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第32話「逃げるプリンス」


 二時間後、ティナは海の上にいた。

「三十分ほどで着くから。しばらく辛抱して欲しい」

 中型クルーザーの操縦席からレイが声を掛ける。

 何処へ行くのか、何故、深夜に宮殿を抜け出さなければならないのか……レイは全く説明してくれない。とにかく、「黙ってついて来て欲しい」それだけだ。



「レ、レイ? 本当にレイなの? どうして、こんなところで何をしてるの?」

 真夜中のベッドルームだ。しかも、あれほど怒っていたはずなのに、ティナはレイに逢えたことのほうが嬉しかった。

「ティナ、よく聞いてくれ。私の力が及ばず、本当に申し訳ないと思っている。だが、出来る限りのことはしたし、これからもするつもりだ。どうか、私を信じてついて来て欲しい」

 上半身を起こしたティナの手を取り、レイは軽く口づけた。その拍子に、上掛けはベッドから滑り落ちる。一瞬レイの動きが止まり……。でもすぐに、ベッドサイドの椅子に掛けてあった薄いガウンを、ティナの肩に羽織らせてくれたのだった。

 床に足を下ろし、この時初めて、ティナは自分がキャミソール一枚であったことに気付く。しかも、下半身に身に着けているのは、レイの贈ってくれた白いシルクのみ。

「あの、レイ、私……」 

「ティナ、話をしている暇はない。済まないが、すぐに着替えて荷物を持ってついて来てくれ。いいね」

 レイの声は同意を求めてはおらず、それは命令に近いものであった。



 船は時速四〇キロ以下のスピードで、静かに真夜中の海上を進んでいた。キャビンは広めの作りで、奥にはベッドルームもあるようだ。シャワーやトイレ、簡易キッチンまである、外洋まで出れるタイプだろう。

 キャビンのソファーにティナは一人で座っていた。

 ふと、大型クルーザーをチャーターして、家族で遊びに行った時のことが、彼女の頭に過ぎる。


 まだ十歳の頃のことだ。家族全員でのバカンスは初めてで、あの時は、父も家族のことを愛してくれているのだ、と素直に感謝した。だが、そんな娘に母が言ったのだ。

「取引相手が家族を大切にされる方だったの。契約を取るために、お父様も同じようになさったのよ」

 八年前も同じだった。

 当時十六歳のティナは結婚を申し込まれていた。相手はアラブ系ブラジル人の富豪で五十歳は過ぎていたように思う。再婚だったか再再婚だったか、詳しいことは覚えてはいない。アラブ人国家と太いパイプを持ち、それを目当てに父は承諾しようとしていたのだった。

「王族並みの生活が送れるんだぞ! 何の不服がある!」

 抗議したティナに、父はそんなことを言っていた。

 結局、事件のおかげで縁談は流れ……。あれ以降の人生で、唯一幸運なことであろう。そう、ほんの数週間前までは。

 ティナの目の前に王子様が現われ、人生を百八十度方向転換してくれた。

 このクルーザーの舵をとっている当人である。一体彼は、ティナを何処に連れて行くつもりなのだろう。だがレイと一緒であるなら、例え遭難しても構わない。それがティナの偽らざる想いであった。


 だが、船は三十分もせず一つの島に到着する。

 岸には灯りが見え、接岸場所を示しているようであった。

 レイが接岸を終え、ティナを連れて船から下りると、待っていたのはなんとアンナだ。

「ハイ、ティナ! アジュール島へようこそ!」

「ア、アジュール島……」

 確か、本島の隣にある島である。

 間近で見たアンナは、数日前のドレス姿とはまるで違った。Tシャツとショートパンツ、その上に羽織っているのは白衣である。背中まである黒髪はカラフルなバンダナに包まれ、頭の後ろでお団子を作っていた。


「アンナ、すまないが夜が明ける前にコテージに入りたい。人目につきたくはないんだ」

「判ってるわ。そんなに焦らなくても大丈夫よ」

 ティナは尋ねる間もなく、アンナが運転する車に乗せられた。車は細い山道を抜け、一時間も経たず、入り江に作られたこじんまりとしたコテージに到着したのだった。



*~*~*~*



 見るからに普通のコテージだ。

 最新の設備が整っているわけでもなく、室内の装飾も宮殿に比べれば質素そのものである。何より驚いたのが警備システムだ。センサーなど全く見当たらず、玄関ドアにも一般家庭の鍵が取り付けられていた。更には、どれほど周囲を見回しても、普段レイに張り付いている警護官の姿は影も形もない。


「レイ。ミスター・サトウは……あ、ニック・サトウは何処にいるの? 王宮と宮殿以外で彼があなたの傍から離れることはないんでしょう?」

 レイはようやく緊張の解けた顔をして、ティナを見て微笑んだ。

「何処にいるかって? 私を宮殿に送り届けた後、自宅に戻ったはずだが。彼は独身で一人暮らしをしている。恋人がいるとは聞いていないから、真っ直ぐ家に」

「待って、待ってレイ。そんなことを聞いてるんじゃないわ。ねえ、どうしてあなたの傍にいないの? それに彼の父親で補佐官のミスター・サトウは何処?」

「君は、私より彼らのことが気になるようだ」

「そうじゃなくって! 私より彼らが大事なのはあなたでしょう?」

 

 ティナは、いつまで待っても入って来ないアンナが気になった。自然と、視線が玄関に向いてしまう。

「ひょっとしてアンナを気にしてるのかい?」

「それは……」

 直後、車のエンジン音がして、それは次第に遠ざかって行った。

「アンナは病院に戻ったよ。無理を言って彼女の仕事用のクルーザーを借りた。私のを使うと一発でバレてしまうからね」

「バレるって……誰に?」

「皆だ。補佐官や警護官付きで移動すれば目立つ。そうなれば、マスコミにもすぐに嗅ぎつけられる」

 

 レイが何を言いたいのかサッパリ判らない。何故、皇太子であるレイが補佐官たちから逃げる必要があるのか。マスコミに知られたくない事情があるなら尚のこと、どうしてティナを連れ出したのだろう。

「マスコミって……どういうことなの? それが私と何の関係があるっていうの?」


 決して寒いわけではなかったが、明かりも何もないコテージは酷く不安で……。

 レイはそんなティナを、背後からそうっと抱き締めた。一瞬で全身が彼の香りに包み込まれる。そして、レイが耳元で囁いた言葉は――。


「アサギ島でのキスが、明日発売のタブロイド紙に掲載される」





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