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呪縛の蝋  作者: 想 詩拓
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01『旧白灯村』

 研究室にしては埃っぽさが足りない。

 青山千鶴あおやま・ちづるは、赤羽俊彦あかばね・としひこ教授の研究室に来るたびにそう思う。整然と並べられた書物は、まあ分からないでもない。自分も本は大きさをそろえて並べておきたい性質だ。

 しかし、この部屋の整然清潔さときたら姑が口を挟む隙も見つからないほどで、それにとどまらず壁には小さな絵画が掛けられ、本棚の上などにも上品にインテリアがちりばめられている。


 目の前で、前期末試験のレポートに赤ペンを走らせている本人の姿も、シワ一つないスーツにぱりっとのりの効いたワイシャツ、その仕種でさえも、無駄ひとつなくびしっと決まっている。

 人は、こういう人間を指して“紳士”と呼ぶのだろうが、大学の生徒達はこの教授をそう呼ばない。


(うあー……)


 みるみるうちに、レポート用紙が赤ペンで真っ赤にされていく様子を見て、千鶴は内心で呻いた。


 赤羽教授に提出したレポート用紙は全て赤ペンによる校正が入って帰ってくる。それがいい加減な気持ちで適当に書いたレポートでさえも本気で校正するので、提出期限前夜に徹夜をし、インターネットからコピー&ペーストで手抜きをしようものなら、たちまち文体の違いを見抜かれて赤ペンが入ってしまう。

 だが、適当でも一応の苦労をして書いたレポートにそこまで細かくダメ出しされて気分を害さない人間はいない。またレポート評価が厳しく単位のとりにくい授業と見れば逃げ腰になる生徒も多く、赤羽教授の講義を履修りしゅうするのはそれなりに真面目に授業に取り組む根性のある生徒に限られていた。

 

 また、赤羽教授は一種の色覚障害なのか、訂正だけでなく、普通に文字を書くときも赤ペンを使う。それだけならともかく、講義で赤チョークを使うので彼の板書はすこぶる評判が悪い。(字自体はとても綺麗なのだが)

 

 以上の特徴的な行動から、人呼んで“赤ペン先生”。それが“紳士”を差し置いて彼に与えられた称号である。


「これからの休みはどこかに出かけられる予定なんですかー? 教授」


 評価が終わり、疲労のにじむ吐息と共に渡されたレポート用紙の束をクリアファイルにはさみ、付箋ふせんに日付を書いて貼ると、「返却」と書かれたファイルボックスに収めながら千鶴は聞いた。


 この質問は、夏休みに“遊ぶ”予定を尋ねているのではない。生徒への講義以外に研究という大きな仕事のある大学教諭職は、夏期休暇という期間が持つ意味は非常に重要だ。研究によっては長期にわたって現場に滞在して行うものもあるのである。

 教授も前期の講義のレポート評価、新学期の講義の準備などで今までの夏休みをつぶしてきたが、まだ夏休みは一ヶ月と半分残されている。


「ああ、盆に一度本宅に戻ってゆっくりした後、インドのほうを見て回ろうかと思っているよ」


 教授は東京から少し離れたところに先祖代々住んできた本宅を持っているらしい。普段は大学に程近いところに別宅としてマンションの部屋から通っている。


「君はどう過ごすのかな? 大学院行きはもう決まっているし、卒業論文もほぼ完成と見たが」

「あれに関連してちょっと面白い噂をネットで拾ったので、現場に行ってみようかなぁ、と思いまして」

「噂? 蝋人形の?」


 赤羽教授の民俗学のゼミで、千鶴は“蝋人形”を取り扱った。蝋人形関連の都市伝説について、それがささやかれた実例と、その原因とされる定説を紹介、もしくは独自の推論を披露し、その共通点を見出しているものだ。

