第26話「白い絹の思惑」
ティナに割り当てられた国賓用の宿泊室……特別室の位置的は三階、最上階だ。そこまでの道のりを歩きながら二人は話していた。
その時、一人の女官がスザンナの顔を見て駆け寄る。
「女官長。プリンセス・ルシールご一家がご到着されました」
「あら、お早いこと。いつものお部屋、準備は整ってますね」
「はい」
「では、そちらにご案内して」
ティナとそう歳も変わらなさそうな女官は元気よく「はいっ!」と返事をして、深く頭を下げて退いた。
「プリンセス……あの、ひょっとしてプリンス・レイの叔母様にあたる方でしたっけ?」
「ええ、はい。そうでございます。先々代国王の第二王女殿下で、現在はフォスター教育大臣夫人となられておいでです」
「ご結婚されても、プリンセスの称号はそのままなんですね。あ、いえ、隣国の日本だと確か『降嫁』されると称号がなくなると聞いていたので」
アズウォルド王国では日本と同様に女子には王位継承権がない。王子の子供は何代経ても王子・王女の称号が付くが、王女の子供は一般人と結婚した場合、称号は付かず儀礼称号として、男子はサー、女子はレディと呼ばれるのだ。これは、王族の庶子も同様である。
そのため、レイの異母弟・ソーヤは、公式には「サー・ジャック」と呼ばれる。軍を優先する時は、「サイオンジ中将」だ。
現在、アズウォルドには四人の王女が存在する。レイの父の従姉・アリサ王女、レイの叔母・ルシール王女、レイの異母姉・マリナ王女とナオミ王女。このうち、ルシール以外は皆、国を出ていた。
「称号はそのままですわ。でも、ほとんど皆さま国外に出られてしまって……お寂しいことです」
スザンナは俯き加減でそう言った。
「あの、他にどんな方が? 大勢おいでなのですか?」
晩餐会と聞けば……父が自宅で催すパーティすら、ろくに出たことがないのだ。ティナが気後れしても当然だろう。
王妃の話は受けてもいいと思ったが、あの島で静かに暮らすだけだと思っていた。まさか、晩餐会だの外遊だのをしなければならないのだろうか。それはティナには、些か気の重い話である。
「ルシール王女にご夫君のフォスター教育大臣、次女のアンナ様、それから、スタンライト外務大臣ご夫妻、最後にソーヤ様の計六名様と伺っております」
六名と聞いてティナは少しホッとした。これなら、ただの食事会と考えてもいいのかも知れない。
しかし、
「晩餐会の主催は国王陛下とか……。陛下はお出ましになられないので、皇太子殿下が代わりを務められるそうです。皆さま、燕尾服とイブニングドレスでお越しになられますわ。晩餐会の間中、王宮楽団がバックで演奏すると聞いておりますし……」
燕尾服とイブニングドレス……第一級の正装である。
「ちょっと待って! 私は王立図書館設立のためのアドバイザーとして来ましたもので、イブニングドレスなんて……」
ボストンバッグ一つのティナに、正装の用意などないことは明白だろう。レイはいったい何を考えているのだろう。これは、正式な承諾の証なのだろうか? でも、それにしては急過ぎる。昼間に承諾して夜に晩餐会など、準備が出来ないはずだ。
それを考えると、この晩餐会はティナがこの国を訪れる前に、決まっていたということか……。
「ご心配には及びません。さあ、どうぞ」
そう言うとスザンナは部屋の扉を押し開けた。例の『噴水の間』である。そこを通り抜け、奥の寝室に辿り着いたとき、ティナは目を見張った。
そこにあったのは、ティナの緑がかったヘーゼルの瞳に合わせた、エメラルドグリーンのイブニングドレスであった。シルクオーガンジーを使った光沢のある素材が、ライトアップされ光り輝いている。オフショルダーで背中側を紐で縛るタイプだ。こんな大胆なデザインのドレスは初めてだった。
ドレスに合わせたエメラルドのイヤリングとネックレス。夜会靴も当然、ドレスと同じ布で作られており、シルクのストッキングとガーターベルトまであった。
そして……白い絹のショーツに、ティナは赤面する。
「殿下もここまでお気遣いなさらなくても……。ああ、いえ……そうですわ! 側近が悪いのです。逆に失礼にあたることを、何方もお教えしなかったなんて!」
スザンナは皇太子批判になると思ったのか、すぐさま矛先を側近に向ける。だが、ティナにはすぐに判った。これはレイの失態でも情熱でもなく、理性なのだ。晩餐会と聞き、後込みするであろうティナが、遠慮せずにドレスを着られるように、と。
だがその時、右手にはまったバングルを思い出し、ティナは青くなる。
*~*~*~*
“騎士の間”――そう名付けられた部屋は、本来の広さの五分の一ほどに狭められていた。
千人近くを招待し、夜会を開けるほどのスペースがある。だが、今夜の来客は全部で八名。本来なら、この部屋を使うまでもなかった。
しかし、数日前まで、レイの誕生日祝賀行事をこの部屋で行う予定であった。そのために、すでに様々な準備が整っていたのだ。そんな中、急遽渡米が決まり……行事は取り止めとなってしまったのである。
「こちらでお待ちください」
ティナが通された部屋は“貴婦人の間”と書かれてあった。控え室とはいえ充分な広さがある。どうやら、今夜はティナの専用らしい。
ティナは窓からボンヤリと中庭を見ていた。ライトアップされたそこは幻想的で美しく、ティナが頭に思い描く、南国の島、を映し出していた。
そこに、白い影が過ぎる。いや、白いドレスを着た女性だった。真っ黒いストレートの髪を後ろで一つに束ね、背中に垂らしている。凛とした横顔は東洋的で、レイと同じ、自尊心の高さを思わせた。
食い入るように見ていたのが判ったのだろうか……
「失礼。あなたが、ミス・クリスティーナ・メイソンかしら?」
それは綺麗なクイーンズイングリッシュだった。




