※ただし、ブサメンに限る
「上月さん、俺とつきあわない?」
壁にドンと手を突きながら(これが噂の壁ドン!)ぐぐっと私に顔を近づけてきたのは、我がキャンパスでもイケメンと有名な永吉くん。
くっきり二重瞼に、長い睫。大きな黒の瞳に見つめられて、私は思わずオエッと、口元を押さえてしまいました。
あああ、ダメダメ! もうかなり慣れたけど、至近距離だとやっぱりキツい!
「ううううう、ごめんなさい!」
顔を直視しないように視線を横にずらしながら、私は永吉くんの告白をきっぱりと断りました。
「なんでダメ? 上月さんが誰ともつきあわないのって、俺のことを想ってくれてるからなんでしょ?」
永吉くんは不服そうに肩をあげ、尖った声で言いました。
ひぃぃぃっ! 私、まったくアピールした覚えないんですけど、どうやったらそんな誤解を!?
やはり周囲からイケメンと騒がれる生物は、過剰な自信に満ち溢れるものなんでしょうか。
「どうしてそんな風に思ったんですか?」
「だって上月さん、告白を断るときに必ず言ってるでしょ。容姿がタイプじゃない、って」
「うっ」
「しかも、上月さんに告白する奴って、レベル高い奴多いのにさ」
「うう」
「だから、きっと俺が告白するのを待ってくれてるんじゃないのかって思ってた」
確かに永吉くんの言うことは間違いじゃない。
私は実に贅沢なことに、容姿を理由にいくつかの男性の告白をお断りしてきましたとも。
だけど、だからってどうしてそれが貴方が好きだってことに繋がるのですか!
「ねえ、どうしても俺じゃ駄目?」
永吉くんは、その端正といわれるお顔を、さらにグイッと私に近づけました。
ひぇぇぇぇぇ、もう、限界!
「ごめんなさい!私、永吉くんの容姿もタイプじゃないんです!」
私はそう叫ぶと、永吉くんの身体をドンと突き飛ばし、ダッシュでその場を逃げ出しました。
聞いた? 上月さん、永吉くんでも駄目だったんだって。
メンクイだって噂だけど、永吉レベルでも駄目なのかよ! てか、上月さんが靡く男っているの?
永吉くんに告白されたのはつい先ほどだというのに、もうそんな噂が広がってしまったようです。
どうしてこの手の噂は広まるのが早いのか……好奇の視線に耐えきれず、トイレをよそおって私はこっそり講義を抜け出しました。
空いた時間で別の授業のレポートを仕上げようと、コンピュータールームへ向かいます。
幸いなことに、コンピュータールームには私の他に人はいませんでした。
私はほっと息を吐きだして、入口近くのパソコンを立ち上げます。
レポートを書きながら、私はさきほど耳に入った噂のことを考えました。
私には噂があります。上月玲奈はすさまじいメンクイである。という内容です。
間違っちゃいません。間違いなく私はメンクイなんですが、でも、やっぱり納得いきません!
私、超絶メンクイと噂の上月玲奈には、誰にも言えない秘密があります。
なんというか私、前世の記憶があるのです。
しかも、その前世っていうのが地球とは全然違う、いわゆる異世界のもので。
おかげでこの世界の言葉が覚えにくかったり、常識のズレに頭を抱えたりと、とっても大変でした。
中でも一番大変なのが、ものすごぉぉぉぉくズレのある、美意識の違いなのです。
大きな目に筋の通った高い鼻、形の整った眉毛。薄い唇。細く、ほどよく筋肉のついた身体。
この世界でよく言われる美形の条件ですが、それって、私的にはものすごく醜悪に見えるんです。
あんなギョロっとした目のどこがいいの!? 細くて頼りない眉のなにが良いの!?
本当、この世界の美意識って信じられません!
私の世界では、逞しい太い眉毛に、細く優しげな目、ぼてっとした唇、ふくよかな身体が美形の条件でした。
そう。私の理想は、この世界ではブサイクと称される方々なのです!
あんな格好良い人達が、この世界ではキモいだの、ブスだのと言われている。
もう、信じられません! 美形に対する冒涜です!!
