転生聖女はボーイズラブがお好き
≪オリヴァーはゆっくりとベッドに横たわった。ジークフリートの舌が、オリヴァーの白い首を伝う。オリヴァーの口から快感を堪えるような吐息が漏れ——≫
「聖女様ァ! 執務中にも関わらず、またそんな淫らな文章を書いているんですかッ!!」
教会の聖女執務室にエルヴィンの怒声が響きわたる。
「ひゃぁん!」
こっそりボーイズラブ小説を執筆していた私は、彼の怒鳴り声を聞いてイスから3センチほど浮き上がった。
「エルヴィン! 驚かさないでよ!」
「聖女様がちゃんと仕事していれば、僕だってあなたを驚かすような大声を出す必要などないのですよ!」
エルヴィンがフンと鼻息を吐いた。私の護衛騎士はご立腹である。
彼の刺々しい視線を感じながら、私はしぶしぶ、机の引き出しに執筆中の小説をしまった。
◇
私が日本からこの世界に転移して、早半年が経過した。
ブラック企業に勤めていた私は、残業を終えた帰り道で突然強い光に包まれたかと思うと、この世界の教会へと転移していたのだ。
転移した先にいたのは、この国の聖教会の人々だった。
「異世界より召喚されし聖女よ、この国を救ってくれたまえ」
揃いの白い服に身を包んだ人々は、そう言って私の前にひざまずいた。
いきなり召喚しておいて国を救ってくれはないだろう、と言いたかったが、どうやら私に期待される働きというのはそんなに難しいものではないらしい。
基本的には教会で過ごし、たまに凶悪な魔族が出くわした時だけ討伐に行けばいいという。
元の世界に未練はないし、ここに居れば国の人々から崇められ、衣食住は保証されている。ちなみにゴハンも結構おいしい。ここの暮らしはなかなか悪くない。
ただ一点、私の最大の趣味を満喫できない点を除いて——
◇
「うう、どうしてこの世界には薄い本も、即売会も、ウェブ小説も何もないのかしら」
私がふかーい溜息をつくと、エルヴィンは「また聖女様が意味不明なことを言っているな」と嫌そうな顔で私を見た。
「はぁ、元の世界にそこまで未練はないけれど、まさかボーイズラブが満喫できない世界に飛ばされるなんて!」
私は三度の飯よりボーイズラブが好きである。
美しいボーイズ達がじれったい視線をかわしあったり、愛をささやき合ったり、絡みあったりするのがたまらなく好きなのだ。
しかし!
この世界には、少なくとも私が知る範囲では、ボーイズ同士が愛をささやき合ったりするような小説もお芝居も存在していない。
おまけにインターネット的なものも無いので、遠く離れた場所にそういったものがあるかどうかを確認する術もない。
腐女子的には最悪である。
じゃあ日本に帰ればいいじゃんと思うかもしれないが、異世界転移は一方通行らしく、元の世界に戻る方法はないと教会の人々に言われてしまった。
私をときめかす創作物がないのなら、自分で作ればいいじゃない! と気づいた私は、最近せっせと慣れない小説執筆に取り組んでいるのだが、口うるさい護衛騎士はそれを良く思っていないらしい。
「だいたい何なんですか。オリヴァーとジークフリートって騎士団の面々じゃないですか。彼らをモデルにするのはいいとしても、どうして男同士で愛し合っているような描写をするんです?」
「エルヴィン、私の小説を勝手に読まないで! それに私が元いた国では、同性同士で愛し合うことは至極普通のことだったのよ。人が人を愛するということは、同性恋愛でも異性恋愛でも変わらないじゃない」
「それはそうとしても、執務中にそんな気色悪い小説を書かないでくださいよ。今は教会への寄付金について、寄付者と金額別に紙にまとめる仕事中でしょう」
「うぐっ」
エルヴィンの言う通り、今は事務仕事中だ。
エルヴィンが神父に呼ばれて少し席を外したので、これはラッキーと思って小説執筆を始めたら、彼は思ったより早く戻って来てしまった。
あと一時間くらい戻らなくて良かったのに。
「聖女様はオリヴァーとジークフリートがお気に入りなのですか?」
エルヴィンが私の手元から窓の外へと視線を移す。
窓の外、聖教会の広い中庭では、教会に仕える聖教騎士団が訓練で汗を流している。
オリヴァーとジークフリートが目線を交わし微笑みあったのを確認して、私の口から「ぐふっ」という気持ち悪い声が漏れた。
「お気に入りというか、あの二人ってとっても絵になるじゃない。少し小柄で童顔のオリヴァーと、背が高く長髪で妖艶な雰囲気のジークフリート……まさに私好みの組み合わせ。親切な古株のオリヴァーは新入りのジークフリートが皆に馴染めるように心を砕いているそうじゃないの。どんどん親密になる二人。その友情はいつ愛へと変わってもおかしくない……! これほど創作意欲を搔き立てられる二人はいないわ! 私は元の世界では読み専だったけど、この世界では書き手となり、この素晴らしさを世に広めることこそが使命だと感じているの!!」
私が力強く主張すると、エルヴィンは哀れな生物を見るような目で言った。
