第3話「ティナの企み」
その声に、全員一斉に振り返り、動きを止めた。
メイソンは搾り出すような声で、息子ジャックに命令する。
「いいかジャック、この馬鹿者に今夜に相応しいドレスを着せて、殿下の前に連れて来るんだ! 貴様にもそれくらいのことは出来るだろう。いいな!」
「は、はい。お父さん」
メイソンの怒声は、会社の古参の重役連中ですら震え上がるほどだ。それを向けられ、ジャックはびくついて自動的に首を縦に振っている。人を思い通りにするのは気分がいい。だが、後継者である息子がこの様ではいささか心もとない。
それに比べて、ティナは動きを止めたメイソンの手を振り払い、平然と前を向いている。わずか二十四歳の小娘に過ぎないはずだが、むしろこのティナのほうが大企業のトップに向いているのかも知れない。
その証拠に、ティナはイェール大学を優秀な成績で卒業したが、ジャックのほうは格の落ちるスタンフォード大学を卒業するのに、かなりの時間と金を必要とした。
ジャックは期待できない。だが息子は一人しかいない。いっそ、娘に婿を取って……。
そこまで考え、もう一人の娘であるアンジーがこの場にいないことを思い出していた。アンジーは急遽、モナコの別荘に行かせてある。婚約が成立し、式の日取りが正式に決まれば呼び戻す算段だ。万一にもこの場にいて、皇太子の目に留まらないとも限らない。ティナよりアンジーを、と望まれたら……ノーとは言うのは難しいだろう。
アンジーはティナより二歳下だ。今ひとつ自覚に欠け、頼りないのは兄ジャックとよく似ている。だが、見た目は文句なく男を惹きつけるであろう。ティナよりひと回り小柄で、姉に良く似たブロンドをしていた。違うと言えば、姉はグリーン掛かったヘーゼルの瞳で、妹のほうが鮮やかなエメラルドだ。父親としては、婿を取るまでシーツを掛けてクローゼットにしまっておきたい娘である。妙な男に引っ掛かりでもしたら、後はないのだ。
まったく! あんなことさえなければ、ティナに婿をとって後継者に据えれたものを。忌々しい思いで、メイソンはティナの黒ずくめの後姿を見送った。
~☆~☆~☆~
一時間後――ティナは兄や母の説得にも応じず、結局部屋に籠もったままだ。
メイソンは皇太子に応対せねばならず、とても娘の説得には手が回らない。娘は緊張のあまり具合が悪い、と言い訳し、パーティでの顔合わせを諦めてもらおうと必死だ。それも、『嫌がっている』という印象を与えるわけにはいかない。
その頃、ティナは何とか部屋から抜け出す術を考えていた。
このドレスで皇太子の前に立てば、彼女の意思は伝わるだろう。仮に、無礼だと怒らせたとしても、尚更、王妃になど出来ないと思うはずである。
父は何も言わず、メイソン家の長女を高値で売り渡したはずだ。ティナにそれだけの価値はなく、むしろ、王家の恥だと知らせれば、皇太子は諦めるに違いない。
そうはさせじ、と、父が母らに命じてドアの外には見張りが付いている。メイドが違うドレスを抱えて目の前で待機しているのだ。
ティナはふとベッドを見た。上に散らかった新聞紙の残骸はキレイに片付けられている。白いシーツを見つめるうちに、何事か閃き、彼女は勢いよくシーツを剥がした。
~☆~☆~☆~
「殿下。いかがいたしましょう」
皇太子付きの補佐官であるアキラ・ジェームズ・サトウが皇太子の数歩後ろを歩きながら尋ねた。
「ああ、参ったな。どうやら、ミスター・メイソンの言葉を鵜呑みにしたのはまずかったかも知れない。肝心の花嫁が部屋に籠もってしまったんじゃね」
中庭の、比較的灯りの届かない辺りを、レイ皇太子は散策していた。
黒髪に黒のスーツ……光がなければ闇夜の烏である。
メイソンは必死で隠したが、それに騙されるほどの男なら、とうの昔にアズウォルドは共和国になっていただろう。
事を荒立てるために彼が来た訳ではなかった。ごくごく穏便に、かつ早急に、婚姻による相互扶助の関係を継続するための渡米だ。
「『アマノイワト』の女神様かな。私が扉の前で踊ってみるべきだろうか?」
「とんでもございません! 殿下がそのような」
「冗談だ」
日本人の血を四分の三持つサトウは、何でも本気にする。幼少時の教育係であったせいか、いくつになっても彼の目には、レイがティーンエイジャーに映るのだろう。
彼の息子・ニックも、父親同様の堅物で通っている。物心ついたときから常に一緒で、レイより二歳年長であるにも関わらず、英国のイートンカレッジには同じ学年で入学したくらいだ。今も王室警護官としてレイの周囲に張り付いている。
「少し考えたい。一人にしてくれ」
「しかし……」
「下がっていい」
「かしこまりました」
サトウを下がらせ、レイは一人になった。