かくいう私の容姿は、私基準ではもう、どうしようもないくらいのブス。
ギョロっとした大きな目に、気持ちの悪い長い睫。小さな鼻に、胸と尻以外は肉のつきにくい身体。
鏡を見るたび悲鳴をあげそうです。本当に気持ち悪い!
なのですが、幸いにして、この世界ではどうやら私はかなりの美少女らしいんです。
この世界で美形と言われる殿方に、なんども告白されているので間違いありません。
………はあ。
なんで私に告白してくる人って、ああも不細工……こほん。この世界基準での美形の方ばかりなのでしょうか。
私だって、容姿が全てというわけではないんです。
そりゃあ多少好みとズレていたって、人柄が良ければ愛せます。
だけど、自称イケメンズ。彼らは無理です。あまりにも好みとかけ離れ過ぎていて……。
いや、顔が駄目なだけならまだいいんです。
だけど、彼らはイケメン。この世界では間違いなくイケメンで、女子にもモテモテなのです。
つまり、非常に自信家であらせられる。あの容姿なのに! 私も人のこと言えない顔だけど!
そのギャップのズレが、どうしても受け付けない。私にイケメンは無理です。
だけど、私好みの男性は、どうしてだか私を遠巻きにして、声さえかけてくれません。
このままじゃあいけません。こうなったら、私から積極的に好みの男性に声をかけなくては……。
そんなことをツラツラ考えながらレポートを書きあげ、印刷しようとプリンターを機動させたそのときでした。
ガガガガガと嫌な音を立てて、プリターが停止しました。
「うあ、紙詰まりした?」
私はコンピュータールームに置かれたプリンターに近づいて、詰まった紙を取り除こうと力任せに引っ張りました。
けれど、紙はビリっと破れただけで、いまだプリンターはエラーを訴え続けています。
「えーっと、こういうときはどうすれば……」
科学と無縁だった前世の影響か、私はめっぽう機械に弱いのです。
なんとかパソコンとケータイは人並みに扱えるようになりましたが、トラブルが起こるとまったく駄目。
早々に匙を投げて助けを求めようと部屋を見回したけれど、コンピュータールームに私以外、人の姿はありません。
これはもう、管理室にヘルプを求めるしかないと、意を決したそのときでした。
ガラッとコンピュータールームの扉が開き、一人の男性がやってきました。
彼の姿を見て、私は一瞬、呼吸を忘れてしまいました。
無造作に伸ばしたクルクルと癖の強い黒髪。太く逞しい眉毛の下で、優しげな細い目が瞼に埋もれています。分厚い唇はテカテカと艶めかしく、顔の中央では大きな鼻がその存在を主張しています。
なんという理想的なお顔の配置!
それだけでも胸がドキドキするのに、彼の体にはふっくらとお肉がついて、思わず抱きつきたくなるような柔らかさで揺れています。
まさに。まさに!
私の理想を体現したような男性が、扉の向こうに立っていたのです!
食い入るように見つめる私と目が合って、彼は一瞬、嫌そうに顔を顰めました。
彼はそっけなく私から目を逸らすと、部屋の端にあるパソコンへと真っすぐ向かい、ギシリと椅子を軋ませて座りました。
その間、私は彼から目を離すことができませんでした。
だって、太っていることが悪徳とされるこの日本で、ここまで理想的なお顔と体の男性はなかなか見ることができません。少なくとも、私の周囲にはいませんでした。
彼はパソコンを立ち上げてなにやら作業を始めましたが、私の視線が気になるのか、気まずそうにチラチラとこちらを伺い、目があうと途端に視線を逸らします。
は、話しかけても良いでしょうか。
私がドギマギしながら迷っていると、たっぷりとした沈黙のあと、彼は意を決したように椅子から立ち上がりました。
「…………」
彼が私に向かって、小声で何かをボソボソと話します。
私は耳を大きくして声を拾おうとしましたが、あまりに遠慮がちなその声を聞きとることができませんでした。
「あ、あ、あの、なんでしょう?」
彼が話しかけてくれたことが嬉しくて、私は思わずどもってしまいます。
すると彼は眉根を寄せて、明後日の方向に視線を向けながら、先ほどよりも大きな声で言いました。