 千鶴は学生としては、真面目に研究に取り組むタイプであり、参考書籍もできるだけ一次資料に近いものを選んでいる。


「ええ。群馬の方にある蝋人形館なんですが、車で行けないこともないでしょー?」

「もしや“旧白灯村”のことかな?」


 言おうとしていた地名を先に言われ、千鶴は目を丸くした。しかもそんな僻地の名など知るはずがないと思っていたのに。


「インターネットで調べたと言ったね? ならば私と同じルートで突き当たったのだろう」


 千鶴の表情に疑問の色を見て取ったのか、先手をとってそう答える。確かに同じ言葉で検索を掛ければ大抵同じ結果が出る。となると、この話を知っていたとしても不思議はなかった。


「いつ行くつもりかな?」

「できればすぐに。ちょうどお盆ですしー」

「お盆は止めておきたまえ。あそこはお盆の間、出入りを禁止されているからね」

「え?」と、未知の情報に動揺する千鶴に、赤羽教授はさらに説明した。

「白灯村はいつもお盆に白灯祭しらひまつりというお祭りをやるんだが、そのお祭りの間、外部の人間は中に入れない」


 白灯村に続く道は一本なのだが、その一本がその祭りの間、封鎖されてしまうと言うのだ。


「行くなら、お祭りが終わってお盆が明けた後にするのだね」



 * *



 行くなと言われると、行きたくなる。


「それが人情ってモンでしょうー!」


 その主張を掛け声にして、千鶴は丘を越える最後の一歩を踏み出した。背中に大荷物を背負って道なき道を踏破するのは正直辛かったが、大学時代を通して登山部に所属し、鍛えてきた健脚にはまだまだ余裕がある。

 

 山に入る道までは、駅からヒッチハイクでやってきた。乗せてくれたトラックの運転手も妙なところで降りるものだ、と怪訝な顔をし、背負っていた大きな背嚢はいのうの中身に関心を寄せていた。バラバラの死体でも入っているのか、と勘繰かんぐったかもしれない。

 そこからガードレールを越え、道なき道を踏破とうはして、ここまでたどり着いたのである。


 目的地は村とは言っても、そこまで徹底したド田舎ではない。自動販売機もあるし、二十四時間営業ではないが、コンビニもある。とにかく、まともな道筋をたどれば、バスも通っているので、こんな山中を歩いていかなければたどり着けない場所ではないのだ。

 では、なぜ千鶴はわざわざこんな面倒なルートを辿っているのかというと、もちろん正面から入る気がなかったからだ。事前に赤羽教授から目的の村が一般人の立入を禁止しているのを聞けたのは大きかった。要するに、千鶴は人目のつかない裏側から村に忍び込もうと考えたのである。


 千鶴は、背嚢の側面についているポケットから水筒を取り出すとふたを兼ねるカップに麦茶を注ぎ込み、一息つく。そして、胸のポケットからコンパスと地図を取り出し、現在の位置を確認すると、越えた丘のふもとに広がる景観を眺めた。

その視線の先には、彼の目的地、群馬県片品町白灯――通称“旧白灯村”がある。


 白灯盆地。それが眼下に広がる地形に与えられた名称である。それは盆地と言うよりすり鉢のようで、そこにあるべき平地は申し訳程度にしかない。

 その平地も盆地の五箇所から流れてくる小川が合流して白灯川となり、下流のほうに流れていく。地図に大きな間違いがなければそれを下っていくと片平川へと合流し、やがて利根川にたどり着くはずだ。


 その白灯川に沿ってこの村唯一の外部とのつながりである国道が通っており、それが村の中心へと至っている。そこには村役場と見られる建物や、その他商店などおよそ主要な設備は盆地の真ん中である平地部分に建てられているようだ。

 その周りを囲むように段々畑が設けられており、ポツリポツリと農家や住宅地が存在していた。

 

 また、盆地の奥のほうに一つだけ工場のような建物がある。木蝋もくろうの製造所である。実は白灯村は東日本、しかも山奥の群馬には珍しいはぜの木の数少ない群生地のひとつで、この村の主産業は和ろうそくなのだ。

 

 そして村の中心に目立っている洋館、それが噂の現場である――


「――白灯村蝋人形館……か」

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