「聖女様の使命は、聖教騎士団の手に負えない魔族の討伐と、日々の事務仕事です。さぁ早くこの書類を書き上げてください。書き終わるまでは昼食抜きですからね」
「そんなぁ!」
私が半泣きで書類をまとめていると、エルヴィンがぼそりと呟いた。
「まぁ、あの二人が気になるのは僕も同じですが……」
◇
夜がとっぷりと暮れて、教会の中も周辺もすっかりと寝静まった頃。
私は趣味の小説執筆に行き詰まり、自室の机に突っ伏していた。
「だめだ、肝心の官能シーンが書けない……ッ! 私には経験がなさすぎるッ!」
自慢ではないが、私は恋人いない歴イコール年齢の人間だ。
官能的な体験は創作物の中でしかない。
ゆえに、ボーイズラブ小説の要となる官能シーンが全く書けないのだ。
「もう今日はだめだな。寝ちゃおうっと」
明日またエルヴィンの目を盗んで執務中に執筆しようと決意してベッドのもぐりこむと同時に、私の部屋の扉がバァンと開け放たれた。
「聖女様ァ!」
「きゃぁ! エルヴィン、こんな夜中に何事!? だいたい就寝中の淑女の部屋にノックも無しに入るなんてありえないんだけど!」
「どうせ卑猥な小説でも書いて起きていたんでしょう!? それよりも、緊急なんです。教会内部に魔族と思われる気配を察知しました」
「嘘でしょ!? 内部に? 教会周辺ではなく?」
私はがばっと飛び起きると、手早くその辺にひっかけてあったカーディガンを羽織った。
「急を要します。説明は移動しながらします。さぁ、こちらへ!」
ひどく焦った様子のエルヴィンに連れられ、廊下へと飛び出す。
しんとした廊下に、私とエルヴィンの足音だけが大きく響いた。
「教会の中に魔族が入り込んだということ? 手荒な方法で結界を突破されたの?」
「いえ、教会に張り巡らされた結界には異常ありません。おそらくは人間に擬態して教会に潜り込み、数日潜伏していたと考えられます」
「そんな、魔族に気づかずに生活していただなんて……!」
聖女たるもの、教会や周辺の人々を魔族の脅威から守れなくてはならない。
それなのに、私はボーイズラブの妄想に明け暮れて、魔族の侵入を見逃していたというのか。
自分で自分が情けなくなる。
「ここです、この扉の奥です!」
それまで走っていたエルヴィンが急に立ち止まる。
それは、騎士団の寮に続く扉の前だった。
エルヴィンはその扉をバンと開けると、突き当りまで進み、剣を構えた。
「エルヴィン、他の皆も起こしましょうよ!」
「だめです、僕の想像が正しければ、騎士団の人間では歯が立ちません。ここを収められるのは聖女様しかいないのです。さあ行きますよ!」
エルヴィンはそう言うと、足で扉をけ破った。
「おい魔族! もう貴様の好きにはさせないぞ!」
威勢よく言い放ったエルヴィンの目線の先には、ベッドの上で二人の男が横たわっている。
ひとりは恍惚とした表情で仰向けになっているオリヴァー、そしてもう一人は頭から二本の角が生えたジークフリート——いや、魔族だ。
魔族はこちらをちらりと見ると「チッ」と舌打ちし、すぐに目の前のオリヴァーに向き直った。
オリヴァーは甘い声を漏らすと、のけぞるような体勢へと変わる。
「……ッ!」
私はその光景に思わず息を飲んだ。
少し切なそうな声を漏らすオリヴァーの顔は月明りに照らされ、その顔の輪郭を撫でるようにジークフリートの指が動く。ジークフリートの片方の手はオリヴァーの顔から首へとゆっくりと伝い、もう片方の手ははだけた服から覗く胸を撫で、そのままゆっくりと下腹部へと伝っていく。
「いい……! いいわ! これこそ私が求めていた光景! 続けて!」
「聖女様ァ!!」
私が我を忘れてオリヴァー達の絡みに見入っていると、横からエルヴィンの怒声が飛んできた。
「聖女様、ふざけている場合ではありません! ジークフリートはおそらく淫魔です! あのままではオリヴァーは精気を全て吸い取られて死んでしまいます!」
「なんですって!?」
オリヴァーが死ぬのは困る。
しかし、ここで二人を止めて、これ以上美男子同士の絡みを見られなくなるのも困る。
「聖女様、早くあの淫魔を止めてください! 状態異常に耐性の無い我々騎士団では、あの淫魔を止めることはできないのです! 数日前から怪しいと思っていましたが、まさか本当に奴が魔族だったなんて……!」
エルヴィンがここに来るまでに他の騎士団の面々を起こさなかった理由が分かった。
彼の言う通り、騎士団には状態異常攻撃に対する耐性がない。
状態異常を無効化する神具はあるものの、騎士団全員分はないし、普段は神父の部屋の鍵付きの部屋へとしまわれている。
その一方で、聖女には状態異常攻撃への耐性がある。
どんな攻撃を放たれても効かないのだ。
魔族に関する文献を読んだことがあるが、おそらくあの淫魔は【魅了】という状態異常攻撃を使ってくるのだろう。
耐性の無いエルヴィンがあの魔族に魅了されてしまい、一切攻撃ができなくなるのも時間の問題だ。
……え? もしかしてエルヴィンもあそこに加わってくれたりする?
