第6話「プリンスの誓い」
「殿下、先ほどは失礼しました。あの……見たことは全部忘れて下さい。そうでないと、私」
「いいだろう。君が我が国に来てくれるなら、見なかったことにしよう」
「そんなっ! 殿下っ!」
身を乗り出した時、リズムが崩れた。ティナはなんと、ヒールで皇太子の足を踏んでしまう。一瞬で頭から血の気が失せる。それはティナだけでなく、周囲の人間も同様であった。
「大丈夫。君は軽いから、問題はない」
皇太子は、固まるティナのウエストを掴むと軽く持ち上げ、足を除けるとそのまま下ろした。そして、何事もなかったかのように、再び踊り始める。
「重ね重ね申し訳ありません……」
もう、顔を見る勇気もない。ティナは俯いたまま謝罪した。
「我が国を訪れても、君にとって無駄にはならないはずだ。……どうであろう」
ティナにはサッパリ判らない。あの事件を知りながら、それでも自分を王妃に、という国王は一体何を考えているのか。
「殿下。どうして私なのですか? 国王陛下は、どうして私をお選びになったのでしょう」
それまでは、打てば響くような返答をしてきた皇太子が、初めて口ごもった。そして、答えた言葉は……。
「陛下ではないのだ」
「は? あの……」
「あなたを選んだのは陛下ではなく、この私だ」
ティナには意味が判らない。
「アズウォルド王国の摂政として、私が君に王妃になってもらいたいと望んだ。いや、君でなければならないのだ」
「そ、そんな……。逆です、殿下。王妃なんて、このアメリカで私が一番相応しくないわ。私を妻にしたら、陛下が恥を掻かれます」
皇太子は一呼吸入れると、妥協案を提示してきた。
「では……一度我が国を訪れて、陛下とお会いした上で決めてはもらえまいか? 陛下……兄上にお会いして、それでも君がお断り申し上げるというなら、私は黙って君をここまで送り届けよう。そして、他の候補者を探す。どうかな?」
そこまで言われては、とてもノーとは言えない。それに、この皇太子と縁が切れるのが少し切なかった。今ここで断わらなければ、またこの人に逢える。そんな思いが背中を押し……ティナは肯いた。
「ありがとう。君の安全は私が約束する」
「そうしていただけると助かります。私は八年以上、海外はおろか、ニューヨークからも出たことがありませんので」
ダンスが終わり、皇太子は一歩後ろに下がった。
「レイ・ジョセフ・ウィリアム・アズルの名に懸けて、約束は守る」
右手を左胸に当て、そう答えた。そして、彼の左手が握っていたティナの右手を離す間際――彼女の指先に軽く口づけたのだ。
「我が国の誓いの証だ」
皇太子の唇が指に触れてる間、彼は視線を落とさない。その青い目は、ずっとティナの瞳を捉えたままだ。
(ダメよ! 落ち着きなさい! 私は、皇太子の妃に望まれてるわけじゃないのよ!)
胸の鼓動が鎮まらない。――あなたを選んだのは私だ。君でなければならない。
あまりに魅力的な、プリンスの称号を持つ魔法使いに、ティナの理性は麻痺しつつあるのだった。
~☆~☆~☆~
「しかし……二階から、あのような姿で降りようなどとは。お転婆をなさるお歳ではないように思うのですが……」
レイ皇太子一行は、滞在先のホテルリッツカールトンに戻った。警護責任者のニックから報告と明日の予定を聞きながら、会話は極々プライベートなものに移る。
「これ、ニック。未来の王妃さまであるぞ。言葉を慎みなさい」
「……はい、申し訳ありません」
皇太子補佐官の息子だから、といつも評される。そのため、必要以上にニックは皇太子を守る責任感に駆られていた。
それは、父であるサトウも同じで、彼は息子には特別厳しかった。
そんな生真面目な彼らにしたら、王妃候補であるティナの行動は、破天荒極まりないものであろう。あのドレスを見ただけで、普通の王族であれば彼女を候補から外すはずだ。サトウは、皇太子も同じ意見だと思っていた。
「殿下。本気でミス・メイソンを国王陛下の妃になさるおつもりですか?」
「サトウは不満なのか?」
「私心などいかようにも。長期に渡り、ご静養中である国王陛下ではございますが……。国民はやはり、王妃さまは王妃さまとして捉えることでしょう。プリンセスの称号がございますれば、ミス・メイソンでなくともお受け下さる方はいらっしゃるのでは?」
レイは、サトウの言わんとすることはよく判っていた。
それは、彼自身も考えていたことだ。ミスター・メイソンの一人合点で、クリスティーナにその意思がない場合は決して無理強いはすまい、と思っていた。それがどうであろう。彼女に逢った瞬間、国に連れて帰りたい、そんな思いに駆られた。それが、兄王の妃としてなのか、些か心許ないレイであった。