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第43話「ティナの決断」


「アメリカにお帰りになるというのは、本当ですか?」


 ピチャン――プールサイドに座り、水に手を浸した。

 地下水を少し温めているのだという。確かに、王宮の噴水から湧き出る水はかなり冷たかった。あれでは泳げない。海水は水温も丁度良くたくさんあるが、小高い丘の上まで汲み上げるのが大変なのだろう。

 このプールでキスしたとき、ティナはレイに対する想いを自覚した。

 一生誰とも関わらない。そう心に決めて生きてきたのに。それを、出会って数日の彼が、見事に覆してくれた。まるで喪服のような黒を、鮮やかなエメラルドグリーンに塗り替えるように。


「皇太子さまがお戻りになられるまで、待たれたほうが……」

 先ほどからティナを引き止めているのは女官長のスザンナである。

「いいえ。顔を見たら決心が揺らいでしまうから。私、プリンスにはいつまでも誇り高いプリンスでいて欲しいから」

「ミスター・サトウの仰ることは本当でしょうか? もし事実なら、確かに国民にとって残念なことではありますが」


 レイが日本に発ったその日の夜、セラドン宮殿を皇太子補佐官のサトウが訪れた。

 海外公務で、サトウがレイの傍にいないなどとあり得ない事態だ。息子のニックは警護官として同行している。

 この時、宮殿にはティナのほかにスザンナがいた。夜は一人になるティナのために、彼女は宿直を買って出てくれたのである。

 そして、思いもかけない話を聞くことになり……。



 *~*~*~*


 

 サトウは応接室の絨毯の上に直接座った。

 これが噂に聞く土下座か、と感心したが、そうされる心当たりがティナには思いつかない。


「ミスター・サトウ? どうされたんですか? バングルの件なら」

 レイのバングルはティナの手首に戻ってきている。

 それにティナは、レイの誓いの意味がプロポーズであったことを知り、有頂天だ。多少のことなら、今更、であろう。だが……。


「クリスティーナ様、どうかお願い申し上げます。皇太子殿下の結婚の申し込みを断わり、アメリカにお戻りください」

「……そんなに……私が嫌いなの?」

「いえ、そうではございません。――殿下は、王室法の改正案を議会に提出される予定だと聞きました。そして、過半数の承認を得ている、とも……」


 ティナにははじめ、サトウが何を言ってるのか判らなかった。

 何と彼は、レイがアズウォルドの王制を廃止するつもりだ、と言うのだ。そうすればアズウォルドは共和制となり、大統領が選出される。

 その、あまりに突拍子もない話に、ティナは驚き過ぎて声も出ない。


「ですが日本は、そう簡単には認めないでしょう。十二年前のテロで、現国王陛下の妃、ケイコ妃殿下がお亡くなりになられました。日本からお輿入れされて二年目、二十七歳の若さでございます。その国民感情を宥めるためにも、レイ殿下は日本人女性と婚約されたのです」


 確かに、今回のミサキの行動は婚約破棄の充分な理由になるだろう。

 だが、半分以上アメリカの血を持つレイがアメリカ人女性を妻に迎えでもしたら……。

 残る手段は、現国王に日本人王妃を迎えて頂き、後継者を作るという方法。スザンナなどは「それが一番よろしいわ」と言うが、国王の事情を知るティナはとても頷けない。サトウも同様だ。

 だが……ティナは嫌な予感に囚われた。

 なぜならレイは、「チカコは私の申し入れを快く承諾してくれた」そう言ったのだ。その申し出なら、チカコは喜んで了承するだろう。だが、あんなに兄王を敬い、大切に思っていたレイが、兄から人としての尊厳を奪うような選択をするだろうか?

 王妃となった女性も道具のように扱われ、産まれた子供はまるで……。


「殿下ご自身です――。あなたとの間に子供を作り、幸福な家庭を築く一方で、父親と会うことも出来ない母子を作る」

 サトウの心配はそれだけではなかった。

 現国王の結婚が成立しなかった場合、或いは、レイが王制廃止に向けて本格的に動いた場合、議会が承認してもチカコが黙ってはいないだろう。日本をバックにソーヤを押し立てるに違いない。

 そして、野心家のサー・トーマス・スタンライトも行動に出るはずだ。彼の母と妻はアメリカ人である。当然、アメリカは彼の後ろ盾をするだろう。


 ティナはその説明を受け、愕然とした。

 まさか……まさかとは思うが、アズウォルドには海底油田という金脈がある。利権が絡むと人間は恐ろしい生き物だ。後継者争いの内紛が内戦となり、大国の干渉を受け、かつての漁業権のように取り上げられる可能性もある。

 そしてティナがレイの妻であれば、間違いなく父・メイソンも参戦するはずだ。あの男が金儲けのチャンスを逃すはずがない。

 

 ――アズル・ブルーの海を血で汚さないためなら、私は何でもする。どんな犠牲も厭わない。


 レイに甘え、彼の愛をねだった。

 その結果、ティナはレイの中にある気高く高邁な精神に目隠しをしてしまったのだ。ティナは自分が堕天使のように思えてくる。

 

「クリスティーナ様、お願いでございます。どうぞこのまま……アメリカにお戻りを!」

  


*~*~*~*



 絨毯を擦るように頭を下げた、そんなサトウの姿が目に浮かぶ。


「でも……日本側は婚約破棄を了承されたのでしょう? 国王さまが再婚なさるかどうかはともかく、やはり、皇太子さまのお話をちゃんと聞かれたほうがよろしいですわ」

 

 スザンナの言う通りである。

 レイはミサキとの婚約を解消した。しかも、日本側は驚くほどあっさり引いたようだ。およそ、裏で何らかの取り引きがあったとみたほうがいい。

 だがそれは、アメリカ人の花嫁を迎えてよい、ということにはならない。ティナを妻にするために、レイは王位を諦める必要があるはずだ。そして、アズル王室に譲位する王族はいない。


「だめ……それは絶対にだめ。レイはプリンスでなきゃ。誰よりも、この国を思ってる人なんだから」

 声にした途端、涙が頬を伝った。

 ティナはグッと息を飲み込み、右手首を握り締める。そこにあるはずのバングルは、昨夜、サトウに渡した。

 これ以上は、もう――ティナはパスポートを確認すると、ボストンバックを手に立ち上がった。





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