すごく見たいんだけど!
「聖女様! 今よからぬことを考えていましたね!? あのまま淫魔がオリヴァーと接触し続ければ、彼は死んでしまいます! さあ、これを使ってあの淫魔を封印してください!」
そう言ってオリヴァーから手渡されたのは、蓋つきの透明な瓶だ。
——やれやれ。せっかく目の前に上質なボーイズラブ、しかも実写があるというのに。
それを諦めて片方を封印するだなんて、聖女の仕事とはなんて無慈悲なのだろう。
私は流れ落ちそうになる涙を堪えながら、瓶の蓋を外し、淫魔の方へと向けた。
「闇の裂け目より這い出した魔族よ、まばゆき光の衣で包まれるがよい。フェアジーゲル!」
私が聖魔法を詠唱すると、白にも金にも見える強い光が部屋を包んだ。
光が消え、部屋の中がはっきりと見えるようになると、目の前のベッドの上にはオリヴァーのみが横たわっている。
先ほどの恍惚とした表情はどこへやら、彼は今ひゅぅひゅぅと苦しそうな息を吐きながら天井の一点を凝視している。
「オリヴァー、大丈夫か!? いま医術師を呼んでくるからな!」
エルヴィンはオリヴァーの方を何度か振り返りながら部屋の外へと駆けていった。
「これで一件落着ね。さて、これをどうしようかなぁ」
手に持った瓶を小さく振ってみた。
中に閉じ込められて小さくなった淫魔が、恨みがましそうにこちらを見ている。
◇
翌朝、騎士団の中に魔族が入り込んでいたということで教会内は騒然となった。
標的にされたオリヴァーはかなり衰弱しているものの、命に別状はないという。
騎士団の面々は、潜り込んだ魔族に気づかなかったことで神父にこってりと絞られていた。しかし、オリヴァーのみならず全員が魅了状態だったそうなので、もうどうしようも無かったのだろうと思う。
「オリヴァーは数日中に騎士団の訓練に復帰できるそうです。これも、全て聖女様が魔族を退けてくださったからですね。本当に感謝して……ん?」
「どうしたの、エルヴィン」
「聖女様ァ! その瓶、神父様に預けたのではないですか!?」
エルヴィンは私の執務机の上に置かれた淫魔入りの瓶を見て大声を上げた。
「預けないよ。だって、神父様に渡したら聖火で焼いちゃうでしょ? そんなのもったいないじゃん」
「もったいなくありません! コイツはオリヴァーを殺しかけたんですよ!? どうして生かしておく必要があるのです!?」
「どうしてって——そんなの、この淫魔から猥談を聞きたいからに決まっているじゃない!!」
私が高らかに言うと、エルヴィンは「は?」みたいな顔で固まった。
「だから、わ・い・だ・ん! 淫魔なら性的かつ官能的なエピソードに事欠かないだろうと思って、捕獲したあと私が飼うことにしたのよ。あ、神父様には許可を取っているから心配しないで」
神父は「瓶から出さないのなら」という条件付きで淫魔の飼育を許可してくれたのだ。
これで私は大手を振って猥談を供給してもらえるというわけだ。
「ボーイズラブ小説を書くにあたって、私には性的な経験が乏しすぎるからね。そこでこの淫魔に色々と教えてもらって、執筆の参考にしようと——」
「聖女様ァ! そんな淫らな趣味はおやめください!」
「ギャアギャアうるせえな!」
突然聞こえた甲高い声に、私とエルヴィンは目を合わせ、声のする方へハッと向き直る。
「ジークフリート! やっと喋ってくれるようになったのね!?」
「おい、お前は聖女だろ! どうして猥談なんか聞きたがるんだ! おいエルヴィン、この聖女あたまがおかしいだろ! なんとかしろ! そして俺をこの瓶から出せ!」
ジークフリートは美しい銀髪を振り乱して、小瓶の中できゃいきゃい喚いている。
体が小さくなったので、声も甲高く、どれだけ喚いても全く迫力がない。
「聖女様のあたまがアレという部分は否定しないが、お前を解放する訳にはいかない! 騎士団に入り込んだ手口や、魔族に関する情報など洗いざらい吐いてもらうぞ!」
瓶をつかんだエルヴィンと、小さなジークフリートが睨み合う。
二人の間にはバチバチと火花が飛んでいるように見える。
「うふふ。手口や情報についても話してもらわないといけまないけど、まずはオリヴァーとの絡みについて洗いざらい話してもらうわ! ボーイズラブ小説が無いのなら、自分で作ればいいのよ! 私がこの世界にボーイズラブを広めるんだから! んふふふふ」
上手く書けたら街の本屋に売り込みに行くつもりである。
私はこの世界の聖女として、新しい文化の礎になるのよ。
エルヴィンの呆れかえった顔には気づかないフリをしておいた。