「プリンター」
「え?」
「エラー出てるみたいだから……その、直しても、いいけど」
彼の言葉に、私はハッとしました。
そうだった。私、プリンターを詰まらせて困っていたのでした。
私としたことが、あまりに理想的な彼の姿に気をとられて、そのことをすっかり忘れておりました。
咄嗟のことですぐに返事ができないでいると、彼は小さく息を吐きだしました。
「余計なお世話だったら、いい。話しかけて悪かった」
そう吐き捨てると、彼はすぐさま自分の席に戻ろうとします。
「めめめめめ、迷惑なんかじゃないです!あの、見てもらっても良いんですか?」
私が慌てて声をかけると、彼は無言で頷いて、エラーを出し続けるプリンターへと向かいました。
慣れた手つきでプリンターの蓋を開き、詰まっていた紙をあっさりと取り出し、なにやらいくつかボタンを押して、プリンターを再起動してくれました。
「これで、印刷できると思う」
彼はぐしゃぐしゃになった用紙を握りつぶしてゴミ箱に捨てると、もう用は済んだとばかりに席に戻りました。
私はせっかく彼がプリンターを直してくれたというのに、レポートの再印刷もせずに、ただぼうっと彼に見惚れていました。
彼は素早い手つきでキーボードを叩いていますが(ああ、その手さばきも格好良い!)、やがて居心地が悪そうに視線を彷徨わせはじめました。
「まだ、なにかトラブルでも?」
彼は根負けしたように顔をあげると、不思議そうに私に尋ねます。
「ええっと、そういう訳ではないんですけど……」
「そう」
すぐに会話を終わらせようとする彼に、私は慌てて食い下がります。
「あの、直して下さってありがとうございます!パソコン、お詳しいんですか?」
なんとか少しでも会話を続けたいと思い、私は彼の隣に座ってプリンターを直してもらったお礼を告げました。
すると、彼は心なしかちょっと座りなおして、私から距離をあけてしまいます。
「べつに、大したことじゃないし……っていうか、これくらい工学科なら誰でもできるし」
「あ、工学科の方なんですね。私、どうにも機会が苦手で、エラーが出るとどうしようもできなくて困っていたんです。助かりました」
見たことがない人だと思っていたら、彼は工学科の生徒らしい。商業科の授業でみかけないわけだ。
このコンピュータールームは商業科棟にあるとはいえ、どの学科の人にも開放されているから、他学科の人が使っていても問題ない。
だけど、他学科の人がこの棟にやってくるとは、珍しいものである。
「工業科にもコンピュータールームってありましたよね?今日はどうして商業科に?工業科のパソコンの方が高機能だって聞きましたけど」
「この時間、殆ど誰もいないって教えてもらったから……人がいるって知ってたら、来なかったし」
彼はそういって小さく息を吐きだすと、パソコンの電源を落として立ち上がる。
「それじゃあ」
「え、あれ、もう帰るんですか?」
早くない? あれ、今来たばっかりだよね?
「俺がいると迷惑だろうから」
「え、迷惑って?」
私は思わずぐるりと周囲を見回したけど、この部屋に私以外の人はいない。
あれ? えっと、迷惑って、私に言ってるの? まったく、これぽっちも迷惑じゃあ無いんだけど!
「じゃあ」
そういって、そっけなく立ち去ろうとする彼の背中に、私は慌てて声をかける。
「ああああ、あの、お名前を教えてもらえませんか!?」
私の言葉に彼はぴたりと足を止め、怪訝そうな顔で振り返った。
「名前って、なんで?」
「え? なんでって、知りたいからですけど……」
あ、そうか。見ず知らずの人間に名乗るのなんて嫌だよね。
私ってば、先に名乗るべきだったのに!
「あの、私は商業科の上月玲奈って言います」
「知ってる」
「知って……え? 知ってたんですか!?」
なんということでしょうか。私はこの素敵な彼を知らなかったのに、彼は私を知ってくれていたとは!
「その、色々と有名だから、上月さんって」
「え、私、有名なんですか?」
商業科で色々と噂されているのは知っていたけど、まさか、他学科の人にまで知られているとは。
まさかとは思うけど、あの噂、知られてませんよね?
