第40話「子供の父親」
レイは目を閉じ、軽く首を振った。
不快感が顔に滲み出ている。それはいつもの彼らしくなかった。ティナは、責任の所在はともかく、これ以上レイを困らせるべきではない、そう考えたのだ。
「判ったわ。セラドン宮殿に滞在します。だから、早く行って下さい」
ようやくレイの相好が緩む。
「――スザンナ! ミス・クリスティーナ・メイソンをセラドン宮殿に案内してくれ。彼女はそこに滞在する」
「殿下。ミス・メイソンでしたら、私が」
そこにニックが口を挟んだ。
だが、
「いや、いい。ニック、君には話がある。スザンナ、頼んだぞ。――誰か! 至急、医者を呼んで来い」
有無を言わせぬ厳しいレイの言葉に、女官の一人が弾けるように走り出した。ニックもレイの叱責を覚悟したのか、その場に固まっている。
「ティナ、ありがとう――本当に済まない。今は、許してくれ」
レイはティナの頬に軽く触れた。そして部屋に……ミサキの許に戻ったのである。
*~*~*~*
一時間後、レイはニックを皇太子執務室に呼び出した。
この王宮が建って以来、国王執務室が機能したことは一度もない。実質、全てを取り仕切っているのが、この皇太子執務室だ。
マホガニーブラウンで統一された家具は、一民間企業の役員室と大差なかった。対外的に豪華な宮殿を建て、国賓用に色々作ってはいるが、レイ自身は質素を好む。ティナを連れて行ったアジュール島のコテージが、彼には何よりお気に入りの場所であった。
他の誰も同伴したことがない。レイは自分のテリトリーにティナを入れたのだ。そのことの重要性をティナは理解しているのだろうか。それを考えるとレイは頭が痛くなる。
ノックが二回。それはニックであった。レイはニックを部屋に招き入れる。
「ミス・トオノは貧血だそうだ。大きな問題はない」
「そうですか。よかったです」
ニックは勘違いしたまま、大きく安堵するのであった。
約十日前、日本のアズウォルド大使館から極秘裏に連絡が入った。
婚約者のミサキ・トオノが親元から姿を消した、と。早く言えば、彼女は家出をしたのだ。原因は不明だと報告を受ける。だがレイが命じた調査では、彼女の友人関係から、ミサキが身近な男性と恋愛関係にあったと聞かされる。しかし、相手は特定出来なかった。
ミサキはレイとの結婚を嫌がっている――それが公になると彼女の名誉にも関わる。レイは日本側から正式な通達があるまで、在日大使館の人間が行動には出ないよう命令した。
ところが、レイがアジュール島から戻った三日後――事態が急変する。
その三日間はレイにとって不本意なことの繰り返しであった。マスコミを相手に、金と権力で事実を黙認させたのだ。加えて、ティナの過去を書き立てようとした愚か者を、世論を操作し、倫理的に吊るし上げた。彼らには、レイを敵に回すことの恐ろしさ、且つ、レイの本気を知らしめる必要があったからだ。
ホッとしたのも束の間、レイの元に飛び込んで来たのが――婚約者ミサキ・トオノである。
その時、レイの胸に疑問が浮かんだ。なぜ騒ぎにもならず、日本を出国し、アズウォルドに入国出来たのか。だが、それを追求する暇もなく、ミサキは倒れたのである。そして診察の結果、あろうことか彼女の妊娠が発覚した。王宮医師の診たてでは、もう五ヶ月に入るという。その報告を受け、レイは眩暈を覚えた。
相手がレイであるはずがない。七年前に会ったきりの女性を、妊娠させられるわけがない。
だが、これで破談にするのは簡単になった。ミサキの不義を日本政府に突きつければ、アズウォルドの国益を損ねることなく、婚約は解消できる。有利な立場で条件を提示すれば、花嫁問題はほぼクリアとなるだろう。だが……。
「レイ皇太子殿下を、頼れる筋合いではないと判っております。本当に申し訳ありません。でも、彼を愛してしまったんです。両親に子供のことを話しました。でも、産ませるわけにはいかない、と言われ……」
ミサキは必死だったのだ。お腹の子供を守るため、恥を忍んでレイに助けを求めた。
