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第37話「アズル・ブルーの誓い」


「おはよう、ティナ。気分はどうだい?」

「……最低よ」

 まるで二人の間には何事もなかったかのようだ。そんなレイの笑顔にティナは短く言い返し、口をきつく結んだ。


「お姫様はおかんむりだ。どうやらお腹が空いているらしい。アーレットの朝食は口に合わなかったのかな」

「いいえ。美味しかったわ」

「それはよかった」


 レイはティナの腰に手を添えると、ごく自然に木陰に誘導した。確かに、ティナの抜けるような白い肌に、この陽射しは辛い。日焼け止めも塗ってはおらず、大きな帽子とサングラスが欲しい所だ。

 或いはレイのように水着を着て、サンオイルを塗り、彼の横で……。


「ティナ……夕べのことだが。私は君を傷つけたくはなかった。それは判ってくれるね」


 レイはティナの体の火照りを冷ますと言った。そして、その通りのことをしたのだ。

 彼は指だけで、ティナの官能を呼び覚まし、極限まで引き上げて翻弄した。ティナはされるがまま、シーツの上で身悶え、愛を叫んだ。そんなティナの恥ずかしい姿に、レイは息一つ乱さすことはなかった。


「私の何を傷つけなかったつもり?」

「色々だ。心も体も、そして」

「心ならボロボロよ! もう立ち直れないわ。魅力がないならそう言ってくれたら良かったのよ。無理にあんなことまで……して欲しくなかったわ」

 ティナは膝を抱え座り込んだ。そして、腕に額をつけ顔を隠すようにする。

「そうじゃないことは君も気づいたはずだ。私の体はいつだって君を求めている」

「そうね。女の体を求めてるのね。きっとそれが正常な男性の反応なんでしょう。でも、あんなことをした後で、また私の手首にバングルを嵌めるなんて……どういうことなの?」


 レイは、ベッドの上に転がったまま、荒い息を繰り返すティナの右手にバングルを嵌めたのだ。フサコ王太后から頂いたアズライトのバングルである。

 驚き、目を見張るティナにレイが言った言葉は、

「今度こそ外してはいけない。その時は、私は君を許さない」

 ティナに反論の隙を与えない早業はやわざであった。しかもそのまま口づけされ、再び……レイはティナを楽園の花園に引き摺り込んだのである。


「サトウが何を言ったのか見当はつく。私もうっかり、彼の言葉を鵜呑みにしてしまった。晩餐会では不当に君を睨んで済まなかった」

「睨んでいたのは私じゃなくてソーヤでしょう? 私はあなたに無視されただけよ」

 ティナは思い出すと切なくなり、更に顔を背けた。

「君が欲しいのは王妃のティアラで、バングルは不要だと聞かされたんだ。だから私は」

「ミスター・サトウにも言ったけど、王妃のティアラを押し付けてきたのはあなたよ! 私はあなたのために引き受けてもいいと言っただけだわ!」

「それは兄王の妃のティアラだ」

「あなたの隣でティアラを付ける人は決まってるじゃない!」


 二人の間にしっとりとした風が流れた。

 肌を舐める風は少し不快で、アサギ島より湿度が高いようだ。入り江のせいかもしれない。ティナはそんなことを考え、横を向いた拍子に長い髪が頬に張り付いた。指で絡め取り耳の後ろに掛けようとするが、中々上手く出来ない。何度か繰り返していると、レイが手を差し伸べた。彼は左手でティナの頬に触れ、器用に髪をすくい上げる。



「夕べは避妊具を用意していなかった。知ってるかい? この島には二十四時間営業のドラッグストアもないんだ。それに、男性経験のない君はピルも飲んでいないだろう。私にそんな危険は冒せない」

