音楽魔法
響が無意識に放った風の魔法に、二人は同時に固まった。
先に我に返ったのはニコルだった。
「信じられない……それに、君は魔杖も使っていないのか」
響は驚いたように自分の両手を見つめた。
ニコルは眉をひそめ、魔法書を開いた。頭の中を整理しているようだった。
「魔法を発動するには、魔力の振動が必要なんだ」
彼は本のページを軽く指で叩いた。
「振動が違えば、引き出される力も変わる」
響は知っている。
この“振動”というものは、実は音符なのだ。
ニコルは続けた。
「例えばこれだ」
彼は一本の波形を指さす。
「振動がゆっくりなら、土の魔法が出る」
次の波形を指した。
「振動が速ければ、風だ」
響は心の中で対応させる。
低音域は土。
中音域は火。
高音域は風。
ニコルはさらに言った。
「ただし、振動が一つだけでは足りない」
「決まった距離の振動を二つ、つなげないと魔法は発動しない」
もし音符で説明するなら――
初級魔法の組み合わせはこうだ。
完全五度、「1」と「5」は攻撃。
長三度、「1」と「3」は防御。
「問題はだな」
ニコルは魔杖を軽く振った。
「この二つの振動を正確に出すには、長い年月の訓練が必要なんだ」
「しかも一瞬だけだ」
「だから魔法武器が必要になる。共鳴させて、力を増幅するために」
響は少し困った顔で言った。
「どうしてか分からないんですけど……この波形を見ると、同じ振動を出せるみたいなんです」
ニコルはぽかんと口を開けた。
「君は天才だな」
しかし響は心の中で苦笑した。
音の高さも聞き取れないのに、訓練だけで正しい振動を作れるなんて。
本当の天才は、あなたたちじゃないか。
「これも試してみろ」
ニコルは別の波形を指した。
「防御の魔法だ」
響は音符を歌う。
「1……3……」
空気がわずかに震えた。
次の瞬間、彼の前に風の盾が広がった。
ニコルは思わず手を叩いて笑った。
「伝説の大魔法使いですら、基礎魔法を覚えるのに五年はかかる」
「君はたった五分だ」
「ほとんどの人間は、一生かけても覚えられない」
それはまるで――
生まれつき耳の聞こえない人間が、歌を習うようなものだ。
響には、その難しさが想像もつかなかった。
ニコルはしばらく考え込み、目にわずかな不安を浮かべた。
やがて荷物の中から一本の魔杖を取り出した。
古びた木製の魔杖だった。
それを響に差し出す。
「君の能力は前例がない」
「もし広まれば、どんな面倒が起こるか分からない」
「領主には正直に報告するつもりだ」
「だが外では、魔杖が必要なふりをしておいた方がいい」
響はそこまで考えていなかった。
胸が熱くなり、深くうなずいた。
「ありがとうございます」
彼は魔杖を受け取った。
そっと撫でる。
冷たく、重い感触。
その瞬間――
彼はふと、少年の頃を思い出した。
世界のすべてが新しく、好奇心に満ちていたあの頃を。
響は魔杖を持ち上げた。
音符を口にする。
風刃が一つ。
また一つ。
さらにもう一つ。
指先が、少し痺れてきた。
気にせず、もう一度音を出す。
その瞬間。
強烈な脱力感が全身を襲った。
視界が真っ暗になる。
身体から力が抜け――
響はそのまま地面に崩れ落ちた。