「……それじゃあ」
私が俯いているうちに、彼はまたしてもそそくさと立ち去ろうとしてしまう。
「って、待って下さい!名前、まだ聞いてません!」
私の言葉に、彼は苦虫をかみつぶしたような顔をして、ボソリと答えてくれた。
「花沢雅人」
そうちいさく吐き捨てて、彼は逃げるようにコンピュータールームから去ってしまった。
花沢雅人様かぁ。
なんてぴったりな、華やかで素敵なお名前なんでしょう!
高鳴る鼓動を抑えながら、私は雅人様が立ち去ったあとを見つめづつけました。
「私、恋に落ちました」
雅人様と出会った、翌日の学食。
私がそう声高く宣言すると、同じ学部の友人である美穂ちゃんが、食べていたうどんをゲホッと吐き出しました。
「突然どうしたの!? っていうか、恋? あの玲奈が!?」
美穂ちゃんは目をまんまるにして私を見ています。
「そんなにも驚くようなことでしょうか」
「驚くわよ。数々のイケメンを一刀両断にしてきたアンタが恋だなんて! 相手は誰? まさか、永吉?」
「違いますよ。永吉くんにはきちんとお断りしました。もっとずっと、素敵な人です」
私は雅人様の姿を思い浮かべて、うっとりと溜息を吐きだしました。
ああ、もう一度会いたいなあ。
同じ学部だったらもっと会えるのに……工学科に遊びに行こうかな。
「うわ、なにそのキラキラした顔。なに、そんなに素敵な人なの?」
「はい。私の理想を体現したような人です」
ザワッっと一瞬、食堂が騒がしくなった。なにやら好奇の目で見られているような気がするけれど、私の頭の中は雅人様のことで一杯で、周囲を考える余裕なんてありません。
「それって誰? どうやって出会ったの?」
「名前は花沢雅人様というそうです。工学科の方で、昨日、プリンターを詰まらせて困っていたところを助けていただいたんです」
「花沢雅人? 名前からして格好良さそうだけど、聞いたことが無いわね。工学科にそんな良い男っていた?」
「うーん。私の理想ですから、美穂ちゃんのいう良い男とはジャンルが違うかもしれませんが……」
というか、私の美意識はこの世界のそれとずいぶんズレているみたいだし。
雅人様は凄く素敵だったけど、美穂ちゃん基準だと、どうなんだろう。あんまりイケてないんじゃないかな?
私が困って告げたそのとき、背後でガシャーンと大きな音が鳴りました。
振り返ると、永吉くん呆然とした表情で食堂のトレイを床に落としています。
「こ、こ、上月さん! 君、好きな人がいたの!?」
永吉くんは落とした中華ソバを踏みつけながら(わぁ、汚いっ!)、すごい勢いで私達のテーブルに詰め寄りました。
「え、えっと、好きな人がいたというか、ひとめ惚れをしたという感じなのですが……」
「ひとめ惚れ! あの上月さんが、ひとめ惚れ!」
永吉くんの勢いに押されながらポロリと言うと、永吉くんはその大きな目を限界まで開いて、信じられないといわんばかりの顔になりました。そのあまりの勢いに、私はのけぞるように上半身を後ろに逸らせます。
永吉くん、あの、やっぱり顔が近いんですけど!
「はいはい、永吉、落ち着いて。玲奈がビビってひいてるから」
美穂ちゃんが、前のめりになっていた永吉くんの腕を掴んで、私からひきはがしてくれました。永吉くんは少し呼吸を整えて、それでもまだ少し赤みの残った顔で首を左右にふりました。
「悪かった。その、ちょっと、あまりにびっくりして」
「そうですか」
私がひとめ惚れしたって、そんなに驚くようなことでしょうか。メンクイの自覚がありますから、わりと惚れっぽいと思うんですけど。――まあ、イケメンの判断基準がかなりズレていますが。
「それで、工学科の花沢雅人だっけ。聞いたこと無いけど、ナニモノなの? どんな人?」
「いったいどこから聞いていたんですか、永吉くん! 盗み聞きなんでよくないですよ!」
「上月さんが話をしているのを見かけたら、耳を傾けるのは当然じゃないか!」
永吉くんはさも当然のように言い切った。え、なにその理論。おかしくないですか?
