実戦
響が目を覚ました。立ち上がると、体が驚くほど軽い。
周囲を見回したその瞬間――
彼は思わず、もう一度ひざをつきそうになった。
世界が、まるで目の前で“生き始めた”ようだった。
空気の中には淡い紫色の魔力が漂っている。
それは単なる一色ではなく、濃淡の層となってゆっくりと流れていた。
風の音。
落ち葉の音。
森のあらゆる音が、はっきりとした旋律を持って聞こえる。
「やっと起きたか!」
ニコルが森の奥から歩いてきた。
手には野生の果実をいくつか持っている。
干し肉と一緒に響に差し出した。
「早く食え」
響はそのとき初めて、自分がひどく空腹だと気づいた。
まるで何日も食べていないような感覚だった。
彼は干し肉と果実をつかむと、夢中でかき込んだ。
ニコルはそれを見て笑う。
「俺のミスだな。
魔力を使いすぎると、すぐに体が抜けるって言うのを忘れてた」
これが、魔力を持つということなのか。
響は、自分に見えている世界の変化をニコルに話した。
ニコルは少し驚いた顔をした。
「修行を続けると、魔力が体を巡るようになって、感覚が鋭くなるのは確かだ」
少し言葉を切る。
「だが、お前みたいな状態は……」
彼は首を振り、苦笑した。
「まあいい。
今さら何が起きても、もう驚かんさ」
食事を終えると、ニコルは立ち上がった。
森の奥を顎で指す。
「行くぞ。実戦練習だ」
森の空き地には、小さな魔獣が三、四匹、網に捕えられていた。
長い耳。
見た目はウサギに似ているが、咆哮すると鋭い牙がのぞく。
ニコルはそのうち一匹を放した。
魔獣はすぐに外へ駆け出す。
ニコルが手を上げると、小さな火球がいくつも飛び、逃げ道を塞いだ。
魔獣は空き地の中央へ追い戻される。
警戒するように、円を描いて歩き始めた。
次の瞬間。
低く唸り声を上げ、響へ一直線に突っ込んできた。
響は音符を歌う。
「1……5」
風刃が飛ぶ。
だが魔獣は、鋭く体をひねった。
風刃はかすめて通り過ぎる。
「防御!」
ニコルが叫んだ。
響は慌てて音を変える。
しかし緊張のせいで音程がずれた。
空気が乱れただけで、風の盾は生まれない。
ニコルがすぐに魔法を放った。
火球が魔獣の後ろ脚に命中する。
魔獣は空中で何度も回転し、地面に落ちた。
しかし次の瞬間には跳ね起き、森の茂みへと消えてしまった。
響は力が抜け、その場に座り込んだ。
「すみません……逃がしてしまいました」
「気にするな」
ニコルは彼を引き起こす。
「もともと練習用だ」
それから残っている魔獣を指した。
「分かったか?
あいつらは木じゃない。じっと待ってはくれない」
響はうなずく。
「動きが速すぎます」
「魔力を吸って育つ生き物だからな」
ニコルは言う。
「魔力の流れに敏感だ。
魔法を感じれば、すぐに方向を読んで避ける」
響は、さっきの鋭い回避を思い出し、背筋が冷えた。
ニコルはもう一匹を放した。
そして前に出る。
「よく見てろ」
魔獣が飛びかかる。
ニコルは体をずらしてかわすと同時に火球を放った。
だが狙いは魔獣ではない。
その次の着地点だった。
火球が命中する。
魔獣の前脚が弾かれ、苦しそうな声を上げて地面を転がる。
「予測だ。
追いかけて当てるより簡単だ」
魔獣が起き上がり、再び飛びかかる。
ニコルは正面に火球を放つ。
魔獣は左へ避ける。
だが、そこにはすでに二発目の火球が待っていた。
直撃。
魔獣はひっくり返り、しばらく起き上がれない。
「もう一つは連撃だ」
ニコルは言う。
「左右を塞げば、どっちに逃げても当たる」
彼は肩をすくめた。
「それからもう一つ。
高速魔法だ」
「速すぎて、感じても避けられない」
「今は知っていればいい」
響は深く息を吸い、体勢を整える。
再び練習が始まった。
何度も風刃を放つ。
やがて一匹の魔獣が飛びかかり、空中で体勢を変えられなくなった。
その瞬間。
響が音を出す。
風刃が走る。
「ザッ!」
魔獣の側面を切り裂いた。
魔獣は空中で回転し、草むらに落ちる。
しかしすぐに立ち上がり、森へ逃げていった。
「魔獣には魔力の防護がある」
ニコルが言う。
「威力が足りなければ、致命傷にはならん」
響はその場で荒く息をついた。
体内の魔力がほとんど残っていないのが分かる。
「今日はここまでだ」
ニコルが歩み寄る。
「覚えておけ」
「魔獣を知ることも大事だ。
だが、それ以上に大事なのは自分を知ることだ」
少し間を置く。
「力を抜いていろ。
振動が安定していないと魔法は出ない」
「才能があるからといって、基礎を怠るな」
響はふと、昔のことを思い出した。
練習生だった頃。
絶対音感があるせいで、彼自身も教師たちも彼に一番期待していた。
だが、上達の速さだけを比べれば――
一番遅かったのも、彼だった。
才能は、確かに入り口を広げてくれる。
だが結局、どんなことにも近道はない。
それを理解するまで、彼は誰よりも時間がかかったのだ。