 ストレートなレイの言葉に、ティナは真っ赤になって言い返した。

「それでも良かったわ。私はあなたに傷つけて欲しかった。何かあっても責任は私ひとりで取るわ。これでも一人前の大人の女よ」

 レイはティナの隣、木陰の砂の上に腰を下ろした。ピッタリと体をつけて座るので、ティナが驚いたほどだ。


「ティナ、いい加減見縊(みくび)らないでくれ。その時は、例え日本との関係を断ち切ってでも、私は君を妻に迎える。それで称号を捨てることになっても。我が子を庶子にするつもりはない」

 

 恐ろしいほどレイはきっぱりと言い切った。だが、そんなことは不可能だ。ティナにも判ることである。なぜなら、この国で彼が称号を譲れる相手はいないのだから。レイにはどこにも逃げ場はない。


「無理……だわ。言ったでしょう? 私はそんなこと望んではいないって」

 隣に座るレイの顔を見ず、ティナはジッと入り江を見つめたまま言った。

 そんなティナの様子に、レイは大きくため息を吐き、信じられない提案を始めたのである。


「オーケーティナ。ではこうしたらどうかな。このコテージをアジュール島の宮殿に建て替えよう。そして君はここで暮らすんだ。私は週に数回ここを訪れる。夕べとは違い、私たちはお互いに満足行くまで愛し合おう。

 ――だがおそらく、君が最も多く私の姿を見るのは、TV画面やニュースペーパーの一面だ。そして私の隣には黒髪の王妃がいて、王子や王女もいる。もちろん、君もいずれ私の息子を産むだろう。だがその子はプリンスと呼ばれることはなく、生涯、公の席で私の隣に立つことはない」


「もういいわ、レイ……」


「いいや、よくない。私は君より先に妃を妊娠させなければならない。それが義務だからね。可能な限り妻を抱き、その後で君の許を訪れる。正統なプリンスが授かるまで、君とのセックスは充分に注意して……」


「もうやめてっ! お願い、もう、判ったから……やめて、レイ」


 ティナは頭を抱え首を振った。

 レイの言う通りなのだ。兄王の妃として残ると言いながら、心の何処かでレイと愛し合えることを期待していた。この国に残れば、近くにさえいれば……。

 だがそれは、どう考えても日陰の身でしかあり得ない。レイの訪れだけを待ち、彼が妻に与えた愛情のおこぼれを貰う日々。平気な訳がない。一度抱かれたら諦められるだなんて、とんでもないことだ。

 たった一晩、濃密な夜を過ごしただけ、それも最後の一線を越えてはいない。なのに……。

 彼の妃となった女性は、当然のようにあの愛撫を毎晩独占する。夜だけではない。昼間は彼の隣に立ち、あの穏やかで気品高い笑顔すら独り占めするのだ。二人は人生を分かち合い、愛と命を育む。

 そんな姿を目の当たりにすれば、ティナは気が狂ってしまうだろう。

 愛する人を他の誰かと分け合える訳がない。もし二人の間に子供でも授かれば、それこそ悲劇だ。


 気がつけばティナは大粒の涙を流していた。

 愛しているのに。たぶんレイも、愛してくれているのに。決して結ばれてはならない二人――。


「ティナ。クリスティーナ、いいかい、泣いてはダメだ。そんな風に泣かないでくれ。私は君を罪人にはしない。君は私のためなら地獄に落ちてもいいと言ってくれた。君の名誉と幸福な未来を、私は取り戻すつもりだ。チャンスをくれないか?」


 レイのいない未来に幸福などない。だが、レイと共に過ごす未来にも幸福は……。

 首を横に振ろうとして、ティナはレイの瞳を見つめた。アズル・ブルーが煌き、ティナの心を包み込む。それに惹き込まれるように、彼女は肯いてしまう。

 するとレイは初めて逢った時のように、右手を裸の左胸に当てた。座っていた体勢から右膝を立て、左膝は砂についたままだ。そして左手で、なんとティナの金色の髪を数本掴み、唇に押し当てた。


「レイ・ジョセフ・ウィリアム・アズルの名に懸けて、約束は守る」


 それはレイにとって命より重い、称号を懸けた誓いであった。






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