「そんなことよりも、花沢雅人だよ! どんな奴なの?」
「どんな人と聞かれても、詳しく知りませんよ」
「詳しく知らないのに好きになったの?」
「そりゃあ、ひとめ惚れですから」
私が言うと、永吉くんは悔しそうな低い唸り声をあげました。
やはり、自分を振った相手が別の人にひとめ惚れしたって、複雑な感情があるんでしょうか。
永吉くんは自分の容姿に自信があるみたいだから、余計に悔しいのかもしれません。
「あの、永吉くん。その、たまたま彼が私のタイプだっただけで、世間一般的に永吉くんはとても格好良いと言われているのですから、大丈夫ですよ!」
何が大丈夫なのかはよく分からないけれど、少しでも永吉くんの気が軽くなるようにと声をかけました。
「でも、永吉さんから見たら、俺よりソイツが格好良く見えるんだろ?」
「比較になりません!」
あ、しまった、つい本音が。思わず即答してしまうと、永吉くんがふるふると肩を震わせました。
「ひ、ひ、比較にならない……それほど……!」
「えーっと、えーっと、永吉くん!あくまで私の主観ですから!」
完全に私の主観の世界であって、この世界の常識ではぶっちぎりに永吉くんが格好良いらしいですから、大丈夫ですよ!
「……くる」
「え?」
「花沢雅人がどんな奴か、確かめてくる!」
「え、ちょっと、永吉くん!?」
永吉くんはそう叫ぶと、私がひきとめる間もなく食堂から走り去ってしまいました。
何が起こったのかよく分からなかった私は、永吉くんの背中を呆然と見送ります。
「あ~あ。これは修羅場の予感かな?」
美穂ちゃんの呟きで、ようやく私は我に返りました。
「永吉くんを止めないと!」
雅人様に迷惑をかけるわけにはいきません。すぐに永吉くんを追いかけて、ひき
とめないと!
私が永吉くんの後を追おうとしたら、美穂ちゃんが私の肩を押さえてひきとめました。
「やめときなさい。玲奈が追いかけたら、本格的な修羅場に発展しかねないから」
「でも、ほうっておけませんよ!」
「大丈夫だって。永吉の奴、あれで気が小さいから喧嘩をふっかけたりはしないわよ。遠くから花沢雅人の姿を確認して終わるだけだから。それよりも、もっと大変な仕事をしましょう」
「もっと大変な仕事?」
私が尋ね返すと、美穂ちゃんはにっこり笑って床を指します。
「つまり、後片付けよ」
そこには、永吉くんが派手に落とした中華ソバが散乱していました。
……永吉くん、恨んでもいいですか?
雅人様、大丈夫かな。永吉くんに迷惑をかけられていなければいいけど。
永吉くんが散らかした中華ソバを片付けて、食事を終えて次の講義に向かいます。この講義は永吉くんも取得しているはずだから、ここで待っていれば戻ってくるはずです。
手がラーメン臭くなったと愚痴をこぼす美穂ちゃんの隣で永吉くんを待っていると、講義が始まるぎりぎりの時間になって、永吉くんがふらふらと講義室に入ってきました。
「お、来たな永吉! ちょっとアンタ、ツラ貸しなさい!」
美穂ちゃんが永吉くんを呼びつけて、中華麺の恨みをぶちまけますが、永吉くんはぼうっとして耳に入っていないようです。
私は中華麺よりも雅人様のことが気になったので、美穂ちゃんの言葉を遮って永吉くんに聞きました。
「永吉くん、雅人様には会えたんですか?」
「会えた。……いや、違う。会えなかった」
え、それはどっちなんですか。
「なによそれ。会えたの? 会えなかったの?」
美穂ちゃんも、中途半端な永吉くんの言葉が気になったようです。眉根を寄せて永吉くんを睨みました。
「工学科に花沢雅人という奴はいた。だけど、その、上月さんがひとめ惚れをしたという奴じゃなかった」
え、なにそれ、どういうことですか?
