弐
少女に促されるまま僕は少しずつゆっくりと自分の事を語った。まず、自分が雨宮澪慈であるという事、現役の高校生で17歳であるという事、買い物の帰りに不注意によって溝に嵌ってしまったという事。
「これで満足かい?」
僕の説明を黙って聞いていた少女に問いかけるが、その反応は薄く、聞いていなかったのか、若しくは僕の話に興味がなかったのか、不貞腐れたような表情でこちらを覗きこんでいる。
「ふぅーん、まぁ全部知ってましたが、ご苦労さまでしたぁ。で、いつまでそんな所にいるんですか?好きなんですか、溝?だからわざと足を突っ込んだ訳ですねぇ。他人の趣味にどうこう言うつもりは無いですがあまりいい趣味ではないですよねぇ、個人的な意見なので世間様の意見など意に介しませんが。」
少女に言われるまで忘れていた。いや、忘れていた訳ではないが、いつこの溝から抜け出すかのタイミングを見失っていたのは確かだった。やっとのこと僕は溝から足を引き抜き両足で地面に立った。こうして見るとこの少女は先程よりも小さく見える。
「趣味な訳がないだろう。君と話していたから出るタイミングが無かっただけだよ。さぁ、僕の自己紹介は済んだのだから、僕にも君のことを紹介してもらおうか、少女Aさん。」
1歩、2歩と近づいて少女を見下ろす。それと同じように少女は相変わらずのニヤニヤとした顔でこちらを見上げている。しかし、突然、俯いて両肩をヒクヒクと揺らしながら顔に手を被せた。少し高圧的になりすぎたか、不気味ではあるがまだ幼い少女を泣かせてしまうとは大人気ない。ここは謝っておくべきか、大声で泣き出されてはたまったものじゃない。
「いやぁ、申し訳ない。そんなにきつく言ったつもりはなかったんだけど怖かったかな?でも、君ももう少し可愛げがあったほうがいいと思うなぁ。まぁ、そう泣かないで、ね?」
泣かせてしまったと少し悔やみながら、僕は少女の頭を撫でた。子供の扱いには馴れていない。というか、子供は嫌いだ。例えば、笑ったと思えばすぐに泣くし、逆もまたしかり。情緒が不安定だとしか思えない。この少女も見事にその例に漏れずに紛れもなくただの子供なのだろう。
「くくっ、くっくっくっ、、」
なんだ?笑っている?さっきの肩を揺らせていた仕草は泣いていた訳ではなかったのか。何かに対して笑っている、恐らくは僕に対して。
「何がおかしい!何で笑ってる!」
僕らしくない、普段はこんなに声を荒げる事はないのに。それにしてもやはりこの少女は僕を小馬鹿にしているとしか思えない。まだ、何もこの少女の事は知らないが1つだけわかったことがある。それは、僕がこの少女が苦手だという事だ。
「いやいや、くくっ、ごめんなさいぃ。なんだかツボにはまってしまってぇ、くっくっくっ。でもね、雨宮澪慈さん、あんまりに言い訳がましくて滑稽だったからついついねぇ。それにしても、そんなに私の事知りたいですかぁ、興味津々ですねぇ。変態ですか、ロリコンなんですかぁ。」
これだ、この口調が僕に不快感を与えているに違いない。ちなみに僕は変態でもロリコンでもない健全な男子高校生だ。
「言い訳なんてしてないし、僕はロリコンでも変態でもない。僕の事はもういいから、笑ってないで早く君の事も教えなさい。」
僕がそう言うと、少女は突然笑うのを止め、先程までのニヤニヤとした表情はどこかに消え失せた。そのかわりに先程とは打って変わって、冷たい、不気味な表情が現れた。
「ねぇねぇ、雨宮澪滋さん。もしですよぉ、私が人じゃないなんてって言ったら引いちゃいますかぁ?引いちゃいますよねぇ?」
意味不明な事を言う子だ。いや、また馬鹿にされているのか。支離滅裂な事を言ってこちらが混乱するのを見て面白がっているのだろう。
「そんな事言って人を馬鹿にするものじゃないよ。そんなことばっかりしてたらいつか痛い目を見る事になるんだからな。」
「いやいやぁ、こればっかりは嘘じゃないんですよねぇ。嘘だったら友達になってくれましたぁ?なってくれましたよねぇ?」
まだ懲りずに訳のわからないことを。こうやって僕が呆れて、面倒くさがって、許してくれるのを期待しているのだろうがそうはいかない。
「だから、からかうのは止めなさい。この近所の子なんだろ?もういい加減にして家に」
僕が話すのを遮るように、いや、僕が話し出すのを待っていたかのように、少女は一言僕に言い放った。
「私ってぇ、俗に言う悪魔なんですよねぇ。わかります?悪魔?」
悪魔?いやいや、そんな馬鹿な。こんな少女が悪魔な訳がない。と言うか、悪魔なんてそもそも存在するはずもない。また、馬鹿にしているに違いない。
しかし、僕のそんな思いとは裏腹に、目の前の少女は逸らすことなく真っ直ぐに、力強くこちらを見つめている。