送ってないぞ」
「え? それって宇宙法違反なのでは?」
「いや、護衛船に限っては護衛中のみ送らなくても良い決まりになっている。ちなみに海賊なんかに襲われた場合は輸送船や商船なんかも識別信号を切っても良いんだがそれは誰もやらない」
「何でですか?」
「一時期保険金詐欺が流行ってな。保険屋が条件として識別信号を切らなかった場合にのみ保険金を支払うように変更したんだ」
「それは……かえって被害が増えるのではないでしょうか?」
「そうでもない。海賊のでる宙域なんてのは限られてるしな。ちなみに海賊はセンターの情報をハックしているから、ターゲットの位置はバレバレだ」
「そんな……」
「だからこそ俺たちがいる。普通に警備会社と契約していれば、いったい何隻の護衛船を引き連れているのかなんてわからないから、なかなか襲えない。ところが今回は別だ」
「どうしてですか?」
「仕事の依頼が普通に安全局の依頼板に流れたからな。普通に考えたらJOAT1隻の護衛とわかる訳だ」
「えっと……それは仕事の依頼内容がすでに依頼板に記入されているから、ですよね?」
「そういうこと。出発地も到着地もわかってるから好きな場所で襲えるしな」
JOATはトラブルを呼び込む。
その理由の一つがこれだ。
「余計な時間は無いぞ」
ディードリヒが二人を促す。
「よしシャノン。これを飲め」
カイに小さなカプセルを渡されて、シャノンが顔を上げた。
「血流をコントロールするナノマシンだ。それとすぐにこれに着替えろ」
カイはシートの下に納められていたスーツを取り出した。シャノンはクスリを飲み込んでからウェットスーツの様な服を受け取った。
「耐Gスーツだ。時間が無い、急げ」
何かを言いかけていたシャノンを強引に部屋から追う出す。カイもカプセルを口に放り込んでシートに着座した。
「カイは着ないのか?」
「俺たちがそんなもん着たら、つい無茶な機動をしちまうだろ」
「それもそうだな」
二人はニヤリと笑った。
「200万kmは近づきたい所だな」
「先に見つけてくれ」
「任せろ」
この自信はどこから来るのか。だがディードリヒは有言実行の男なので安心して任せられる。下準備が済んだところでエアロックが再び開いた。
「お待たせしました……あの……これ身体のラインが……」
戻って来たシャノンがキッチンカウンターに身を隠す。
「早くシートに着……け」
カイが振り返るのとシャノンがキッチンから出てきたのは同時だった。想像以上に発達した胸と、折れそうなほどくびれた腰が耐Gスーツでくっきりとラインを浮かび上がらせていた。
「お、おう」
カイは思わず言葉を詰まらせる。
(こいつ……着やせするタイプだったのか、あれでも)
身長が低めだったのであまり気にしないようにしていたが、想像以上の爆弾ボディーに珍しく狼狽えるカイであった。
「あの……」
シャノンが身をよじらせてカイの視線を意識していた。
「す、すまん。早く席につけ」
「は、はい!」
ぱたぱたとナビ席に身を沈めるシャノン。
「そのまま動くな」
「はい」
コンソールに手早く手を走らせると同時に、シャノンの座っていた席がバシュっと空気音を立てた。
「きゃっ?!」
彼女の席は高級マッサージチェアのごとく、エアクッションに包まれていた。
「今からかなりきつい機動になる。しばらく我慢していろ」
「は、はい……ちょっと……苦しいです」
どこが。とは聞かなくても一目瞭然だ。左右のエアバッグに押し上げられた双丘が大変な事になっていた。
カイは無理矢理視線を前に戻して自らも4点ハーネスを身につける。自動的にベルトに空気が注入されて身体をがっちりと固定する。シャノンのように全身ではないが、胴体は完全に固定されていた。もちろんディードリヒも同様である。
「さて、これから相対戦闘モードに入る訳だが」
シートに設置されたミラーをチラ見すると、そこにシャノンが映っていた。
「いいかシャノン。これからZOIHを切る」
「え?!」
――ZOIH。
Zone of the immobilized Higgs field(ヒッグス場固定領域)と呼ばれる特別な力場の事である。
これは物質に質量を与えるヒッグス場を閉じ込めて力場の中に固定する作用がある。ヒッグス場の中で物質が進むとヒッグス粒子に邪魔をされる。この邪魔こそが質量だと思ってもらえばいい。
もしこのZOIHが無い状態で船を加速させるとしたら基本的に1G加速が一般的となる。それ以上加速するとこのヒッグス粒子に邪魔されて身体が耐えられなくなるからだ。
だがこの時代20G加速なんてのは当たり前である。それを可能にしたのがZOIHだ。
ヒッグス場を水と考えて欲しい。まずは水の上を走る船があると想像して欲しい。船の上にはあなたが乗っている。水の上を走っている間は問題無いだろう。
ところがその船が突然水中を走り出したらどうだろう?
とりあえず水中でも呼吸が出来るとして考えてもらいたい。船がそのまま水中を直進するとして船の上に乗っている貴方はどうなるだろうか?
凄まじい水圧で潰されるか流されるかしていまうだろう。だが、船と貴方が大きな瓶に入れられたらどうなるか?
瓶はまっすぐ水の中を進むが、中の貴方は潰れるようなことはなくなる。この瓶にあたるのがZOIHである。
つまりZOIHを切ると言うことは、今まで気にしなくて良かった質量やら慣性やらが戻ってくるということだ。
「そ、そんな……ZOIHを切ってしまったら……」
「そうだ。今まで無効化されていた慣性重力が働くようになる」
「私たちはぺしゃんこになってしまうんですか?」
「いや、ZOIHを切るタイミングでジェットを切る。加速も減速もしない状況だ。ZOIHを切っても何も起こらない」
シャノンの表情が引きしまる。
「切らなければならない理由があるのですね」
「簡単に言うぞ、こちらの位置を知られない為に、相手のレーダー類を妨害する。色んな電波帯を使うんだが、これがZOIHと同時に使えないものが多数含まれるんだ」
「わかりました」
「それでな……」
カイは一度言葉を区切った。
「今から無茶なGが掛かる。瞬間的には5Gや10Gじゃきかない。ナノマシンに耐Gスーツ。シートも最大耐Gモードにしてあるから死にはしないが……きついぞ」
彼女は一度唾を飲み込んだ。
「大丈夫です。覚悟は出来ています」
「……悲鳴は上げていいからな」
カイが軽口を叩くとシャノンが顔を真っ赤にした。
「そんなはしたない事はしません!」
カイは口元を緩めるとスロットルレバーを握りしめた。
「行くぜ!」
後方ノズルから加熱されたプラズマがwicked brothers号を一気に押し出す。
シャノンの悲鳴が響き渡った。