「永吉くん、私が人目惚れした人のこと知りませんよね? なのに、どうして分かるんですか?」
「いや、だって、いくらなんでもアレは無い。ありえない。人違いだ」
永吉くんは、まるで幽霊にでもあったみたいに顔が青い。
「そうだ。おそらく、上月さんが出会ったってヤツは、嘘の名前を教えたんだ。別人の名前をだ。きっとそうだ。そうに違いない」
「や、ちょっと、勝手にワケのわからない結論を出さないで下さいよ! そもそも、なんで別人の名前なんて名乗るんですか。そんなこと、あるはずありません」
「いや、そうに決まっている。嘘だと思うなら、上月さんも工学科に確認に行けばいい」
自信満々に言いきられて、私はちょっと不安になりました。
言われてみれば、私が名前を聞いたとき、雅人様は微妙な反応をしていたような……。
なんで名前を聞くのか、って尋ねられてしまいましたし。
もしかして、私に名乗りたくなかったのでしょうか。
やっぱり私の顔がブスで気持ち悪いから……いや、でも、この世界だとそこそこ美人のハズなんですけど。
永吉くんの言葉に不安になった私は、雅人様が本当に工学科にいるか確認に行くことにしました。
工学科に知り合いはいませんので、適当にその辺の生徒を捕まえて雅人様について聞くことにします。
工学科棟は私の通う商業科棟の近くにありますが、中に入ったことはありません。
勇気を出して工学科棟に入ると、工学科らしき男性が数人廊下を歩いていました。
あら、彼らもなかなかのイケメン。
雅人様ほどではありませんが、黒縁眼鏡の似合うそばかす顔の素敵な青年と目が合います。
「あの、すみません。工学科の方ですか?」
「そうだけど、何か?」
彼は怪しむような目でじろじろと私を観察します。私、不審人物に見えるのでしょうか。
「その、工学科に花沢雅人という方がいるか確認したくて……」
「え、また雅人?」
またってどういうことでしょうか?
「昼にも、なんかイケメンが雅人尋ねてやってきて、わけのわからないことを言って帰っていったんだよね」
「あー……それは、永吉くんですね」
「やっぱり知り合いなんだ。まあ、いいけど。雅人ならまだ講義室に居たんじゃないかな。呼んできてやるよ」
彼はそう言うと、近くにあった講義室の扉を開けて大きな声を出しました。
あ、えっと、別に呼び出して欲しいわけじゃ無かったのですが……。
「おーい、雅人。なんかお前に用だって。喜べ、今度はイケメンじゃなくて美少女だぞ」
私が止める間もなく彼が言うと、講義室の中がザワリと騒がしくなりました。
「なに!?美少女!?」
「おい、どこだよ美少女!」
そばかす青年が妙な声のかけかたをしたせいで、興味を引かれた他の生徒が、講義室のドアや窓から一斉に顔を覗かせました。
う、す、すみません! そんな言うほど美少女では無いと思います。
というか、私、自分の容姿がどの程度なのかイマイチよく分からないんですよね。私基準だと、超がつくほどのブサイクに見えますし。
よく可愛いと言われて、告白されたりもするので、この世界基準ではソコソコ美形に入るのは間違いないと思うんですけど、美少女かと問われると、自分じゃ判断できないので困ります。
というか、工学科って商業科よりイケメン率高くないですか? なんだか、格好良い人が多いんですけど。
「おお、美少女だ」
「ちょ、花沢。お前どこでこんな子と知り合ったんだよ!?」
「いやいや、俺に美少女の知り合いなんか居ねぇって……」
最後にとびきり格好良い声が聞こえたと思ったら、講義室からひょっこりと雅人様が顔を出しました。
ああ、雅人様! 一日ぶりだけど、やっぱり格好良いです! 飛びぬけています!
工学科にはイケメンが多いですが、雅人さまは格が違いますね。お美しい!
雅人様は私を見つけると、驚いたように目を丸くしました。
「……商業科の上月さん?」
「一日ぶりです」
名前を呼ばれて、私はペコリと頭を下げました。
というか、永吉くん。なにが人違いですか!嘘の名前を名乗ったですか!
雅人様はちゃんと工学科に居るじゃないですか。良かったぁ!
