自然魔法
三番隊長は折り扇を軽く揺らした。
「俺に会ったことがあるか?」
ニコルは響を背後にかばった。
「悪名だけは、耳に届いていた」
三番隊長の視線が二人の体をなめるように巡り、ニコルの顔で止まる。
彼は淡く笑った。
「人の殺し方が随分と手際いい。無名の人間には見えない。」
ニコルは胸の前に杖を横に構え、それ以上は何も言わなかった。
三番隊長は扇を掌の中で軽く閉じる。
「そんなに急いで死にたいのか?」
言い終わるより早く――
地面が突然爆裂し、
足元から土の壁が突き上がり、二人へ突進する。
「避けろ!」
ニコルは響をかばって地面を転がった。
土壁はかすめて通り過ぎ、後ろの大木を真っ二つにへし折る。
「防御魔法を……攻撃に使うなんて。」
響は体を起こした。冷や汗が背中を濡らしている。
「魔法は想像力の世界だ。」
ニコルの肩の傷が開き、血が麻布の服をすぐに染めていく。
「基本を覚えたら、あとは修行次第。」
三番隊長は両手を背に回して立っていた。
さらに二つ、三つと、土壁が狂暴な石の波となって次々に地面を破り、
二人を追い詰める。
ニコルは後退しながら反撃する。
火球を立て続けに放つが、土壁に次々と弾かれ、焦げた土が飛び散った。
響は側面から回り込み、風刃を歌う。
鋭い気流が斜めに切り裂く――だが三当家はほんの一歩身を動かしただけで避けた。
まぶたすら動かさない。
「風系と火系の連携なら、もう少し楽しめたのだがな」
響の胸が沈む。
――相手は本気ですらない。
そのとき、横から土壁が轟音とともに迫った。
響は避けきれない。
体ごと吹き飛ばされ、後方の木に叩きつけられる。
杖が手から離れて飛んだ。
彼は脇腹を押さえ、血を吐いた。
木に背を預け、なんとか立ち上がる。
三番隊長は興奮した表情を見せた。
振り向いて、くすくす笑う。
「ずいぶん綺麗な顔をしてるな。可哀そうになる。」
「この老いぼれを片付けたら、ゆっくり遊んでやるよ。」
ニコルが獣のような咆哮を上げた。一歩踏み出す。
空気が一瞬で熱くなる。
火球ではない――
熱の嵐だ。
三番隊長の表情がわずかに引き締まる。
ニコルは戦場の中心に立っているようだった。
無数の兵の叫びが、杖から噴き出す。
火球は奔流となり、正面から押し寄せた。
「相打ちのつもりか?」三番隊長が笑みを消し、扇を激しく開いた。
「笑わせるな!」
両手を振り下ろす。
大地が震えた。
重い土の盾が次々とせり上がり、城壁のように閉じて火海を押し止める。
炎と岩が激突する。
爆発音が連続して森を揺らした。
――今だ。
響は三番隊長の背中を見据えた。
歯を食いしばる。
残る魔力をすべて振り絞る。
「1—5!」
歌ではない。
叫びだ。
両手を振り上げる。
巨大な風刃が三番隊長へ飛んだ。
彼はニコルの最後の一撃を受け止めた直後だった。
振り向く暇もない。
鋭い気流が背中を斬り裂いた。
三番隊長の体が宙へ跳ね上がる。
血を吐き、地面へ叩きつけられた。
土煙が舞う。
森が一瞬、静まり返った。
ニコルは片膝をついた。
杖は黒く焼け焦げている。
血が腕を伝って落ちた。
響はよろめきながら歩き寄る。
二人は互いに支え合い、荒い息をつく。
魔力は完全に尽きていた。
指先すら動かない。
「魔杖なしで……まさか……」
三番隊長が揺れながら立ち上がる。
「なるほど……」
「危険なのは……お前だったか。」
背中の衣服は裂け、崩れかけた岩の鎧が露出していた。
怒りで目が赤く染まる。
「最後の瞬間に土盾を張っていなければ……」
「今度こそ生き埋めにしてやる!」
三番隊長は深く息を吸った。
両足を地面に突き刺す。
周囲の土石が震え、砕け、集まり始める。
大地が唸った。
四方から泥と岩の洪水が巻き上がる。
すべてを飲み込む、山のような奔流。
響は呆然とそれを見上げた。
頭の中に、いくつもの光景が浮かぶ。
前世のステージライト。
母の冷たい手。
牛ちゃんの背中の鞭の跡。
泥流が押し潰す直前――
世界が突然静かになった。
敵はいない。
戦いもない。
あるのは――音だけ。
風が木の梢を抜ける。
落葉が枝を離れ、空でひとつ旋回し、さらさらと落ちる。
絶対音感を持つ彼には、それは雑音ではなかった。
自然そのものの音楽だった。
旋律だ。
彼は口を開く。
ただ、その旋律をなぞるように歌った。
周囲の空気に漂う魔力が動き出す。
腕へと集まり、絡み合い、凝縮していく。
彼は目を開いた。
両腕を前へ突き出す。
それは風刃ではない。
嵐だった。
轟――!
巨大な気流が爆発する。
土石の洪流は一瞬で崩壊し、粉々に砕け散る。
風暴は勢いを失わない。
三番隊長の体を貫き、背後の十数本の巨木まで切り裂いた。
彼は悲鳴すら上げられなかった。
嵐の中で、体は粉砕された。
響はその斬り裂かれた痕跡を見つめる。
視界の紫色がゆっくり消えていく。
反動の余波が彼を木へ叩きつけた。
全身の経脈が引き裂かれるようだった。
意識が闇へ沈む直前。
彼は最後の音を歌う。
「1—3—5。」




