第30話「王家の瞳」
ティナはそんなレイの目が怖くなり、思わず顔を背ける。
「ちょうどいい。せっかくだから、もう少し慌てさせてみよう」
「え……?」
ソーヤは楽しそうな声を上げると、ティナの手を取り、自身の右手を左胸に持っていく。それは、レイがティナにした“誓いの証”であった。
アズウォルドにおいて、臣下が主君に向かってとる礼であり、裁判で正義の証言や、愛する女性に求婚したりする場合にも使われる。神に、「この気持ちに偽りがあるときは、我が心臓を止めてくれても構わない」そんな意味だ。結婚式でも、それぞれが自分の胸に手を当て、誓いの言葉を口にする。
若者の間ではもう少し砕けていて、デートに誘う時や恋の告白をする時にも使われていた。
「ティナ、僕と踊ってもらえませんか?」
オーケストラはウインナワルツを演奏している。
真正面からアズル・ブルーの瞳で見つめられては、どぎまぎして肯いてしまいそうだ。しかし、
「い、いえ。私はダンスがにが」
苦手だから、と言おうとしたとき、ティナは手を掴まれ引っ張られた。
「ソーヤ、ティナは主賓だ。ダンスの相手はお前ではない」
これまでにない憮然とした声で、割って入ったのはプリンス・レイであった。
*~*~*~*
――私たちは踊らなければならない。
そんな風に説得され、ティナはフロアの中央に立っていた。
ワルツさえも苦手なのに、更に高度で格調高いウインナ・ワルツだ。回転のスピードがワルツより速く、見た目は優雅だが一曲踊れば息が切れる。ティナは、遙か昔に習った記憶を引っ張り出し、レイに必死でついて行くのだった。
フロアから離れ、ティナはピッチャーからグラスに水を注ぎ込んだ。曲はゆったりとした三拍子のワルツに変わっている。
グラスの水を一気に飲み干し、息を吐いた瞬間、ティナは隣に立つレイに気付いた。
「私にも一杯貰えるかな」
「一杯と言わず何杯でも、あなたの国の水ですから」
レイは呆れたように小さく首を振る。
「判らないな。怒ってるのは私で、君ではないはずだ」
「……?」
「まずは褒めさせてくれないか? 金色の髪とドレスの光沢が重なって、よく似合っている。女神のようだ」
情熱的な言葉に反して、レイの声は冷めていた。ティナは何と答えたらいいのか判らない。
「それに……深い色のエメラルドが、緑掛かったヘーゼルの瞳を際立たせているよ」
「どうもありがとう。あなたが選んでくれたんでしょう? NYで。でも私に値札はついていないし、値札つきのアクセサリーにも興味はないわ」
「どういう意味だ?」
「そのバングルよ」
「これは、君が自分で外して返したと聞いている」
「あなたが……」
カッとなったティナが言い返そうとした時、
「失礼致します。殿下――」
レイの携帯電話を手に、補佐官サトウが後ろから声を掛けたのだった。
中途半端にレイは居なくなってしまった。
レイに渡そうと、グラスに水を注いだものの……ティナは所在無げに、それをテーブルに戻す。
「なんだ、また奴か。――サトウはレイの教育係だったからね。いまだに父親気分らしい」
そのグラスを横からスッと取り、口に運びながらサトウの悪口を言ったのはソーヤだった。
その時、ティナはアサギ島で聞いた彼の話を思い出していた。ソーヤは、兄が全身全霊で自分を守ってくれたことを知らないのだ。もちろんティナも言うつもりはない。
「レイ……皇太子殿下は、ミスター・サトウのことをとても信頼しているのね。いつも一緒だわ」
パーティションの向こうに見え隠れする二人の姿を、目の端に捉えながら、ティナはそんな言葉を口にする。そんなティナに、ソーヤは屈託のない笑顔を見せた。
「ティナ、それじゃまるでサトウにヤキモチを妬いているみたいだ」
背の高さが同じなせいかもしれない。或いは、微妙にイントネーションの違うイギリス英語のせいかも……。ソーヤの声が堪らなくレイに似ている。そして何より、アズルブルーの瞳で見つめられると、ティナはレイのキスを思い出し眩暈がした。
「どうしたんだい、ティナ? 気分でも悪い?」
「い、いいえ、違うの。あの……レイもそうだけど、あなたも素敵な色の瞳をお持ちなのね」
「ああ、このアズル・ブルーかい。王室の血を引く男は皆、なぜかこの色の瞳になるんだ。ほら、サー・トーマスもそうだろ?」
ティナはそう言われて、サー・トーマス……スタンライト外務大臣を見た。レイとソーヤの父親の従弟にあたる人物だ。サー・トーマスの父親は第十二代リュウ国王であった。しかし、戦況悪化に巻き込まれ、わずか三十三歳で亡くなる。父親さえ生きていれば、彼が今の国王であったかも知れない。
野心家の本性は見えつつあるが、基本的には、六十代後半の上品な老紳士だ。所々白の混じった焦げ茶色の髪をしている。だが、瞳は確かにアズル・ブルーであった。
「だから、アズライトは王家の石と呼ばれているんだ。――ああ、そうだ。僕の母が、君に失礼なことを言ったと聞いた。本当に申し訳ない」
急に真面目な顔になって謝罪され、ティナのほうがビックリだ。
「そんな、やめてちょうだい。立場が違えば、守るものも違ってきて当たり前だわ」
「君が心の広い女性で良かった。母は子供のためと思っているらしい。親に感謝はしているが、自由が恋しい年頃なんだ。判って欲しいね」
ソーヤは肩をすくめながら、冗談めかして言う。そんな仕草もレイに似ている。
いや、実際のところ、そう似てはいないのかも知れない。だが、ティナは必死になってソーヤからレイの気配を感じ取ろうとしていた。