「え、なんで上月さんが俺を訪ねてくるの? なにこれ、夢?」
安心して息を吐く私と対称的に、雅人様はとても戸惑っている様子です。おどおど、きょろきょろと、助けを求めるように周囲を見回しました。
「えっと、その、俺になんの用ですか?」
問われて私はちょっと言葉に詰まります。
明確な用は無いんです。ただ、雅人様が本当に工学科に居るか確認したかっただけで。
なんと答えればいいか考えて、私は素直に自分の気持ちを口にしました。
「すみません、特に何か用があったわけじゃないんですけど……その、もう一度お会いしたかったんです」
我ながら、口にすると少し恥ずかしい。もじもじしながらそう言うと、野次馬からどよめきが上がる。
肝心の雅人様は、石のようにピシリと硬直していた。
「…………え?」
「すみません、迷惑でしたか?」
「いや、迷惑っていうか……ちょっとまて、なんだコレ? 何が起こっているんだ!?」
私が突然訪ねてしまったからか、雅人様は少し混乱しているみたいです。
もしやこれはチャンスではないでしょうか。
私は雅人様が冷静になる前にと、言葉をたたみかけました。
「雅人様は、このあと何か講義が残っているんでしょうか」
「いや、今日はもう帰るだけだけど……え、雅人様ってなに!?」
「あの、それじゃあ、もし良かったら一緒に帰りませんか?」
「は? え? うええ!? ちょ、ちょっとまって!?」
雅人様は奇声を発して、私に待つように頼みます。
雅人様の言葉通り待っていると、雅人様は頭を抱えてしゃがみこみ、なにやらブツブツと呟き始めました。
ほっぺたを抓ったり、これなんてエロゲ?という謎の言葉が漏れ聞こえます。エロゲってなんでしょうか。
いつまでたっても雅人様の混乱が収まりそうにないので、私はおそるおそるもう一度声をかけます。
「あの、やっぱり駄目でしょうか」
「駄目じゃない!駄目じゃないんだけど……」
「ということは、一緒に帰って下さるということですね!」
「え、あれ?」
よし。言質はとりましたよ!
私はにっこり笑顔をつくると、がしっと雅人さまの腕を掴んだ。むにっとした、ふくよかな腕がたまらなく気持ち良い。
「え、ちょっと、腕!?」
「さあ、雅人様。帰りましょう!」
雅人様は戸惑っているようだけど、嫌がっているわけじゃないみたいなので、少し強引にいかせてもらいます。
だって雅人様みたいに素敵な人、ここで逃したら二度と会えないかもしれないんですから。
ふふふふ、逃がしませんよ、雅人様。
私は雅人様を引きずるように大学を出ました。
ちょっと、いや、かなり強引だったけど、工学部はギャラリーが多くて恥ずかしかったんです。
雅人様はまだ呆然とした様子で、おぼつかない足取りで私の後ろをついてきます。
「その、強引に連れ出してしまってすみません」
しばらく歩いて人気が無くなったところで、私はそう切り出しました。
「いや……それは別に良いんだけど。でも、なんで?」
「なんでって、何がですか?」
「なんで一緒に帰ろうとか言いだしたかってこと。何か理由があるんだろ?」
まるで、理由があって当然だというような声色で、雅人様はそう尋ねました。
理由はありますとも。つまり、私が雅人様にひとめ惚れをしたからです。
これは、告白をしろという流れなのでしょうか。
「私が雅人様と一緒に帰りたいと思ったからなんですけど……」
私がそう言うと、雅人様は不快そうに眉根を寄せました。
「その呼び方って、馬鹿にしてる?」
「え!? すみません! 許可も得ずに名前で呼んでしまったりして。馴れ馴れしかったですよね」
「いや、名前で呼ばれたことよりも、様付けの方が問題というか……どう考えても馬鹿にされてる気分なんだけど」
あれ? 名前呼びよりも様付けの方が問題なんですか!?
