第42話「プリンスのプロポーズ」
空には綺麗な満月が浮かんでいる。
その月明かりが、彼の全身を包み込んでいた。
「確かに、一週間も連絡をしなかったのは私の落ち度だ。申し訳なかった。だが、いきなり王宮に現れるなんて……」
信じられないとばかり、レイは首を左右に振る。
「ニックはあなたのことが心配なのよ」
「ああ、判っている」
「彼を処罰しないわよね?」
ティナは昼間の様子から見て、ニックが違法行為を働いたことを知った。それをレイが処断するのだろうか?
「ティナ、君はニック以外に心配することがあるんじゃないのかい?」
レイはゆっくりと部屋の奥まで進み、ソファに腰掛けた。
室内は薄い闇に閉ざされている。ティナが考え事をするため、電灯を点けていなかったせいだ。満月の光に照らさた庭のほうが、どう見ても明るい。
「ミサキのことは聞いたわ。――ご結婚おめでとうございます」
スザンナが言っていた、二週間後の挙式をレイが明言した、と。
国王のお妃探しではないか、との噂が、実はレイの新しい恋人探しだと言われ、最終的に、レイはティナに辿り着いた。それがこんな結末を迎えることになり……スザンナの目には涙があった。
「だからもういいのよ。あなたは正しかったわ」
「祝いの言葉はミサキに伝えておこう。ところで、ミセス・サイオンジはえらくご立腹だったが」
ティナはハッと気がついた。
レイの結婚のことを考え始めると他がどうしても疎かになってしまう。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。彼女の顔を見たら、あの少女を利用したことを思い出して……つい」
「あの少女なら、もう宮殿で働いてはいない」
「そんなっ! 酷いわ。あんまりよ。あなたは皇太子なのに、その程度の正義も守れないの?」
「……一家は国の保護を受け、両親の怪我が全快するまで生活は保障された。あの娘は島の学校に通い始めたと聞く。来年には高校に進学できるだろう」
レイの言葉を聞き、ティナは口をぽかんと開けたままだ。
「さて、お嬢さん。君のプリンスはこの程度の正義しか行えないが、許してもらえるだろうか?」
「ずるいわ。そんなこと……早く言ってくれればいいのに。それに……あなたは私のプリンスじゃないわ」
レイを正面から見るのも辛い。同じ部屋にいて、二人きりで話すのも苦しい。ティナはそんな想いを抱えレイから視線を外した。
「ミセス・サイオンジに頼みごとがあったというのは……本当?」
「ああ。そうだ」
「ごめんなさい。私のせいで」
彼女は何を頼まれても絶対に認めない、と言っていた。
おそらく、あの調子でレイにも噛み付いたであろう。ソーヤにも迷惑を掛けたかもしれない。そう思うとティナは落ち込む一方になる。
「君が謝る必要はない。チカコは私の申し入れを快く承諾してくれた」
「え? まさか……そんな」
ティナは驚き、レイの顔をまじまじと見つめた。そして気づいたのだ、彼のひどく疲れた表情に。
「レイ、どうしたの? 顔色が悪いわ」
「過労と寝不足だ。君のせいだよ、ティナ。眠ろうとすると、裸の君が出て来て私を誘惑する。アジュール島で君の肌をなぞった指が、もう一度、と欲しがるんだ」
そう言うと、レイの目が光った。
吸い寄せられる錯覚に、ティナは必死で抵抗する。
「ダメよ。ダメ……。あなたは父親になるのよ。そう言ったじゃない。二週間後に結婚するんでしょう?」
「ミサキは二週間後に結婚する。そう、お腹の子供の父親……彼女の愛する男性と。だが、それは私ではない。ティナ、私は正式な婚姻の前に女性を妊娠させたりはしない。そうでなければ、アジュール島で君を抱いていた。違うかい?」
「そんなっ! でも……皆、あなたが結婚すると思ってるわ」
ティナは何を信じればいいのか判らなくなる。
「だから明日、日本に行くんだ。この問題を、解決するために」
レイはそう言うとティナの手首を掴み、ソファに座らせた。そして……ゴロンと横になり、なんとティナの太腿の上に頭を乗せたのだ。俗に言う“膝枕”である。
「レ、レイ!」
「少し休ませてくれ。……チカコにも頭を下げた。可能な限りの手を打って、後は外交だけだ。日本側の同意を得て、婚約を解消して戻って来る。そして、君をニューヨークに送り届け、その足でミスター・メイソンに君との結婚の許可を貰う。
アズウォルドは六月には雨季に入る。その前にアサギ島の浜辺で挙式だ。そして、アジュール島のコテージでハネムーンを過ごそう。私は随分長く休むことなく働いてきた。文字通り“蜜月”を過ごすのに一ヶ月ほど休みを取っても、神もお許しになるだろう」
ティナはレイの言葉が咄嗟に理解出来ずにいた。
(レイは何と言ったの? 結婚? ハネムーン? それっていったい……)
「レイ、ちょっと待って! あの……レイ? それってプロポーズに聞こえるわ」
「プロポーズ? 何を言ってるんだい、ティナ。プロポーズならアジュール島でしたじゃないか? 私は名前に懸けて誓ったはずだ『君の名誉を取り戻し、幸福な未来を約束する』と。君を兄の王妃にも、私の愛人にもしない。それに、傍にいなければ幸福には出来ない。第一、そのつもりがなければ、君をあのコテージに連れては行かない」
「でも、あなたはミサキと破談になっても、日本人を妻にする、と言ったわ」
「そうだ。だから、そうしないために明日、日本に行くんだ。上手く行くように祈っていてくれ」
レイは目を閉じ、当たり前のことのように言う。
ティナは絶句していた。もし、上手く行かなかったら……そう思うと涙が浮かぶ。幸せと不安がない交ぜになり、笑っていいのか泣いていいのかもよく判らない。
突然だ。あまりにもレイの告白は突然すぎて……。
「レイ……私、愛してるって言われてないわ」
「それも戻ってからだ。生涯を誓えないなら、愛の言葉は口にしない」
「誓えない可能性は何パーセント?」
「私の名前と同じだ」
「……え?」
レイは寝転がったままティナの手を取り、手の平に指で文字を書いた。
――“零”
「これって漢字?」
「そうだ。ファーストネームには漢字も当てられている。レイとは“零”……ゼロのことだ。今は口にしない。だが」
「戻ったら、きっと、ね」
レイは頷きながら、
「いいかい、ティナ? バングルを外すことも、日本まで追いかけてくることもダメだ。この次、突然君が予想外の場所に現れたら、お尻を叩くことにする」
「ええ、判ったわ。二階の窓からロープで降りたりしないから……早く戻ってきてね」
レイは片手をティナの頭に手を添え、素早く口づけた。
「このじゃじゃ馬め」その言葉とは裏腹に、アズル・ブルーの瞳は優しさに満ち溢れていた。
この時、ティナは本気で約束を守るつもりだったのだ。そう、レイの王室存続を賭けた想いを知るまでは――。