おとり
人々は夜通し作業し、すべての荷馬車の側板と屋根を外して、一台の馬車の後ろに繋ぎ合わせた。
遠くから見れば、まるで長い隊列のように見える。
テントの中。
レオンは地図を指差しながら言った。
「この先は密林だ。たとえ敵がふたごやまの頂上から監視していたとしても、
この偽の車列を見分けるのは難しいだろう」
ニコルがうなずく。
「逃げた近衛は脚を重傷していた。すぐには報告できないはずだ。
敵に予定通り進軍していると思わせられれば、その隙に迂回する時間を稼げる」
副隊長は落ち着きなく歩き回っていた。
「アイツら、ルートを知ってるくせに正面から攻めてこない。つまり人数が足りねえってことだ。
罠があると分かってるなら、こっちが備えりゃいいだけだろ。何を怖がる必要がある?」
「座れ」
隊長が冷たく言い放つ。
「たとえ勝ったとしても、奴らが馬を殺したらどうする?」
「原材料が予定通り領地に届かなければ、主君は王にどうやって武器を納めるんだ!」
やがて準備は整った。
隊長は奴隷たちを見回す。
「二人必要だ。この偽の車列を引いて、先へ進んでもらう」
奴隷たちは顔を見合わせた。
それは――九死に一生の囮役だった。
副隊長が苛立ったように言う。
「何をぐずぐずしてる!
馬をゆっくり進ませるだけだ!敵が異変に気づいて山を下りてきたら、その時逃げればいい。
命懸けで戦えなんて言っていない!」
牛ちゃんが一歩前に出た。
響は必死に彼を引き止めようとしたが、引き戻せない。
小声で言う。
「戻れよ!妹の学費を稼ぐんじゃなかったのか?」
牛ちゃんは頭をかきながら答えた。
「敵が来たら逃げればいいんだろ?
それに……俺が一番力持ちだからな」
響は苦笑するしかなかった。
しかし、それ以上名乗り出る者はいない。
隊長が次の者を指名しようとしたとき――
響は歯を食いしばり、一歩前に出た。
「……僕が行きます」
その瞬間、ニコルが前に出た。
牛ちゃんを軽く押し戻し、響の隣に立つ。
「こいつは頭が回るし、運もいい。俺が一緒に行こう」
隊長は咳払いをした。
「……お前が行く必要はない」
ニコルは一歩近づき、隊長の耳元で低くささやく。
「奴隷二人が途中で怖くなって逃げたらどうします?」
それだけ言うと、彼は戻って牛ちゃんに笑いかけた。
「俺がいる。安心しろ」
牛ちゃんは勢いよくうなずいた。
「見ましたよ!おじさんの魔法!めちゃくちゃすごかった!」
隊長たちは本物の車列を率い、夜は進み、昼は身を潜めながら、全力で領地へと向かった。
――
深夜。
焚き火のそば。
響はふと尋ねた。
「ニコルじいさん、どうして僕たちをそんなに気にかけてくれるんですか?」
ニコルは逆に聞いた。
「じゃあ、お前はどうして牛ちゃんにそこまで良くしてやるんだ?」
「……あいつも僕に良くしてくれたから」
「それに、僕にはもう家族がいません」
「俺たちは、少し似てるな」
彼はため息をつく。
「俺は一生戦場で生きてきた。
戦友はみんな死んだ。家族もいない」
「なぜか、お前たち二人を見ていると……放っておけなくてな」
響は何も言えず、黙って焚き火の薪をいじった。
やがてニコルが口を開く。
「そういえば、あの時だ」
「お前が俺に来て、あの芝居をやろうと言った時。
どうして総管が隊長に問いただしに行かないと分かった?」
響は前世のことを思い出した。
昔のマネージャーが金を横領した時、同じやり方で捕まったのだ。
「後ろめたいことがある人間は、真っ先に陰謀が露見したんじゃないかと疑う。自分から確かめには行けないものです」
ニコルは彼をじっと見つめた。
「お前は……」
響は話題を変えるように、懐からしわだらけの冊子を取り出した。
「昼間、荷台を片付けている時に拾いました」
ニコルはそれをめくる。
「ほう。初中級の魔法書だ」
響は驚いた。
「そんなに貴重なものなんですか?」
ニコルは笑う。
「印刷版だ。街の子供なら誰でも持ってる」
響は本を受け取り、ページを開いた。
この世界の文字はすべて読める。
本の中には、正弦波のような波形がいくつも描かれ、様々な組み合わせで並んでいた。
「この波形って、何なんですか?」
「振動の周波数だ」
ニコルは魔杖を取り出し、短く二つの音を発した。
魔杖が共鳴し、空中に小さな火球が灯る。
「一番の振動に五番の振動をつなぐ。
これが一番基本の攻撃魔法だ」
絶対音感を持つ響は、すぐにそれが音符の「1」と「5」――
ドとソ、完全五度だと聞き取った。
響は同じ音を歌う。
「1……5……」
その瞬間。
彼の指先から風刃が放たれた。
バキッ。
燃えていた薪が真っ二つに切断される。
火花が散った。
二人は同時に驚いて飛び上がった。