「馬鹿にするなんてとんでもない! その、私なりの敬意をこめたつもりなんですけど。不快な気分にさせてしまったのであれば、謝ります」
雅人様……じゃなくて、雅人くんは、頭を下げる私を複雑そうな顔で見ていた。
「まあ……呼び方はいいよ。それよりも、何を企んでるんだよ」
「企む、とは?」
「俺に会いたかったとか気を持たせるような言い方をしたり、こうやって帰り道に誘ったり。なにが狙い?」
雅人くんは、瞼に埋まった細い目をさらに細めで、じろりと私を睨みます。
「昼にもへんな奴が俺を訪ねてきたけど、商業科ではそういう遊びでも流行ってるの? キモデブをからかって楽しむなんて、悪趣味だよな」
自虐的な雅人くんの台詞に、私は思わず声を荒げてしまいました。
「違います! 雅人くんはキモデブなんかじゃありません!」
「え、そこ否定する!?」
「もちろんです!いくら雅人くんとはいえ、雅人くんをキモデブなんて言うのは、許せません!」
「いや、俺はどうみてもキモデブだと思うんだけど……」
雅人くんの言葉に私はぶんぶんと首を左右に振りました。
そもそも、太っている人をデブなんて言葉で罵るこの世界の風潮がおかしいんです。
あのふくよかなフォルムの美しさがどうして分からないのですか!
「雅人くんの容姿は、私の理想です!」
「は?」
「優しそうな細い目も、男らしい眉毛も、ふっくらとした唇も、柔らかそうなその身体も、全てが格好良いです!」
「いや、それってゲジ眉、糸目、タラコ唇、肥満だから! 四重苦だから!」
雅人くんの叫びを聞いて、私の眉がふにゃっと下がります。私の理想の容姿は、この世界ではそんなふうに蔑まれてしまうようです。
「……ゲジ眉も、糸目も、タラコ唇も、肥満も、全部格好良いとおもいます。私、雅人くんにひとめ惚れしてしまったんです」
「いやいや、からかうにしても無理があるだろうそれは!せめて性格に惚れたとかにしとけよ!」
「昨日出会ったばかりで、性格なんて分かるわけないじゃないですか! でも、雅人くんなら多少性格が酷くても愛せます。私、メンクイなんです!」
「そんな酷いメンクイなんて聞いたことがねぇよ!」
荒々しくツッコむその姿も格好良いです。
怒鳴りすぎて肩で息をする雅人くんに、どうすればこの気持ちが伝わるのでしょうか。
「私、からかっているワケじゃありません。本当に雅人くんを好きになってしまったんです」
「嘘だ! 騙されてたまるか。これは何かの罠だろう。俺が信じたら、このキモデブが、本気にしてやがる馬鹿じゃねぇの。とかいってあざ笑うパターンだろ!」
「そんな酷いことするわけないじゃないですか!」
雅人くんは頑なに私の言葉を否定する。どうあっても信じるつもりがないみたいだ。
「私、本気で雅人くんを格好良いと思ってます。お付き合いできたらいいなって思ってます」
「信じられるわけがない」
「どうやったら信じてもらえますか?」
私の言葉に、雅人くんははぁと溜息を吐きだて、なげやりに言いました。
「そうだな。絶対に無理だろうけど、もしこの顔にキスでもできたら信じるよ」
「え、そんなの、良いんですか!?」
私は表情を輝かせて、ぐいっと雅人くんへの距離を詰めます。
そして、そのふっくらとして艶やかな唇に、自分の唇を合わせました。
チュッと触れるだけのキスをして、ゆっくりと雅人くんから離れます。
雅人くんは驚きに目を見開いています。
「~~~っ、な、な、な、な!!!」
まさか本当にキスされると思っていなかったのでしょう。
雅人くんは金魚のように口をパクパクしていました。
「これで、信じてくれますか?」
私が赤い顔で見つめると、雅人くんは耳まで真っ赤にして、石のように硬直しました。そのまま、たっぷり数十秒ほど微動だにしません。
「あの、雅人くん?」
「っ、う、あ、うおぁぁぁぁぁっ!?」
私がもう一度声をかけると、雅人くんは大声で叫びながら、突然走り去ってしまいました。
ああ、雅人くん! そんな巨体なのになんて足の速い! 素敵です!
って、うっとりしている場合じゃありません。
だって、これって、逃げられた!?
あれですか、冗談で言ったのにキスされて、気持ち悪かったってことですか!?
私は雅人くんが走り去った方角を呆然と見つめます。
ショックです。いきなりキスなんてして、軽い女だと思われてしまったのでしょうか。
いえ、でも、私、あきらめません!
雅人様にはっきり嫌いと言われるまで、つきまとってみせますからね!
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