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第41話「怒れる天使」


「クリスティーナ様こそが、皇太子さまをお救い下さる方だと思っていたのですが……」


 スザンナは王宮を出るとき、ポツリと呟いた。

 ティナは必死で隠しているつもりだったが、スザンナも他の女官も右手のバングルに気づいていたと言う。そして、ティナこそレイが自分で見つけた花嫁だ、と。

 

 レイは懸命に、そして黙々と、たくさんの役割をこなしてきた。

 何も成さずに亡くなった前王が残した負の遺産を――。

 現国王の放り出した義務を――。

 歴代のアズル王族が成しえなかったアズウォルドの繁栄と安泰を――。

 王室最後のプリンスとなり、全ての責任が彼の双肩に掛かっていた。そして悲しいことに、彼自身、自分はその為だけにこの世に生み出された命だと信じていたのである。


 そんなレイがアメリカ人女性を国に連れて帰った。

 海外メディアにレイの女性関係が流れることはあったが、彼が母国に同伴したのは初めてだ。シン国王の妃候補と噂は流れる。だが、スザンナをはじめ身近な人間にはレイの浮き足立った様子が手に取るように判り……。

 レイの望みを叶えてやりたい。今度こそ、彼は彼自身のために懸命な努力をするべきだ。皆の意見は一致し、ティナは予想外にも温かく迎えられたのである。




 一方、それは補佐官のサトウにしても同じであった。

 両親に疎まれたレイは、祖父から次期国王としてひたすら厳しく教育を施された。

 サトウは王の目を盗み、レイを自身の故郷、アジュール島に連れて行った。レイはそこで、ニックや彼の姉妹、父方の祖父母のもとに来ていた従姉のアンナと一緒に遊んだ。束の間ではあったが、レイはサトウのおかげで少年らしい経験をする。

 しかし、祖父亡き後、レイは実の父によってプリンスとしての地位すら追われそうになる。

 レイが英国のパブリックスクールに入れられる時、サトウは付いて行くことを許されなかった。彼は代わりに、息子ニックをレイと共に送り出したのだ。

 他の人間は知らなくとも、サトウは知っていた。

 レイは例えどんな時でも、女性に心を許したことなどない。常に、皇太子としての役目を第一に考え、行動する。女性との抱擁に我を忘れるレイなど、サトウは見たことがなかった。

 世間は、婚約者問題すらクリアすればレイが誰を花嫁に迎えても良いと思っているらしい。だが、問題はそんなに簡単ではない。

 国王の件もある。

 アメリカ人女性を花嫁に迎え、レイが王座につくのはチカコが黙ってはいまい。今回のミサキの一件で彼女との結婚が流れても、レイの王妃は日本人女性が選ばれるはずだ。


 もし、可能性があるとすれば……『愛を望むなら、王位を捨てるべきだったのだ。私なら、そうするだろう』レイの言ったこの言葉。


 あのレイに限って国を捨てることはあり得ないだろう。

 チカコを黙らせるためには、彼女の望むまま日本人女性を現国王妃に迎えるかも知れない。そして、最新医学を用いて後継者を産ませるのだ。

 だがそれは、レイの祖父がしたことと同じ手段である。

 レイの祖父はアメリカ人女性との婚約を断り、自国民の妻を得た。それがフサコ妃だ。自身は愛する妻と子供を得ながら、息子にはアメリカ人女性との結婚を強要した。自身の罪を息子に償わせようとしたのだ。

