第28話「策略のエメラルド」
「女同士で話しているのよ。邪魔はしないで下さる」
「申し訳ありません、レディ・アンナ。私は……皇太子殿下のご命令で、こちらのミス・メイソンを探しておりました」
「私を、ですか? レイ皇太子殿下が?」
「はい。お越しいただけますか?」
ニックは丁寧な口調でにこりともせずに言う。それは、慇懃無礼の見本のような態度であった。
「わかりました。すぐに参ります。……ねえアンナ、先ほどの件は」
「ええ判ってるわ。でも、『人の幸福について』、色々考えてみてちょうだい」
ティナはそっと肯く。アンナは信頼できる人だと直感した。彼女の口からバングルの件が漏れることはないだろう。だが、晩餐会に右手を隠したままで出席できないのは確かだ。
「それから、レディ・アンナ。王宮の敷地内とはいえ、夜、お一人で歩かれるのは些か軽率なお振る舞いではないかと。仮にもレディの」
「うるさいわね! その、カビの生えた石頭はどうにかならないの? あなたって何世紀前の人間なのかしら? 私は離島に急患が出たら、夜中に一人でボートを走らせるわ。それから、二年前にも言ったはずよ! いいえ、もう何回も言ってるわ。この次、『レディ・アンナ』と呼んだらあなたをぶつわよ! どうしても敬称を付けたいなら、『ドクター・フォスター』と呼んでちょうだい! いいわねっ」
ティナはアンナの怒声に目を丸くした。
(この大男を怒鳴りつけるなんて……)
ティナなどは、ニックのような大柄な男性に、身近に立たれるだけで萎縮してしまう。
「部屋に戻るわ。じゃ、後で会いましょう、ティナ」
「え、ええ」
遠目にはライトに反射して白に見えたが、実際にアンナが着ているのは、シャンパンゴールドのイブニングドレスであった。Aラインでストンとしたデザインは、アンナの素晴らしいプロポーションを際立たせている。それはドクターと言うより、まさにファッションモデルのようだ。八頭身の見事なスタイルと異国情緒が溢れる容貌。そのミスマッチが、余計にアンナを魅力的に見せていた。
ティナがアンナに見惚れていた同じ時間、ニックも彼女を見ていたように思えた。気のせいだろうか……。
「あ、あの」
「失礼しました。どうぞ、こちらです」
*~*~*~*
「どうぞ、ミス・メイソン。お掛け下さい」
そこは皇太子の執務室ではなく、ティナが与えられた“貴婦人の間”をさらに小ぶりに、そして簡素化したような個室であった。
「補佐官用の事務室ですよ。ミス・メイソン」
ティナの視線に気付いたらしく、その部屋の主、ニック・サトウの父でもあるアキラ・サトウは言った。
「ミスター・ニック・サトウ。私は皇太子のお呼びと聞いてやって来たんですが」
当然の質問であろう。
だが、後ろに控えるニックは何も答えない。あまりの寡黙さに、そこはかとない威圧感を感じ、ティナの声は震える。
その直後、補佐官サトウがスッと手を上げ、息子ニックは一礼して無言で部屋から出て行くのだった。
「あの……」
「まずはお掛け下さい。殿下のご命令で私はここにおります」
その口調は、明らかにニックの父と思わせるものだ。息子に比べ小柄でティナと身長は変わらない。しかし、その常に正された姿勢からは、己の職務に対する誇りと、揺るぎない威厳を漂わせていた。
「よくお似合いだ。そのドレスは今夜のために、殿下があなたの母国でお求めになったものです」
「え? そんな前に?」
NYを発つ前に、レイは王の名の下に晩餐会を計画していたのだ。このドレスも、靴も、宝石も、そしてシルクの下着も……。グリーンの光沢に包まれたティナは、身に着けた白い布地を思い出し胸が高鳴った。
「あの、殿下にお礼を申し上げたいのですが。相談したいこともありますし、殿下はどちらに?」
「そのイヤリングとネックレスには、ブレスレットも付いているのですよ」
サトウはティナの質問に答えなかった。気付かなかったのではなく、あからさまに無視したのだ。
そして、彼が差し出したケースには、エメラルドのブレスレットが納まっていた。色も形も綺麗に揃ったエメラルドが、ダイヤモンドと交互に一周している。
「時価にしまして、五十万ドルは下らないお品でございます」
ティナは驚くのもそこそこに、ムッとした。宝石にもお金にも興味はない。今の彼女が望むことは、ただ一度でいいからレイに抱かれること。そして、彼のために王妃となることだ。レイの役に立ちたい、それだけだった。
「三点をセットに致しますと、およそ百万ドルの」
「お返しします。このディナーが終われば、全て揃えて。私は宝石など欲しくありませんから!」
ティナの言葉に、サトウは意地の悪い笑みを浮かべる。
「そうですね。あなたが欲しておられるのは王妃のティアラだ」
「それは! あなたがたが私に押し付けて来られたものじゃありませんか!?」
「現国王のではございません。次期国王の……ありていに申し上げれば、レイ皇太子殿下の妃の座をお求めのようですね。そうでなければ、陛下の御座します島のビーチで、王弟殿下を誘惑など出来ないでしょう」
「!」
ティナは一瞬で真っ赤になった。
やはり、あの電話。レイは何も言わなかったが、あのキスを見ていたサトウからの電話であったと確信した。
「失礼致しました。先ほど申し上げましたとおり、私は皇太子殿下のご命令で、あなたをお呼び立て致しました。このエメラルドのブレスレットを、あなたの右手首にはめて頂くために」
ティナは心臓がトクンと鳴る。
ゆっくりと息を吐きながら、言葉を選ぶ。
「本当に? 本当にそれは、レイの……殿下のお望みなの?」
「お疑いでしたら、このエメラルドをはめて晩餐会にご出席下さい。その場で、殿下にご確認頂けましたらよろしいでしょう」
そう言うと、サトウは深々と頭を下げたのだった。