第2話「イブニングドレス」
ここはニューヨーク、アッパー・イースト・サイドのフィフスアベニュー沿いにあるメイソン邸である。豪邸の立ち並ぶ一角で、このメイソン邸は、今宵、一際華やかに飾り立てられている。
それも当然だろう。アジアの小国とはいえ、摂政を務める皇太子を自邸に迎え入れるのだ。しかもその目的は、国王の代理で、長女クリスティーナに結婚を申し込みに来る手はずになっている。
形ばかりとはいえ、形式は王族にとって最も重要なことである。返事はイエスと決まっており、すでに、マスコミ発表や婚約パーティの準備も出来ていた。当然、挙式の日取りまで決定済みだ。
クリスティーナ……通称ティナの父、メイソン・エンタープライズの社長ロジス・メイソンは緊張した面持ちでプリンスの到着を待っていた。
メイソン・エンタープライズは、かつてアメリカ国内でアジア市場の開拓に一番乗りした企業だ。昨今のアジア市場は、中国を中心にまだまだ開拓の余地はある。そのためにも、この不況をなんとしても乗り切らねばならない。それにはアズウォルド王国の出資は必須であった。
国家間に生じた問題の解決に、歴史上多くの例があり、かつ効果的な方法……両国はまたもや、婚姻による解決を選択したのだった。
だが、あまりにあからさまな政略結婚だ。事前の打診で断わる家も多かった。しかし、メイソンのように、援助目的で名乗りを挙げる家もあったのである。
その令嬢たちの中から、メイソン家の長女クリスティーナが選ばれたのは奇跡だった。ここ数年、メイソン家にとってお荷物に過ぎなかった娘が片付くのだ。しかも、政府に貸しが出来るうえ、国王の義父、王家と外戚関係になれる。一挙両得とはまさにこのことだろう。
アズウォルド王国、太平洋に浮かぶ大小十二個の島で形成された国。全部の島を合わせて、ハワイより少し大きめの面積しかないと聞いている。日本とアメリカに挟まれ、ほんの十年前までは、有事には大国の盾としかなりえなかった国が、今ではブルネイに匹敵する高い所得水準を維持している。
それも全て、今日訪れるレイ皇太子の辣腕だ。
わずか十八歳で皇太子になるや否や、テロによって重傷を負い、車イス生活を余儀なくされた新国王に代わり、国を立て直した。自身の婚約と引き換えに日本からの技術協力を得て、海底油田の発掘に成功したのだ。誰も手を付けていない、太平洋の下にある無尽蔵の原油を手に入れた。
(――金の成る木だ)
メイソンはほくそ笑む。
国王など、どうでもいい。実権を握っているのは摂政であるレイ皇太子だ。プレイボーイで切れ者と言われるプリンスさえ味方につければ……中国だけじゃない、アズウォルドを足がかりに、弱りきった日本企業をも飲み込める。
そのためには、最早、一族の汚点でしかない娘など、王国の礎にすることに何の呵責も感じてはいないのだった。
「あなた、クリスティーナが参りましたわ」
ティナの母、ヘレンが夫に告げた。その声は苦悩を孕んでいた。
「うん? ああ、そうか。――どうした?」
「え、ええ……ドレスが……その」
「まさか、ドレスに着替えてないとでも言うんじゃあるまいな!」
「いえ、ドレスは立派なものだとは思いますが……」
ヘレンの目は泳いでいる。メイソンは一家の暴君だ。誰も逆らえない。古き良き時代の教育を施されたヘレンにとっては尚のこと、である。ハッキリ口にすることは出来ず、ヘレンは視線を中央階段の下にやる。
メイソンがその先に見たものは……。
そこには今夜の主役になるべき、娘、クリスティーナが立っていた。
スレンダーラインのドレスはプラダのクチュールだ。光沢のある素材で、まぶしいくらいシャンデリアの光に輝いている。
しかし、彼女の姿には大きな問題が二つあった。
まずは一つ、ティナはなんと漆黒のドレスを身に着けていた。
そして二つ目……イブニングドレスであるにも関わらず、肩から首筋、手首まで、真っ黒のジョーゼットで覆われていたのだ。
付け加えるなら、ティナのチャームポイントである腰まで流れる金髪は、黒いリボンで固く結い上げられている。両耳には一粒パールのイヤリングを付け、黒い手袋と黒いシューズを履き……まるで未亡人のようであった。
重傷で伏せる国王の花嫁となるのに、縁起の悪いことこの上ない。
「な、なんだ! その格好は!!」
メイソンの怒りも当然だろう。こんな姿で出迎え、万一にもプリンスのご不興を買っては目も当てられない。
「あら、慎み深いドレスだと思いますけど。それとも、胸がこぼれそうな、腰までスリットの入ったチャイナドレスのほうが、アジアンプリンスのお好みかしら?」
「レイ皇太子殿下はアズウォルドの次期国王だ! チャイナドレスもキモノも要らん! さっさと着替えて来るんだ!」
一家の当主であるメイソンの怒りに、周囲はおろおろしている。その場には、メイソンの長男でティナの兄、ジャックもいたが、彼も父には逆らえない口だ。
ティナは腕を組みその場に立ったまま動こうとしない。
業を煮やしたメイソンは娘の腕を掴み、強引に階段を上がろうとした、その時だった。
「社長! 皇太子殿下のご到着です!」