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番外編「初恋の行方」(前編)


「遠野美咲さんてあなた? あの“アジアン・プリンス”とご婚約されてるんですって!?」

 中学生の頃から、何度となく言われ続けた台詞であった。

 美咲はその都度、小さく笑って答える。

「ええ、そうです」

 美咲はちょうど大学から出るところだった。同じ年代の見知らぬ女性らが彼女を取り囲み、おいそれと解放してくれそうにない。

「レイ皇太子ってどんな方なの? 昨日のタブロイド紙に、ハリウッド女優をエスコートしてパーティで踊ってる写真が出てたけど……」

 どんな方かと聞かれても答えようがない。たった二回しか顔を合わせていないのだ。直接聞いた声すら忘れてしまった。

「日本とアズウォルド以外の色んな国に恋人がいて、一緒に過ごしてるって噂は本当? やっぱり浮気されても文句は言えないのかしら?」

 彼女らは興味津々だ。



 身長一五三センチ、体重四〇キロにも満たない。七号サイズの服でも余る時もある。髪は一度も染めたことがなく、パーマをあてたこともない。前髪は眉がぎりぎり隠れる程度で切り揃え、中学高校時代は左右に三つ編みをして垂らしていた。『ハイカラさん』の愛称が美咲をからかったものであることくらい、彼女にもちゃんと判っている。


 美咲が隣国の皇太子と婚約したのはわずか九歳の時。皇太子は十八歳であった。婚約を成立させることで、美咲の両親の会社は破産を免れた。国家間の重大な問題だったらしく、遠野家には様々な優遇措置が取られたと聞く。

 当時のアズウォルド王国は貧しく危険な小国だった。テロにより前国王が死去し、即位したばかりのシン国王は不人気で、国民の半数が王制廃止を口にしていたという。一方、国民の人気はレイ皇太子に集中しており……国王の怪我もあって、十八歳の彼が“摂政皇太子”という事実上の統治者だった。

 そんな国民感情とは逆に、日本政府は彼の立太子そのものに反対していたらしい。

 理由は二つ。皇太子の母親がアメリカ人であったこと。そしてもう一つは、先のテロによりシン国王の妃が亡くなってしまったこと。シン国王の妃は日本人であった。

 地理的に、アズウォルド王国は日本とアメリカのちょうど真ん中だ。二つの大戦では両国に挟まれ、戦況が変わるたび支配国が変わったという。戦後、両国の……言い方は悪いがご機嫌を取る為に、アズル王室は交互に両国から王妃を迎える作戦に出たのだ。日本の協力を仰ぐ為、アメリカ人の母を持つ皇太子にとって日本人の花嫁は不可欠だった。

 婚約は長い間内々に伏せられた。その間、両親の思惑とは裏腹に、皇太子の辣腕によりアズウォルドは飛躍的に成長する。そして美咲が十四歳、中学二年生の時、正式に結納の品が渡され婚約は公表されたのだった。

 美咲がレイ皇太子に会ったのはその時が二度目だ。今より小さかった彼女にとって、九歳年上の婚約者は“青い目をした異国の男性”それしか覚えていなかった。



(もう……うんざり)

 美咲に目に涙が込み上げた時、大きな黒い壁が彼女の前に立ちはだかった。

「失礼致します。美咲様、お車の用意が出来ております。お急ぎ下さいませ」

 黒いスーツを着た黒髪の男性が美咲を包み込むように庇う。そのまま強引に人垣を掻き分け、小走りに車までエスコートした。

 リムジンは二人を乗せると、あっという間に大学の前から走り去ったのだった。


「ありがとう……マシュー」

 美咲はようやくホッとした笑顔を作り、隣に座る男性を見つめた。

 マシュー・ウィルマー、アズウォルド王室警護官だ。本来、王宮で王族を警護するのが職務だが、五年前から美咲専属の護衛官を務めていた。西洋風の名前とは逆に、黒髪で黒い瞳、肌の色、顔の造作、どれをとっても日本人そのものだ。おまけに日本の大学を出ているため、日本語もペラペラである。

「いえ、車を回すのが遅くなり、申し訳ありませんでした。以後、注意します」

 美咲に常時つけられる警護官は一人。担当者は三人いて、彼らが交互に二十四時間態勢で守ってくれる。その中でマシューが一番長く、リーダー的存在だ。

「謝らないで。私が悪いのよ。もっとハキハキ答えられたら……」

「美咲様、決してそんなことは」

「いいえ。こんな私が王妃なんて……無理よ。絶対に無理なのに」

「そのようなことを口にされてはいけません。どうか、落ち着かれて下さい」

 マシューは敬語を崩さず、護衛官として美咲を宥めようとする。

 美咲は運転席から見えないように、ソッと指をシートに這わせた。そのまま、マシューの手に触れる。彼は一瞬ビクッとしたが、すぐに美咲に震える指先をギュッと握った。表情は変えないまま、フロントガラスの方を凝視している。だが、二人の手は美咲の家に到着するまで、繋がれたままだった。



