第5話「シャル・ウィ・ダンス?」
メイソンは皇太子に謝罪し、ティナを叱りつけようとした。だが、皇太子はその隙を与えず、彼女をダンスに誘ったのである。
「ミス・メイソン、私と、一曲踊っていただけませんか?」
「あ、私は……踊ったことがありませんし、それに、靴も……」
皇太子の横に彼女の靴は落ちていた。
その黒ずくめの衣装だけでなく、馬鹿げた振る舞いまで皇太子に知られ、メイソンの怒りは頂点を越えていた。皇太子の面前でなければ、とうに手を上げていただろう。
「ティナ! お前はなんという失礼な真似を……」
父はダンスまで断わろうとする娘を、憤怒の形相で睨んだ。
「なるほど。確かに裸足では踊れませんね」
そう言うと、あろうことか皇太子はスッと膝を折り、転がった左右のシューズを揃えてティナの前に置いたのである。
「殿下! それは」
王族の身分にある男性が、一般女性の前で膝を折るなど信じ難い行為だ。お付きの男性が止めようとするのを身振りで静止し、皇太子は立ち上がる。
「お手をどうぞ」
優雅な動きで、皇太子は左手を差し出した。ティナは逆らうことも出来ず、その手を取ってしまう。触れた手は少し冷たかった。
「では、参りましょう。ミス・メイソン」
ほんの少し前まで、父の指し示す人生すべてを否定していたはずなのに……。
この人はプリンスではなく、魔法使いかもしれない。ティナはそんなことを考えていた。
ダンスは苦手、というより、ほとんど踊ったことがない。
ティナは皇太子に手を取られフロアに立った。しかし、その瞬間に、多くの人の目に晒され、中央に棒立ちとなる。“お断り”のつもりの黒いドレスが余計に注目を集めてしまっていた。恥ずかしさの余り、頭から湯気が出そうだ。
「私、本当に踊ったことがないんです。殿下に恥を掻かせます」
「それは困った。――だか、心配は要らない。私は君に恥を掻かせたりはしないよ」
「でも……」
「黙って。周りは見ないで、私だけを見るんだ。曲はワルツだよ……私に合わせて動くだけだ。さあ」
主賓である皇太子が踊り出さない事には、誰も踊れない。
センセーショナルに登場し、しかも異色のドレスを身に纏ったパートナーに誰もが興味深々だ。
一方、ティナは、まるでおとぎ話のプリンセスにでもなった気分だった。
ライトの下で見る皇太子の瞳は、やはり吸い込まれるような海の青だ。髪は外で見たときより、幾分淡い色に思える。柔らかそうな髪質に触れてみたくなり、慌てて視線を逸らせた。
そして、黒のスーツかと思われたが、実際はブルーブラックで角度によって深い青が見え隠れする。写真より体格が良く、背も高い。一七〇センチ弱のティナがヒールを履いても充分なサポートが出来る程度に。
「随分クラシカルなドレスだね。君の主義かい?」
「――殿下に、私の気持ちを判っていただこうと思いまして」
「ミス・メイソン、アズウォルドに来た事は?」
「いえ。バカンスには行きませんので」
常夏の国アズウォルドの収入源の一つが観光である。ハワイに匹敵するビーチがあり、その維持と安全対策は国の直轄だ。
「海は嫌いかな?」
「そういうわけじゃ……あの、殿下。私はどうしても話しておかなければならないことがあります。父は多分何も話してはいないでしょう。そのことをお知りになったら、今回のお話は……」
「知っている」
まるっきり変わらぬ表情で言い切る皇太子に、ティナは驚いた。
「あの……ご存知って……本当に、ですか?」
皇太子はティナに視線を固定したまま、優しく微笑む。
「私はこれでも摂政を務めている。我が国の王妃になる女性だ。多分、君のことで知らないことはないだろう」
「まさか、そんな」
「君が隠そうと必死になっている、闇に閉ざされたその奥に――純白の部分が隠されていることも、ね」
そう言って軽くウィンクをして見せた。何を差しているかすぐに思い当たり……。
「で、で、でん、でん……」
「冗談だ。ああ、どうか人には言わないでくれ。これ以上軽薄な称号をつけられて、補佐官を悩ませるわけにはいかない」
ティナのほうが拍子抜けである。
確かにタブロイド紙には、アズウォルドのプリンスは同じアジアにある日本のプリンスと違って「プレイボーイ」「遊び人」だ、と書かれてあった。日本人の婚約者がいながら、国内に複数の恋人を持ち、海外にも各地にデートのお相手が存在する、と。もちろん、このアメリカにも、記事にあった女優だけでなく、モデルや富豪の未亡人など噂には事欠かない。
だが、実物に逢った瞬間、それらが全て嘘に思えた。