遠野の家は格式も高く裕福だった。二十年前、バブル景気で土地に投資するまでは。傾いた経営状態のところに、降って湧いたように娘の縁談が持ち上がる。
相手は貧しい国の皇太子。前国王をテロにより殺されたばかりだ。周辺海域は鮫の周回コースでもあり、あらゆる意味で危険な島国と彼らは聞いていた。
だが取引条件は、彼らにとって非常に美味しいものばかりだ。娘はまだ九歳である。開発計画が頓挫すれば、娘が成人するまで存続しているかどうか判らない王室だ。ならば、婚約くらい……。
わずか数年後、彼らの予想に反して、アズウォルドは恐ろしいほど豊かな国となった。レイ皇太子も世界中から注目を浴びる傑出した人物だ。そして、その恩恵を彼らは充分に受けていた。いや、今も受け続けている。もし破談となれば……彼らの生活は百八十度逆転することになる。
レイは深いため息をつく。
そして、口元を引き締め、ニックと向かい合った。
「ニック。君は“皇太子命令”と偽り、ヘリを出し、王宮にティナを引き入れた」
「はい」
「私はそんな命令を出してはいない」
「はい」
「サトウが君のやったことを知れば、非常に悲しむだろう」
「父は、何の関係もありません」
「判っている」
(いつからだろう、ニックとこれほどまでに他人行儀になったのは。昔はもっと……)
懐かしい思い出を意識から追い払い、レイは厳しい声で命じた。
「今日は休暇を取っていたな。このまま休暇を満喫したまえ。下がってよい」
無言で頭を下げ、ニックは出て行くだろうと思われたが、
「殿下! 一つだけ。一つだけ言わせてください!」
「なんだ?」
「二週間後には、王宮内の礼拝堂で結婚式が行われると聞きました。その準備を殿下がご命令になった、と。私は殿下の如何なる選択にも従う所存です。ですが、神と良心に背くような行いだけは慎んでください。先の陛下のようなお振る舞いだけは……どうか」
まさに、真剣そのものの表情で訴えかける。
「言いたいことはそれだけか?」
「はい」
「明日の第一便で東京に向かう。警備はいつも通りだ。しばらく忙しくなる。君の処分は二週間が過ぎてから伝える。今日は――家に帰り、頭を冷やせ。以上だ」
「……はい」
ミサキの口から恋人の名を聞きだすのに丸二日掛かった。
相手はマシュー・ウィルマー、二十八歳。なんとアズウォルド王室警護官で、ミサキの警護担当者であった。どうりで、出入国が自在なはずだ。彼らにも、外交官特権が与えられている。家出娘は大使館の一室に匿われていたと聞き、さすがのレイも驚きを隠せない。
マシューは逃げたりせず、レイの呼び出しにも素直に応じた。自分はどんな処罰も覚悟している。だが、ミサキと子供のことだけは、と頼まれ……。
その一方で、ミサキはなぜかマシューが死刑になると思い悩んでいた。彼女は床に正座をして、日本人特有の土下座で、レイにマシューの助命を嘆願したのである。
そんな二人にレイが告げた言葉は。
「我が国に、愛し合う恋人たちを引き裂く法律はない。そして如何なる場合も、子供の誕生は祝福されるべきだ」
だが、日本側と遠野家がそれに同意するまで、事実は隠す必要があった。レイはミサキを王宮に滞在させ、真実を伏せたまま、結婚式の準備を進めさせたのである。
結果、ミサキの子供の父親はレイだと周囲は思い込み……。
しかし、一連に記事のせいで、レイは婚約を解消してティナと結婚する、という噂があった。そんな中、一転してティナは『遊び相手』『側室候補』などと誤解されてしまう。挙げ句の果ては、ニックまで暴走する始末だ。
「それ見たことかと思っていらっしゃるのでしょうね?」
レイは壁に掛けられた歴代国王の写真を見上げて言った。
一番右端には兄シン国王が、その隣に父ソウ国王が並んでいる。
「ですが父上、私はあなたのようにはなりませんよ。国も称号も、そして愛する女性も、守って見せます、必ず!」
深いアズル・ブルーの双眸が、確固たる意思を持ち、凛然と輝いていた。