~*~*~*~



 初めてマシューに会ったのは美咲が十六歳の時である。彼は大学を卒業し、国で訓練を終えて配属されたばかりの新人護衛官だった。身長は一七二センチと決して大柄ではない。だが遠泳が得意というだけあって、スーツ越しにも判る逆三角形の素晴らしい体躯をしていた。

 その出逢いは美咲にとって遅い初恋となる。

 だが、マシューにすれば美咲は命懸けで守るべき未来の王妃。仮にそれを引いたとしても、二十三歳の青年にとって発育不良の女子高生など問題外であろう。胸はかろうじてブラジャーが必要な程度、ヒップも薄く、スレンダーというより明らかに幼児体型だ。第一、美咲が魅力的な美少女であるなら、プレイボーイと称される皇太子が放っておくはずがない。

 二年後、結婚の時期を打診された時、美咲は皇太子に手紙を書いた。

 あと二年……せめて二十歳になるまで、両親の許にいさせてください、と。だが本心は、マシューと一緒に居たかったのだ。

 彼は美咲をお姫様のように扱ってくれる。もちろん未来のプリンセスには違いない。だが、親に逆らう勇気のない美咲の精一杯の我がままだった。

 必死でもぎ取った執行猶予の二年は、あっという間に過ぎて行く。

 あと少しだけ……。来月になったら……。マシューへの想いは全て忘れなくては。自分に言い訳を重ねつつ、美咲はズルズルと想いを引き摺っていた。そして二十歳になる昨年、アズウォルドから婚礼の日取りが通告されたのだった。

 もう逃れられない。切羽詰まった美咲は、自分でも信じられない行動に出てしまう。


「お願いマシュー、一度だけでいいの」

 両親が不在の夜、美咲はマシューを部屋に呼びつけ服を脱いだのだ。

「美咲様、それだけは出来ません。私には……皇太子殿下を裏切るような真似は」

「判ってます。愛して欲しいなんて言いません。ただ一度だけ、せめて初めてくらい好きな人と。そう思うのは我がままなの? 国のため、両親のため、逆らえないのは判っています。でも……」

 マシューは床に膝をつき、

「殿下は素晴らしい方です。君主としても、男としても……私とは比べものにならない」

 肌を露わにした美咲から目を逸らし、マシューは皇太子を褒め称える。

 だが、美咲は声を荒げた。

「ええ、知ってるわ! だって世界中に彼を待ってる美女がいるそうだもの。とても魅力的な方なのでしょうね。婚約者として私の名前が出てから五年余り、一度もお会いしていませんけど。よーく知ってます!」

 その素晴らしい皇太子は何度も日本を訪れながら、一度も美咲を訪ねては来なかった。誕生日、クリスマス、卒業式に入学式、お祝いのメッセージと贈り物が届いただけだ。

 勢いで服を脱ぎ、カッとなっていた美咲の肌がしだいに冷え始める。同時に、心に抱えた恋の炎も小さく消えていく。

「そうね……ごめんなさい。案山子かかしのような私が、一人前の女のふりをしても無駄よね。殿下は未経験の私を喜んでくださるかしら? 雑誌に載ってる綺麗なひとたちはみんな経験豊富そうで……ああ、国のためだものね。きっと我慢して……」

 美咲が泣きながらそこまで口にした時、マシューは立ち上がり彼女を抱き締めた。

『泣いては駄目だ……お願いだから、泣かないでくれ』

「マシュー?」

 それは初めて聞く彼のアズウォルド英語だった。

『我がままじゃない。君は自由に生きるべきだ。この時代に生まれて、国のための結婚なんて』

『仕方ないのよ。今さら、断われないわ』

 美咲も嫁ぐ日のために覚えた言葉を口にする。

『今さら? 九歳の子供に何を決めることが出来るんだ? 殿下のことは尊敬している。殿下のお辛い立場も判る。だが、君は王族として生まれた訳ではないのに……』

『一つだけ感謝してることがあるの。……あなたに出逢えたこと。マシュー、あなたは生まれて初めて好きになった人よ。そしてきっと、死ぬまであなたを想い続けるわ。この身は自由になれないけど、心は自由よ』

 マシューはきつく唇を噛み締めた。

 美咲はそんな彼の頬を両手で挟み、固く閉じた唇にソッと自分の唇を重ねたのだ。

『ごめんなさい。私が無理やりキスしたの。もう二度としなっ』

 次の瞬間、美咲は二度目のキスを経験していた。それもマシューから……息もつかせぬ大人のキスだ。


「愛しています。美咲様、あなたを攫って行きたい。この世の果てまで」


 二人はこの夜、踏み越えてはならない過ちを犯してしまったのである。

 

 

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