 アズル王室は不幸の連鎖を続けている。

 レイなら断ち切ってくれると思ったが……。彼もまた、自身の幸福と引き替えに、不幸な花嫁と不幸な子供を作るのだろうか。

 だが、例えどんな選択でも、レイの最終決断には従うつもりだ。なぜなら、サトウもまた、誰よりレイの幸福を願っていたのだから。




「まさか、婚約者さまがご懐妊などと……。とても信じられません」

 それは確かにそうである。

 レイは不用意に女性と関係するようなことはしない。まるでダイヤモンドでコーティングされたような自制心を持っている。


「男性の心を繋ぎとめるため、そういった手段を取る女性がいることは知っておりますが。ミサキさまがそんな方とは。――ああ、申し訳ありません」

 ティナの前でミサキを褒めたことを、スザンナは慌てて謝罪する。

「いえ、いいのよ。それに、確かにアジュール島に匿って頂いたけれど、私と殿下はそんな関係じゃ」


「まあ! あんな写真が出回ったというのに、よくもそんな白々しいこと」


 突然、背後から悪意の詰まった声を浴びせられ、二人の足は止まった。

 振り返ったティナの目に映ったのは、アサギ島で散々ティナを罵った、チカコ・サイオンジであった。

 ふいに、ティナの心に怒りが湧き上がってくる。


「その写真を撮らせたのはあなたじゃないの!?」

「あら、そんな話を誰に聞いたのかしら?」

「誰でもいいわ! あんな少女を使うなんて……最低よ」

「撮られて困るなら、あんな破廉恥な真似はしないことね。わたくしを責めるのはお門違いというものよ」


 ちょうど王宮の裏手辺りだ。幸い人影もない。ティナは基本的に、横暴を絵に描いたような父にすら言い返す人間なのだ。それにティナには、チカコに対してレイのようなしがらみはない。


「あんな写真どうってことないわ! あなたが言ったように、私には隠すものなんてないんだから! 私が言いたいのは、家族のために必死で働く少女を利用するのは間違っている、それだけよ!」


 スザンナは青い顔をして事の成り行きを見ている。

 逆にチカコは怒りのためか真っ赤だ。これまで言い返されたことなどなかったのだろう。アサギ島のティナは、チカコの身分やレイに迷惑を掛けることを恐れ、借りてきた猫のようにおとなしかった。


「わ、わたくしを誰だか判って言ってるのでしょうね? わたくしは」

「国王の母って言いたいんでしょう? だったら母親らしいことをしたらどうなの? 国王陛下を一番蔑ろにしているのはあなたよ!」


 ティナは言いたいことが言えて、ようやく気分がすっきりした。「失礼しました」と短く付け足し、踵を返してセラドン宮殿に向かう。

 だがその背中に、チカコは信じられない言葉をぶつけた。


「よくも、よくもわたくしを馬鹿にしたわね! 今日はレイから、お願いしたいことがある、と言われて王宮まで来たのだけれど……。こんな侮辱、絶対に許しませんから! 何を頼まれても、絶対に認めたりしません!」


 ティナは冷水を掛けられた気分であった。

 レイの足を引っ張ってしまったかも知れない。一瞬で彼女の心は後悔の色に染まる。

「私のことと、レイ……殿下のことは関係ないわ……」

 一気に立場が逆転した。途端にチカコは横柄になり、

「関係があるかないか、決めるのはわたくしよ。あなたは」


「いい加減にして下さい、母上」

 チカコの後ろから姿を現したのは、ソーヤであった。

 今日のソーヤは、海軍らしく白を基調の軍服を着用している。脇に制帽を抱え、礼装の時より凛々しく見えた。


「ソーヤ、あなたは黙っていてちょうだいな」

「僕らが王宮の奥まで出入り出来るようになったのは、兄上の……皇太子殿下のおかげです。ここでの振舞いは充分に気をつけてください」

「あ、あなたまで、わたくしを軽んじるおつもり?」

 ソーヤは母親の抗議を無視すると、ティナとスザンナに向かって言った。

「呼び止めて悪かったね。母の相手は僕がするので、行って構わないよ」

「あ、ありがとうございます。では……さあ、クリスティーナ様」


 ティナはスザンナに押され、裏手からセラドン宮殿に登る道に向かった。

 途中振り返った時、こっちを見ていたソーヤはニッコリ微笑んでウィンクをしたのだった。



 *~*~*~*



「ああ、どうしよう。私のせいでレイに迷惑を掛けたら。どうしておとなしく出来なかったのかしら……。あんな風に言い返すなんて、どうかしてるわ」

 その日の深夜、セラドン宮殿の応接間で、ティナは独り反省会である。

 スザンナには、「チカコ様にあそこまで言い返されたのは、クリスティーナ様が初めてでございます。スカッと致しましたわ」などと笑って言われたが……。


「ああっもうっ! 私ってどうしてこうなのかしら」

「全く、君は大したお嬢さんだ」

「レイ!」

 テラスに面した大きな窓を開け、入ってきたのはレイであった。






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