第16話「セラドン宮殿」
「殿下。一つ確認したいことがあります。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
サトウは妙に畏まった表情でレイに問い掛けた。
「なんだ?」
「今は亡き、フサコ王太后陛下より賜りましたバングルはいかがなさいました?」
「……」
判っていて聞くのだから質が悪い。レイはそう思ったが口にはしない。堅物のサトウが黙っていないことは、はじめから予想していたことだった。
「私の間違いでなければ……ミス・メイソンの腕に殿下のバングルがあったようにお見受け致しました」
「そうだ」
短く、そして明確な答えに、補佐官のサトウは頭を振った。深いため息が彼の精神状態が良好でないことを示している。
「殿下らしからぬ振る舞いに、申し上げる言葉もございません。――四年前、マスコミのインタビューになんと答えられたか……お忘れではないと思いますが」
言葉もない、と言う割にハッキリ言ってるではないか、と思いつつ……。
レイは四年前、ヨーロッパの王国を公式訪問した際、現地の記者から質問を受けた。常に身に着けているバングルは恋人からの贈り物か? と。その時にレイは、「祖母から成人の祝いに頂いたもの。生涯外すつもりはないが、祖母以上に大切な人が現れたなら贈ってもよい」と答えている。
しかしその後、親しくなった女性のほとんどがやけに手首を気にするようになり……。面倒になったレイは王室スポークスマンを通じ、「祖母のように、子や孫に贈ることを考えている」と付け加えさせた。
嘘はついてない。いずれは、と考えていた。そう、昨日までは。
「いつから……ミス・メイソンは殿下のお子様になられたのでしょう」
「嫌味も説教も止めてくれ。サトウ、君はいつまで私の教育係のつもりなんだ?」
「補佐官として申し上げております。バングルのことがマスコミに知れれば、ミス・メイソンの名誉に傷が付きます。殿下ご自身も同様です。彼女が王妃となられた場合、皇太子は愛人を陛下に献上した、と言われるやも知れません。このままアメリカに戻られても、王妃候補に手を出したため、送り返したと……」
「ミス・メイソンには国家の安泰のため、無理を頼むことになった。我々が彼女に望むことは、バングル一つと引き換えに出来るようなものではない! 私は……我が国まで来てくれた彼女に、敬意を表しただけだ」
「それは……本心でございますか?」
「もちろんだ」
奥歯を噛み締め、口を固く結んだ。こうなれば、レイは何があっても譲歩しないだろう。幼い頃から彼をずっと見てきたサトウは、そのまま黙って引き下がったのだった。
~☆~☆~☆~
ティナは深く息を吐くと両手を頭の上で組み、グッと押し上げた。力いっぱい背伸びをする。さすがに読む新聞も雑誌も底をついた。長く同じ姿勢でいたため、体のあちこちが強張っている。ティナは軽く動いて体をほぐしたのだった。
ティナは、皇太子の住まいであるセラドン宮殿の応接間に一人佇んでいた。
もうすぐ、深夜の十二時を回る。まさか、こんな時間まで戻ってこないとは思わなかった。最初は、宮殿のスタッフが話相手をしてくれた。でも、彼らは皆、通いだという。ティナが一人でも大丈夫だと告げると、全員引き上げてしまったのだった。
王宮に比べればこの宮殿はかなり狭い。怖いということはないが……“心細い”が本音であろう。でも、どうしても今日中に理由を聞きたかった。必要とあれば、バングルを返すつもりでここを訪ねたのである。
宮殿のスタッフに話を聞いたところ、この離宮にはレイの祖母、先々代の王妃『プリンセス・フサコ』と呼ばれる女性が住んでいたという。彼女はアズウォルド国籍を持つ日系二世であった。
フサコ王妃は、両親に蔑ろにされるレイをことのほか可愛がった。晩年はこの離宮で暮らし、レイも国内に戻ったときは必ずここに寝泊りしていたという。
このバングルも、フサコ王妃が名人と言われる職人に注文し、特別に作らせたものであった。レイの十五歳の成年式に贈ったそうだ。
ちなみに、この国では男子のみ十五歳から成人の儀式を行う。
それは、本人が生まれ育った島から隣の島へ泳いで渡るというもの。一気に泳ぎ切らねばならず、昔はこの儀式を無事に終えたら大人と認められ、漁に出られるようになったという。漁に出てはじめて家族を養う資格が得られ――それは同時に、嫁取りも許されるということであった。
現代では形式だけのイベントの一環となっていた。十五~二十歳までの間に一度参加すればよく、途中リタイヤしても結婚できないといったことにはならない。
しかし、王族にとっては別だ。形式だけとは言い難く、人心を惹き付けることにおいて、非常に意味深いものである。
レイはこの儀式に十五歳の時に参加した。彼は本島から隣のアジュール島まで、約二十キロを泳ぎ切った。
異母兄の現国王が二十歳で参加した時は、数百メートルを泳いだのみで……。
どちらが国民の心を虜にしたかは、言うまでもないことであった。